一章
「ジェイミは、オレの友達なんです。死んでほしくない」
涙をこぼしながら、必死に言葉をつむぐアイゼを、ラルは見つめた。胸がどうしようもなく痛かった。
眠れない夜だった。考えることがありすぎた。シルヴァスのこと、先のジェイミのこと――あの銀色の衣を着た生き物は、どうしてジェイミのせいにして、ジェイミをぶったのだろう。――やっぱり、ここの群は信じられない。信じてはいけない気がする。
それでも、シルヴァスに会えるかもしれない、その誘惑を退けるのは難しかった。でも、自分で何とかしなくてはいけないのだ。何とか逃げ出さないと。
それには……そうして、もう一度、ラルの思考はジェイミへと戻ってくる。
ジェイミのことは、自分のせいな気がするからだった。あの群の生き物達はひどいが、ラルが部屋から出ていったことを、あの生き物はジェイミのせいにした。それはつまり……ラルが出て行ったせいで、ジェイミはぶたれたのだ。
そこで、もう一つ気にかかったのが、「罰」という言葉だった。アルマという生き物が、アイゼという生き物に「罰」を与えると言った。それは、ラルのために与える、というように言っていたように思う。
何故ラルの為に? アイゼとラルは、何も関係ないはずだ。それに罰とは何だろう。いやな響きで、あのときは意味も聞かずに拒絶してしまったが――聞かなかったことを後悔した。
何が起こっているんだろう。今まで、こんなことなかった。ラルの預かり知らないところで、何かが起こっている。ラルの為だといって、ラルの知らないことをする。
わからない。何も知らないラルには、答えの出しようがなかった。目を覆って、息をついた。小さく細い息を吐き出す。シルヴァスのよく出していた音だ。無意識に飛び出した音だったが、ラルの心を慰め、また悲しくさせた。
――シルヴァス、今、どうしている? どうか無事でいて。
今すぐシルヴァスの元へ行きたい。けれど。
(ジェイミのことは、ラルのせい)
ぐるぐると回る思考は、そこに戻ってくる。ジェイミのことが心配だった。罰のことも。
わからないことを、少しでも知っていかねばならない。それが、疲れ果てた意識の気絶するようにとぎれる寸前、ラルが出した結論だった。
朝が来ると、また明るくなる。戸板で覆われている為に目は開けることが出来るが、それでもまぶしい。ラルはすぐに目が覚めた。
外衣を脱いで、風にはためかせていると、召使頭のアルマがやってきた。慌ててラルは衣を身にまとった。アルマはというと、ずっと平伏しており、ラルの焦りなど気づいていないようだった。アルマはひたすらに恐縮していた。
「おはようございます。私、アイゼに代わり、今日からお世話をさせていただきます。アルマと申します。お召し替えの用意をしてまいりました」
聞いた音だった。昨日、罰の話をした生き物の声だ。昨日は姿を見られなかったが、ラルはアルマの姿をじっと見つめた。
「どうして寝てるの?」
「は、それは、姫様の御前であるからです」
「ごぜん? 起きて」
「かたじけのうございます」
アルマはしずしずと起きあがると、外に合図を送った。ラルのための衣服を持ち、数人の召使が入ってくる。衣服を掲げるように礼をした。
「では、お召し替えをさせていただきます」
アルマは改めて礼を取り、ラルを取り巻いた。顔を見て、ラルは驚く。皆怪我をしている。
「怪我してる」
ラルのつぶやきを、聞き取ったようだった。アルマの動きに、わずかに動揺が走った。その時に感じたものに、ラルもまた反応した。アルマはすぐにそれを隠した。そうして、「失礼いたします」と、ラルの衣に手をかけた。
「えっ?」
衣を脱がされそうになり、とっさにラルは、身体を抱き、かわした。アルマは、見る間に蒼白になり、平伏した。
「申し訳ありません!」
「なに? 何で謝るの? どうして脱がすの?」
「申し訳ありません!」
「謝らないで、教えて、今の何?」
ラルは膝をついて、アルマに触れた。アルマは、身体を跳ねさせた。身体の震えを抑えようとしているようだが、それがどうにもうまくいっていない。
様子がおかしい。困ってしまって、ラルは周りの召使を見たが、彼らも一様に平伏していた。
「失礼いたします――姫、どうされましたか」
その時、エレンヒルが入ってきた。アルマの震えが、ひどくなった。ラルは背をさすってやった。しかし、よけいにひどくなるので、手を離した。その動きを、エレンヒルは、さめた視線を寄越したがすぐにかき消し、微笑し、ラルの側に控え、ひざまずいた。
「わからない。ずっと謝ってるの」
ラルの言葉を聞き、エレンヒルはアルマを見た。一瞥したにすぎなかったが、確固たる意味がこめられていた。それを汲み取ったアルマが、話し始めた。
「お、お召し替えをと思ったのです」
「それで何故謝っている?」
冷たい、という温度さえない声だった。アルマは必死の様子だった。
「姫様が驚かれたので、わ、私が不作法をしたのだと思いまして次第です」
エレンヒルは無感動だった。自身が聞いたことであるのに、聞かなかったような反応だった。
そしてただ一言、
「下がれ」
と告げた。アルマ達は、這い蹲るように礼をとり、そして去っていった。その足音が遠ざかるのだけ確認すると、エレンヒルはラルの方へと向き直った。
「――恐れながら、姫は、お召し替え、をご存じでしょうか」
ラルは首を横に振った。
「お召し替えとは、衣の着替えです」
「それなら、知ってる。してる」
「この者達は、姫の着替えを手伝いにきたのです」
エレンヒルの言葉に、ラルは首を傾げた。
「どうして? ラル、自分で全部出来る」
「高貴な身分の者は、自分で着替えをしないのですよ」
「こうきなみぶん?」
ラルの疑問符を、エレンヒルは労苦などないという顔で、一つ一つ消していく。
「あなた様のことです。あなた様はこれからは、身の回りのことは、すべて召使いにさせるのです」
「どうして?」
「それがつとめだからです」
そう言い切られて、ラルは黙り込んだ。よくわからない。意味はわかるのだが、それが自分の立場だと言われると、一気にわからなくなる。理解したくない、と言っていいに等しいのかもしれない。自分のことが自分でできない? それはとても不安なものに感じた。
「ラル、自分のことは自分でしたい」
「それはなりません」
「どうして?」
「つとめです。下の者に、なすべきことを与えてやらねばなりません。どうしてもあなた様が自分でなさるというなら、その者らに、罰をあたえねばなりません」
「ばつ? ばつって何?」
また「罰」だ。とっさに、ラルは、罰という言葉に食いついた。
「仕置き、報い――自分のしたことへの責任を払わせることです。この場合は、あなた様への職務――なすべきこと、を放棄したことに対してです。主に、痛み――時には死で払わせます」
そのあまりに強い言葉に、ラルはショックを受けた。死。今、あまりに聞きたくない言葉だった。
「どうして、何もしてない。ラルが、自分でするって言ったのに」
「それが、下の者のつとめだからです」
「そんな……」
「――いつまで、くだくだやってんだ」
部屋の入り口の方から、声がした。アーグゥイッシュが、入り口にもたれてこちらを見ていた。ラルと視線がかち合うと、鼻で笑った。
「長ェんだよ。こいつが、ただ言うことを聞いてりゃあいいって話をよォ」
「慎め、アーグゥイッシュ」
「は! 今更、取り澄ますなよ。よォ、姫さん。お前のせいで、昨日から何人罰されてると思ってる?」
「――どういうこと?」
ラルの動揺を、アーグゥイッシュはあざけり言葉を続けた。
「この邸の獣人ども、お前を見張っていた奴。みーんな、罰を受けたってんだよ。お前が、世話もされず、ぴいぴい騒いで、見張りもぬけたせいでな」
「うそ……」
ラルの顔から、血の気が引いた、えるみーる、の意味はわからなかったが、アイゼやアルマ達のことなのだろうと思った。ラルは、アルマ達の顔の傷を思った。――それから、ジェイミの傷を。彼らの怪我は、もしかして、その罰のせいなのだろうか?
「わかったら、黙って言うことを聞いてろ」
エレンヒルが、やれやれという風に首を振った。ラルは、呆然とした。
どうして。
やはり、何かとても大きなものが、自分にかかってきているのだ。それまではラルは、ただのラルだった。森の中では、ラルのしたことは、同じ力の分、反応が返ってきた。今はラルのしたことに、ラル以外の何か大きな力が働いている。
ラルが動揺している間に、エレンヒルとアーグゥイッシュが去っていった。どことなくせわしげで、エレンヒルは「また使いをやります故」と言っていたが、ラルはそれを気にする余裕はなかった。
――ラルのせいで、たくさんの生き物が傷ついた。
アルマ達の姿が、赤に染まったシルヴァスの姿に重なる。口元を手で覆った。身体が震え出す。森だと、許されないことだ。森の生き物を無意味に傷つけることは、森での共生を放棄するも同然だ。
「怪我をしてる」とラルが言ったとき、アルマの目の奥に浮かんだもの。いろんなもので混ざっていたが、奥の奥に、潜んでいたのは、怒りだった。それは、昨日のジェイミの目に浮かんだものと同じ――
その時、昨日、兵士に打ち倒されていたジェイミの姿が、ラルの脳裏に浮かんだ。
そうだ。ジェイミはどうなる? アーグゥイッシュは、見張りの兵士は罰を受けたと言っていた。それも、ラルのせいだ。なら、見張りの兵士に「お前がラルを連れ出した」と、殴られたジェイミはどうなる? あれで「罰」はすんだのか?
ひどくいやな予感がした。
「どうしよう」
――死をもって払わせる……エレンヒルの言葉が恐ろしくこだました。シルヴァス、不安から、無意識につむごうとした名を、首を振って止めた。
シルヴァスは今、大変な時にいる。どうにか出来るのは、自分しかいないのだ。自分で、やっていく。ラルは一人の部屋で、心を固めた。
「あまり姫に余計なことを言うな」
廊下を行きながら、エレンヒルはアーグゥイッシュに言った。罰を受けた者はそもそも皆、自業自得だ。獣人に胸を痛めるようになってもらっては困る。問題があるならば、見張りの兵士だが、そもそも見張りを抜けられるなど、間抜け以外の何者でもない。わざわざ言うことの方が恥だ。そのことは、アーグゥイッシュとてわかっているであろうに。
「手伝ってやったんじゃねェか。罰だなんだ脅すわりに、回りくどくやってるからよォ。そんなに言うならもっとやさしく、教えてやりゃあよかっただろ」
やさしく、の所をあえて甘く柔らかく発音するアーグゥイッシュに、エレンヒルはため息をつく。
「早く作法を飲み込んでもらうため、やむを得ずだ。お前のはただの漏洩だ」
「ハッ、そんな大した情報かよ」
「そのような心持ちでいると、いずれ易く大事を話しかねんから言っている」
「へいへい」
とにかく、姫には己の立場を理解してもらい、大人しくもらわねば困る。そこで二人の意見は一致している。だからここでこの話は終わりだった。
「ドルミール卿はまだか」
「さあなァ」
何とかしなければならない。エレンヒルは、唇を引き結んだ。見張りの兵士は、小娘と思い油断したのかもしれぬが、それにしても、抜け出せたというのは意外だった。見張りがとっさに獣人のせいにしたのもわからないではない――もっとも、獣人が手引きしたとて、気づかない方が間抜けなのだが……思った以上に、行動力のある娘だ。
(獣人の方は、自ら謹慎を名乗り出たようだ)
見せしめのためにいっそ殺した方がよかろうか。それとも……恩を売るべきか。
エレンヒルは思案を続けるのだった。