6月 jeune mariéのふたり
202*年6月。
デジタルワールド研究所に所属する研究員の泉光子郎は、研究所内にあるカフェテラスにて、総務課に所属し、現在は育児休暇中の一乗寺(旧姓・井ノ上)京とお茶をしていた。
京は生まれたばかりの息子と幼稚園に上がったばかりの娘の自慢を、光子郎に向かって永遠としていたが、光子郎はむしろ興味津々で、彼女の子供たちについて、いろいろと質問をしていた。
話の合間に、コーヒーカップを持ち上げた光子郎の左手をちらりと見た瞬間、京の目が光った。
「泉先輩。さっきから気になっていたんですけど」
「なんですか、京くん」
このときすでに、京に何を聞かれるのか光子郎には大方予測がついていた。
「先輩のその、左手薬指……もしかして」
言われた光子郎は「ああ」とつぶやき、コーヒーカップを置き、左手薬指に右手を添えた。
「京くんは相変わらずめざといですね」
「もしやもしや。ついにプロポーズされたんですか?」
「ま、まあ……そうです」
「きゃーーおめでとうございます!」
京は一気に色めき立った。
光子郎は京に「京くん、声が大きいです」と声を潜めながら言った。すると京は、声を潜めながら、
「太一さんからなんてプロポーズされたのか、あたしすっごく気になるんですけどぉ」
と、光子郎に返した。
(きっと、言わないと京くんは納得しないだろうな)
と思った光子郎は、小声で京に話し始めた。
「この前、家で夕飯後の洗い物をしていたときに、太一さんの挙動が、いつもとは違っておかしかったんです」
まるで怪談のような出だしに、京は思わず息を飲んだ。
「ずっとそわそわしていて。それでぼく、聞いてみたんです。『どうしたんです? 何かあったんですか』って。そしたら、『おまえに大事な話がある』って言われまして」
「うんうん」
「えーっと、京くん」
「なんです? 泉先輩」
「そんなに身を乗り出して聞く話でもないと思うんですけど……」
そう。気がつけば京は光子郎のすぐ目の前に迫る勢いで身を乗り出していたのだ。
「あたしにとっては身を乗り出すほどの話です! 先輩。さっ、続きを!」
そんな京に光子郎は苦笑いをこぼした。
「それで、ぼくは洗い物が終わるまで待ってくださいって言ったんです。大事な話なら、家事片手間で聞くもんじゃないと思って。太一さんは了解してくれました。でも、やっぱり様子がおかしくて……」
そこからの光子郎の話はこうだった。
太一の様子が気になりつつも、光子郎は洗い物を終わらせて、太一のそばへ近寄った。すると、太一は思い詰めた様子で光子郎を見つめていた。それを目にして、光子郎は内心どきりとした。
「大事な話ってなんですか? また、どこかに転勤で」
「いいや、そうじゃない」
太一は首を横に振った。
これまで、大事な話と太一から切り出されると、海外への長期の出張や、転勤の場合が多かったのだが、やはり違った。
不安が募る光子郎をよそに、太一は呼吸を整え、意を決して話し始めた。
「オレからの大事な話はコレだ」
太一は、右手に何かを隠しながら光子郎の目の前に何かを差し出す。彼が右手を離すと、そこにはビロードに包まれた小箱があった。太一は小箱を開きながら、光子郎に言った。
「オレの伴侶になってくれないか?」
光子郎の目の前に差し出された小箱の中心には、銀色に輝く環があった。太一の口から出たのは紛れもない、プロポーズの言葉だった。
大学生の頃から一緒に暮らし始め、互いの仕事の都合で遠距離になっても、太一と光子郎は変わらず、恋人同士でいた。だけど、ふたりの関係を決定づける「何か」はないままだった。光子郎は、このままの関係がゆるゆると続いていくのだと思っていた。なのに、今。自分は太一からプロポーズされている。光子郎は信じられない気持ちで一杯だった。
「ぼく……なんかでいいんですか」
「なんか、じゃない。光子郎じゃなきゃだめだ」
外交官として、第一級の実力を持つまでになった太一は、今や引く手数多。良家の子女からの縁談が舞い込んでもおかしくはなかった。
だが、太一が未来を選ぼうとしている相手は、他ならぬ、ここにいる光子郎だった。
「オレがずっとハッキリしなかったのは悪かったと思ってる。今現在の状況に満足していたところもある。だけど、オレの人生には、おまえが必要だ。光子郎には、オレのそばにいてほしいんだ。だからこれからも」
一旦言葉を止めた太一は、小さく息を吸う。
「オレと、共に生きてくれ」
太一の言葉を噛みしめた光子郎は頷きながら、
「はい、あなたが望むなら」と応えた。
「望むなら、だけじゃ分かんねえな。聞かせてくれ。おまえの気持ちを」
太一に促され、光子郎は自らの思いを話し始めた。
「ぼく……太一さんのこと愛しています。だから、ぼくはずっと、あなたのそばにいたいです」
「なんだかオレよりも、ずっと素直なプロポーズだな」
太一は自分に対して苦笑いした」
「オレの気持ち、受け取ってくれるか?」
「はい」
光子郎は幸せそうに笑った。
「左手出してみろ」
太一は、小箱から指輪を取り出し、差し出された光子郎の左手薬指に輝く銀をはめた。それを光子郎は嬉しそうに眺めていた。
「これってペアリングでしょう? 太一さんのはないんですか?」
光子郎が聞くと、太一は
「ああ、もちろんあるよ」と答えた。
「ぼくにもはめさせてください」
「ちょっと待ってろ」
太一は自分の指輪を置いていた書斎へ向かった。少しして、布張りの小箱を持って、太一は戻ってきた。小箱を光子郎に手渡すと、光子郎は太一が自分にしてくれたように、彼の左手薬指に指輪をはめた。
「まるで結婚式みたいだな」
照れながら太一が言うと、光子郎は、
「6月ですし」と返事をした。
「ん……? ジューンブライド?」
疑問系でつぶやいた太一は、「あーなるほど」と独り言をぶつぶつ言いながら、なぜか少々焦ったような顔をした。そんな太一の様子を見て、光子郎は疑問に思う。
「あれ、意識していたわけじゃ……」
光子郎の発言に太一はぎくっとした。そして一言。
「全くなかった。すまん」
潔い太一の言葉に、光子郎は吹き出した。
「太一さんらしい」
「あっ、笑うなよ」
「すみません」
膨れていた太一も、光子郎につられて笑顔になる。そして太一は、自分の伴侶となった光子郎を優しく抱きしめた。
*
「太一さんが、そんなふうに言ってくれたことがうれしくて仕方がなくて、ぼくはちょっとだけ泣いてしまって、大好きでたまらなかった人にプロポーズされて、ぼくは本当に……って、すっかりただの惚気話になってしまいました」
プロポーズ劇の顛末を話し終えた光子郎は、照れくさそうに頭を掻いた。
「やーん、いいですねえ! 幸せいっぱいで」
京が両頬に手を当て、歓声をあげた。
「よお、なんだか楽しそうだな」
突然、ふたりの間に入る声がした。光子郎と京は同時に声のした方を見る。すると、そこには太一の姿があった。
「噂をすれば太一さん! ご無沙汰してますぅ」
「おう。久しぶりだな、京。元気か? って訊くまでもないか」
太一は見るからにウキウキしている京の様子に苦笑いをした。
「あれ、太一さん。今日は本省勤務では」
光子郎が疑問を投げかけると、太一は、
「ちょっと用事があってな。大使館寄ったんだ」
と答えた。
現在、外務省ではデジタルワールドは宇宙と同様な領域として扱われており、デジタルワールドも宇宙空間と同じく、領有を禁止されている。そして、デジタルワールドへ行くには専用のゲートを通らなくてはならないため、かの世界は一種の国である、という扱いにもなっていて、非常にややこしい状況なのだ。それ故デジタルワールドにも各国の大使館が作られ、現実世界側にも大使館が置かれている。そして日本のデジタルワールド大使館は、光子郎の勤務するデジタルワールド研究所に隣接して開設されている。太一はそこで領事も務めているのだ。今日は光子郎の言葉の通り、外務省本省にあるデジタルワールド局へ勤務している。
そんな太一は光子郎の隣の席に座った。
「太一さん、何か飲みます? ぼく買ってきますよ」
「いいや、すぐ戻るから大丈夫だ。ありがとな」
それではさすがに、と光子郎はセルフサービスのお冷やを取りに席を立った。
残された太一と京は、光子郎がいない隙にこそこそと話をしていた。
「で、オレの噂って何の話してたんだ?」
聞かれた京は、太一に向かって先ほどまで光子郎と話していた内容を意気揚々と伝えた。
「なるほどな。オレと光子郎の近況についてか」
「太一さん、ご自宅にいるときの泉先輩のとっておき情報とか、あります?」
「そうだなあ。あ、光子郎は普段割とズケズケ言うけどな、オレとふたりきりだと、しおらしくなってかわいいぞ。それになあ、光子郎はオレと一緒に寝てるときさあ、恥ずかしながらも」
「ちょっと? 太一さん、プライバシーの侵害ですからやめてください」
調子に乗っていろいろと話し出しそうな太一に向かって、お冷やを持って戻ってきた光子郎は内心慌てつつも、お冷やの入ったカップをテーブルに向かって強めに置き、話題を真顔で制止した。
このあと10分ほど3人で談笑していたが、ふと太一は自分の腕時計を見た。
「いけね、そろそろ本省戻るよ。今日はなるべく早く帰るから」
お冷やの残りを一気に飲み干すと、太一は立ち上がった。
「分かりました。お疲れ様です」
「またな、京。賢によろしく言っといてくれ」
「了解しましたぁ。お仕事ファイトです、太一さん」
「おう」
太一はさわやかな笑顔を向け、その場を去って行った。それから程なくして、京も帰ることになった。
「じゃあ、泉先輩。また来ますね!」
「ええ。体調には気をつけてくださいね」
「ありがとうございますー!」
元気よく去る京を見送り、仕事に戻った光子郎は、しばらく、研究の解析データが映し出されるモニタと格闘していた。その合間、何気なく自分のスマートフォンの通知を見た。すると。太一からメッセージアプリに連絡が来ていた。
>さっきはからかってすまない。今日は何時頃、研究所出る?
いいえ。
今はそれほど立て込んでないので、遅くとも19時ごろまでには出ようかと。買い物もしようと思っていますし
>そうか。
太一さんはどうですか?
>オレは20時までには帰れるかな
そうですか。なら、今日はぼく作りますね
リクエストあります?
>うーん……残ってる材料で美味いやつ
分かりました。考えます
返信を終えた光子郎は、スマートフォンにロックをかけ、机の引き出しの中へ入れた。
「太一さんの好きなもの……何を作ろうかなあ」
自宅の冷蔵庫やパントリーにある食材を思い浮かべ、仕事の傍ら、頭を悩まし始めた。
「そういえば、太一さんが好きな、あれの素があったかな……具材もあるし、だったら……うん」
太一が喜びそうなメニューを思いつき、パソコンのモニタと向き合っていた光子郎はほほえんだ。
それから数時間後。
光子郎が自宅のキッチンで夕食を作っていると、そこへ太一が帰宅した。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「お、いーにおい」
太一は立ちこめる匂いを嗅ぎ、夕食の品を当てようとした。
「これは……ビーフシチューか?」
「あたりです」
「やった」
自分の好物に、太一は嬉しそうに笑った。そして、光子郎にあることを告げる。
「ワイン買ってきたんだけど」
「えっ」
戸惑う光子郎に向かって太一はにやりと笑い、一言。
「飲むだろ?」
お酒は好きだが弱い光子郎は、ためらいながらも、うれしそうに「はい」と答えた。
「手を洗ったら、オレも手伝うよ」
「いえ、座って待っててください。太一さん、疲れているでしょう?」
光子郎の気遣いに、太一は「いいや」と言った。
「それより、ふたりでやったほうが早く、一緒に食べられるだろ? 一緒に食おうぜ」
仕事で疲れているにも関わらず、自分に向けられた太一の好意に光子郎は甘えることにした。
十数分後。
「よっしゃ、完成!」
食卓には、炊きたてのご飯と、ビーフシチューやサラダ、そして太一が買ってきたワインが並んだ。
「まずは乾杯でもするか」
「そうですね」
ワインを注いだグラスを手に持ち、お疲れ様、乾杯、と互いのグラスを鳴らせる。
「飲み過ぎんなよ」
「分かってます」
弱いくせにワインも好きな光子郎に、念のため太一は釘を刺す。ある程度、グラスの赤が減ったところで、食事に手を付けることにした。
「いただきます」
ふたりはそろって食べ始めた。
太一は早速、好物から手を付けた。
「んまい」
「味付けとか、どうですか?」
「美味いよ。もしかしたらこれまでで一番かも」
「本当ですか? よかった」
太一の感想に光子郎は、ほっとした表情を見せた。
「明日はオレが作るな」
「楽しみにしてます」
太一に向かって光子郎は、にこにこと笑った。
「それにしても最近の光子郎さあ、前以上に料理上手くなって、オレ、教えがいがないもんなあ」
「でも、ぼくは太一さんが作ってくれるご飯を食べるの、好きですよ。ぼくが作るのよりずっと美味しいし」
茶碗を持っていた太一は、その手をテーブルの上まで下げる。
「褒めるのも上手になったな」
「本当のことですよ」
「でも、光子郎のメシ美味いからな。別に自分を下げなくていいんだぞ?」
「だって、あなたには到底及ばないですよ」
「謙遜も天才級だな、泉博士殿」
口を尖らせた太一のそのそぶりに「なんですか、それ」と光子郎が吹き出し、お互いに笑い合う。
夕食の後、食器を片付け、太一、光子郎の順番で入浴した。
入浴後、光子郎が寝室に向かうと。
「寝てる……」
太一はベッドの上で先に寝息を立てていた。
(明日は休みだし、ちょっとだけ期待したんだけどな)
光子郎は少し残念に思っていた。
だけど。太一はデジタルワールドと現実世界のため、日々身を削って働いている。光子郎がデジタルワールドの研究に没頭出来るのも他ならぬ太一のおかげだ。そう考えると、この寝顔もなんだか愛おしくなる。それに、太一のこの無防備な姿は、自分といるときにしか見せないのだ。それだけ信頼されていることに光子郎は自然と笑みがこぼれる。
(明日、ぼくから言ってみようかな。抱いてほしいって)
光子郎は隣で寝ている太一の手にそっと、自分の手を重ね合わせた。
デジタルワールド研究所に所属する研究員の泉光子郎は、研究所内にあるカフェテラスにて、総務課に所属し、現在は育児休暇中の一乗寺(旧姓・井ノ上)京とお茶をしていた。
京は生まれたばかりの息子と幼稚園に上がったばかりの娘の自慢を、光子郎に向かって永遠としていたが、光子郎はむしろ興味津々で、彼女の子供たちについて、いろいろと質問をしていた。
話の合間に、コーヒーカップを持ち上げた光子郎の左手をちらりと見た瞬間、京の目が光った。
「泉先輩。さっきから気になっていたんですけど」
「なんですか、京くん」
このときすでに、京に何を聞かれるのか光子郎には大方予測がついていた。
「先輩のその、左手薬指……もしかして」
言われた光子郎は「ああ」とつぶやき、コーヒーカップを置き、左手薬指に右手を添えた。
「京くんは相変わらずめざといですね」
「もしやもしや。ついにプロポーズされたんですか?」
「ま、まあ……そうです」
「きゃーーおめでとうございます!」
京は一気に色めき立った。
光子郎は京に「京くん、声が大きいです」と声を潜めながら言った。すると京は、声を潜めながら、
「太一さんからなんてプロポーズされたのか、あたしすっごく気になるんですけどぉ」
と、光子郎に返した。
(きっと、言わないと京くんは納得しないだろうな)
と思った光子郎は、小声で京に話し始めた。
「この前、家で夕飯後の洗い物をしていたときに、太一さんの挙動が、いつもとは違っておかしかったんです」
まるで怪談のような出だしに、京は思わず息を飲んだ。
「ずっとそわそわしていて。それでぼく、聞いてみたんです。『どうしたんです? 何かあったんですか』って。そしたら、『おまえに大事な話がある』って言われまして」
「うんうん」
「えーっと、京くん」
「なんです? 泉先輩」
「そんなに身を乗り出して聞く話でもないと思うんですけど……」
そう。気がつけば京は光子郎のすぐ目の前に迫る勢いで身を乗り出していたのだ。
「あたしにとっては身を乗り出すほどの話です! 先輩。さっ、続きを!」
そんな京に光子郎は苦笑いをこぼした。
「それで、ぼくは洗い物が終わるまで待ってくださいって言ったんです。大事な話なら、家事片手間で聞くもんじゃないと思って。太一さんは了解してくれました。でも、やっぱり様子がおかしくて……」
そこからの光子郎の話はこうだった。
太一の様子が気になりつつも、光子郎は洗い物を終わらせて、太一のそばへ近寄った。すると、太一は思い詰めた様子で光子郎を見つめていた。それを目にして、光子郎は内心どきりとした。
「大事な話ってなんですか? また、どこかに転勤で」
「いいや、そうじゃない」
太一は首を横に振った。
これまで、大事な話と太一から切り出されると、海外への長期の出張や、転勤の場合が多かったのだが、やはり違った。
不安が募る光子郎をよそに、太一は呼吸を整え、意を決して話し始めた。
「オレからの大事な話はコレだ」
太一は、右手に何かを隠しながら光子郎の目の前に何かを差し出す。彼が右手を離すと、そこにはビロードに包まれた小箱があった。太一は小箱を開きながら、光子郎に言った。
「オレの伴侶になってくれないか?」
光子郎の目の前に差し出された小箱の中心には、銀色に輝く環があった。太一の口から出たのは紛れもない、プロポーズの言葉だった。
大学生の頃から一緒に暮らし始め、互いの仕事の都合で遠距離になっても、太一と光子郎は変わらず、恋人同士でいた。だけど、ふたりの関係を決定づける「何か」はないままだった。光子郎は、このままの関係がゆるゆると続いていくのだと思っていた。なのに、今。自分は太一からプロポーズされている。光子郎は信じられない気持ちで一杯だった。
「ぼく……なんかでいいんですか」
「なんか、じゃない。光子郎じゃなきゃだめだ」
外交官として、第一級の実力を持つまでになった太一は、今や引く手数多。良家の子女からの縁談が舞い込んでもおかしくはなかった。
だが、太一が未来を選ぼうとしている相手は、他ならぬ、ここにいる光子郎だった。
「オレがずっとハッキリしなかったのは悪かったと思ってる。今現在の状況に満足していたところもある。だけど、オレの人生には、おまえが必要だ。光子郎には、オレのそばにいてほしいんだ。だからこれからも」
一旦言葉を止めた太一は、小さく息を吸う。
「オレと、共に生きてくれ」
太一の言葉を噛みしめた光子郎は頷きながら、
「はい、あなたが望むなら」と応えた。
「望むなら、だけじゃ分かんねえな。聞かせてくれ。おまえの気持ちを」
太一に促され、光子郎は自らの思いを話し始めた。
「ぼく……太一さんのこと愛しています。だから、ぼくはずっと、あなたのそばにいたいです」
「なんだかオレよりも、ずっと素直なプロポーズだな」
太一は自分に対して苦笑いした」
「オレの気持ち、受け取ってくれるか?」
「はい」
光子郎は幸せそうに笑った。
「左手出してみろ」
太一は、小箱から指輪を取り出し、差し出された光子郎の左手薬指に輝く銀をはめた。それを光子郎は嬉しそうに眺めていた。
「これってペアリングでしょう? 太一さんのはないんですか?」
光子郎が聞くと、太一は
「ああ、もちろんあるよ」と答えた。
「ぼくにもはめさせてください」
「ちょっと待ってろ」
太一は自分の指輪を置いていた書斎へ向かった。少しして、布張りの小箱を持って、太一は戻ってきた。小箱を光子郎に手渡すと、光子郎は太一が自分にしてくれたように、彼の左手薬指に指輪をはめた。
「まるで結婚式みたいだな」
照れながら太一が言うと、光子郎は、
「6月ですし」と返事をした。
「ん……? ジューンブライド?」
疑問系でつぶやいた太一は、「あーなるほど」と独り言をぶつぶつ言いながら、なぜか少々焦ったような顔をした。そんな太一の様子を見て、光子郎は疑問に思う。
「あれ、意識していたわけじゃ……」
光子郎の発言に太一はぎくっとした。そして一言。
「全くなかった。すまん」
潔い太一の言葉に、光子郎は吹き出した。
「太一さんらしい」
「あっ、笑うなよ」
「すみません」
膨れていた太一も、光子郎につられて笑顔になる。そして太一は、自分の伴侶となった光子郎を優しく抱きしめた。
*
「太一さんが、そんなふうに言ってくれたことがうれしくて仕方がなくて、ぼくはちょっとだけ泣いてしまって、大好きでたまらなかった人にプロポーズされて、ぼくは本当に……って、すっかりただの惚気話になってしまいました」
プロポーズ劇の顛末を話し終えた光子郎は、照れくさそうに頭を掻いた。
「やーん、いいですねえ! 幸せいっぱいで」
京が両頬に手を当て、歓声をあげた。
「よお、なんだか楽しそうだな」
突然、ふたりの間に入る声がした。光子郎と京は同時に声のした方を見る。すると、そこには太一の姿があった。
「噂をすれば太一さん! ご無沙汰してますぅ」
「おう。久しぶりだな、京。元気か? って訊くまでもないか」
太一は見るからにウキウキしている京の様子に苦笑いをした。
「あれ、太一さん。今日は本省勤務では」
光子郎が疑問を投げかけると、太一は、
「ちょっと用事があってな。大使館寄ったんだ」
と答えた。
現在、外務省ではデジタルワールドは宇宙と同様な領域として扱われており、デジタルワールドも宇宙空間と同じく、領有を禁止されている。そして、デジタルワールドへ行くには専用のゲートを通らなくてはならないため、かの世界は一種の国である、という扱いにもなっていて、非常にややこしい状況なのだ。それ故デジタルワールドにも各国の大使館が作られ、現実世界側にも大使館が置かれている。そして日本のデジタルワールド大使館は、光子郎の勤務するデジタルワールド研究所に隣接して開設されている。太一はそこで領事も務めているのだ。今日は光子郎の言葉の通り、外務省本省にあるデジタルワールド局へ勤務している。
そんな太一は光子郎の隣の席に座った。
「太一さん、何か飲みます? ぼく買ってきますよ」
「いいや、すぐ戻るから大丈夫だ。ありがとな」
それではさすがに、と光子郎はセルフサービスのお冷やを取りに席を立った。
残された太一と京は、光子郎がいない隙にこそこそと話をしていた。
「で、オレの噂って何の話してたんだ?」
聞かれた京は、太一に向かって先ほどまで光子郎と話していた内容を意気揚々と伝えた。
「なるほどな。オレと光子郎の近況についてか」
「太一さん、ご自宅にいるときの泉先輩のとっておき情報とか、あります?」
「そうだなあ。あ、光子郎は普段割とズケズケ言うけどな、オレとふたりきりだと、しおらしくなってかわいいぞ。それになあ、光子郎はオレと一緒に寝てるときさあ、恥ずかしながらも」
「ちょっと? 太一さん、プライバシーの侵害ですからやめてください」
調子に乗っていろいろと話し出しそうな太一に向かって、お冷やを持って戻ってきた光子郎は内心慌てつつも、お冷やの入ったカップをテーブルに向かって強めに置き、話題を真顔で制止した。
このあと10分ほど3人で談笑していたが、ふと太一は自分の腕時計を見た。
「いけね、そろそろ本省戻るよ。今日はなるべく早く帰るから」
お冷やの残りを一気に飲み干すと、太一は立ち上がった。
「分かりました。お疲れ様です」
「またな、京。賢によろしく言っといてくれ」
「了解しましたぁ。お仕事ファイトです、太一さん」
「おう」
太一はさわやかな笑顔を向け、その場を去って行った。それから程なくして、京も帰ることになった。
「じゃあ、泉先輩。また来ますね!」
「ええ。体調には気をつけてくださいね」
「ありがとうございますー!」
元気よく去る京を見送り、仕事に戻った光子郎は、しばらく、研究の解析データが映し出されるモニタと格闘していた。その合間、何気なく自分のスマートフォンの通知を見た。すると。太一からメッセージアプリに連絡が来ていた。
>さっきはからかってすまない。今日は何時頃、研究所出る?
いいえ。
今はそれほど立て込んでないので、遅くとも19時ごろまでには出ようかと。買い物もしようと思っていますし
>そうか。
太一さんはどうですか?
>オレは20時までには帰れるかな
そうですか。なら、今日はぼく作りますね
リクエストあります?
>うーん……残ってる材料で美味いやつ
分かりました。考えます
返信を終えた光子郎は、スマートフォンにロックをかけ、机の引き出しの中へ入れた。
「太一さんの好きなもの……何を作ろうかなあ」
自宅の冷蔵庫やパントリーにある食材を思い浮かべ、仕事の傍ら、頭を悩まし始めた。
「そういえば、太一さんが好きな、あれの素があったかな……具材もあるし、だったら……うん」
太一が喜びそうなメニューを思いつき、パソコンのモニタと向き合っていた光子郎はほほえんだ。
それから数時間後。
光子郎が自宅のキッチンで夕食を作っていると、そこへ太一が帰宅した。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「お、いーにおい」
太一は立ちこめる匂いを嗅ぎ、夕食の品を当てようとした。
「これは……ビーフシチューか?」
「あたりです」
「やった」
自分の好物に、太一は嬉しそうに笑った。そして、光子郎にあることを告げる。
「ワイン買ってきたんだけど」
「えっ」
戸惑う光子郎に向かって太一はにやりと笑い、一言。
「飲むだろ?」
お酒は好きだが弱い光子郎は、ためらいながらも、うれしそうに「はい」と答えた。
「手を洗ったら、オレも手伝うよ」
「いえ、座って待っててください。太一さん、疲れているでしょう?」
光子郎の気遣いに、太一は「いいや」と言った。
「それより、ふたりでやったほうが早く、一緒に食べられるだろ? 一緒に食おうぜ」
仕事で疲れているにも関わらず、自分に向けられた太一の好意に光子郎は甘えることにした。
十数分後。
「よっしゃ、完成!」
食卓には、炊きたてのご飯と、ビーフシチューやサラダ、そして太一が買ってきたワインが並んだ。
「まずは乾杯でもするか」
「そうですね」
ワインを注いだグラスを手に持ち、お疲れ様、乾杯、と互いのグラスを鳴らせる。
「飲み過ぎんなよ」
「分かってます」
弱いくせにワインも好きな光子郎に、念のため太一は釘を刺す。ある程度、グラスの赤が減ったところで、食事に手を付けることにした。
「いただきます」
ふたりはそろって食べ始めた。
太一は早速、好物から手を付けた。
「んまい」
「味付けとか、どうですか?」
「美味いよ。もしかしたらこれまでで一番かも」
「本当ですか? よかった」
太一の感想に光子郎は、ほっとした表情を見せた。
「明日はオレが作るな」
「楽しみにしてます」
太一に向かって光子郎は、にこにこと笑った。
「それにしても最近の光子郎さあ、前以上に料理上手くなって、オレ、教えがいがないもんなあ」
「でも、ぼくは太一さんが作ってくれるご飯を食べるの、好きですよ。ぼくが作るのよりずっと美味しいし」
茶碗を持っていた太一は、その手をテーブルの上まで下げる。
「褒めるのも上手になったな」
「本当のことですよ」
「でも、光子郎のメシ美味いからな。別に自分を下げなくていいんだぞ?」
「だって、あなたには到底及ばないですよ」
「謙遜も天才級だな、泉博士殿」
口を尖らせた太一のそのそぶりに「なんですか、それ」と光子郎が吹き出し、お互いに笑い合う。
夕食の後、食器を片付け、太一、光子郎の順番で入浴した。
入浴後、光子郎が寝室に向かうと。
「寝てる……」
太一はベッドの上で先に寝息を立てていた。
(明日は休みだし、ちょっとだけ期待したんだけどな)
光子郎は少し残念に思っていた。
だけど。太一はデジタルワールドと現実世界のため、日々身を削って働いている。光子郎がデジタルワールドの研究に没頭出来るのも他ならぬ太一のおかげだ。そう考えると、この寝顔もなんだか愛おしくなる。それに、太一のこの無防備な姿は、自分といるときにしか見せないのだ。それだけ信頼されていることに光子郎は自然と笑みがこぼれる。
(明日、ぼくから言ってみようかな。抱いてほしいって)
光子郎は隣で寝ている太一の手にそっと、自分の手を重ね合わせた。
