『青服の日常』より

 そういやコーヒー好きだったな、なんて、ふとあいつのことを思い出した。
 ■■■。大学時代の同期生。
 特に親しかったわけでもないが、たまに一緒にカフェに行ったりテスト勉強をしたり、グループ付き合いの友人の一人、そんな感じで。



「はよー、■■■。相変わらず顔死んでんな」
「あー……まあ、うん」
「テンションひくっ! お前もうちょっと愛想よくしないと俺たちそろそろ社会人なんだしさー、やっていけねーよ?」
「大丈夫だって……」



 相変わらずの地の底を這うような声で答えたあいつと。就活をやるうちに皆忙しくなって疎遠になって、遠くの寮に引っ越したあいつは卒業式も参加せずそのまま、みたいな。
 そんな感じだった。

 「普通」に拘る奴だった。
 それくらい普通だろ、とか、常識だろ、とか、誰かが言う度に暗い顔になるのを、俺だけは気付いていた。けど言わなかった。わざわざ指摘することでもない。
 だけど、ごく普通の一般人、死んだ目をしたあいつの、皆が知らないことを俺だけは知っているそのことで、皆よりも少し上に立てたようなそんな気になって、大事に大事に胸にしまって。
 それだけ。
 あいつの人生に干渉するつもりはなかったし、だいたい、グループ付き合いの友達なんてそんな深く干渉し合うものでもない。適当に付き合って適当に疎遠になる、そんなものだし、あいつだって俺たちにそんな期待はしていなかったはずだ。わかっている。

 テレワークが叫ばれるご時世になって、皮肉にも働き方に余裕ができて、こうやって家で一人でコーヒーなんて飲んでるときに暇になって昔のことなんか思い出している。
 あいつどうしてるかななんて、一番に思い出したのが一番「普通」のあいつだったなんて。
 あいつが知ったらどう思うかな。たぶん、卑屈な笑顔でやり過ごすんだろう。あいつはそういう奴だから。
 もう少し干渉してたら今も連絡取り合ったりしてたのかな。
 どうだろう。
 メッセージアプリに今も残っている連絡先の画像はずっと変わらなくて、まああいつらしいななんて思うけど、何か送ろうとは思わない。今さら送っても引かれるだけだし。

 学生時代から何も変わらないプロフィール文を見て、コーヒーを一口飲んで、メッセージアプリを閉じて。
 過ぎたものは戻らない。それは関係性においても同じ。
 もう関係ないあいつのことなんて、忘れてしまおう。そう思うのに、どこか気になって残り続けるのは俺が未練がましいからだろうか。
 「わからない」。あいつの口癖を久々に思い出す。
 今もこの社会のどこかで、わからないなんて呟きながら仕事をこなしているのだろうか。
 それこそわからないけれど。
 終わってしまった友情の、過ぎてしまった青春の、遠い遠い記憶。
 きっとこれからも、片隅に残り続けるのだろう。
 ちくちくとどこか後ろ暗いそれはまるで呪いのようで。
 「普通」のあいつが残した呪いは今もなお生き続けている。
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