1章

 休憩後、予約の時間よりも早めに晴馬はやってきた。香織里は営業所に入って右手にある相談室に案内し、一歩と一緒に挨拶をする。
 アシスタントの東条です、と頭を下げると、晴馬は憔悴しきった顔で、どうも、と小さく返事をした。
 母を亡くした時の、父の顔と重なる。
 沈んだ表情を見ていると、香織里の気持ちも沈みそうになってしまう。隣で、一歩が晴馬を労わる声をかけるのを、香織里は黙って聞いていた。
「大変でしたね。お話を色々とお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか」
 一歩が声をかけると、晴馬は少しだけ泣き出しそうな表情をした。目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。
「父が死んだのは、深夜なんです。病院から電話がかかってきて、慌てて行ったんです。僕くらいしかいなくて。兄は家を出ていていないし、母も既に死んでていないし。死んだら死んだで、病院からは早く手続きをしてくれと言われるし。すみません、とりあえず病院から移動しないとって思って、電話をかけさせてもらっただけで、それ以外のことは何も考えてないんです。父も、葬儀については何も話していなかったし……」
 患者が死んだら、病院は態度をガラッと変えるというのは、よくある話だ。香織里の母が死んだ時もそうだった。父は対応に困り、結局、葬儀屋に電話をして、亡骸を運んでもらった。動揺している中でも、しなくてはいけない手続きがたくさんある。冷静に判断できない中、頼りになるのは葬儀屋なのだ。
 晴馬は、家に父と二人で住んでいたという。親族の中で頼りになる人もおらず、ここまで一人で来たようだ。
 これからどうしよう。晴馬の心の中の声が、香織里にははっきりと聴こえた。
 ここに来たからには、安心してほしかった。それができるのは、自分ではなく、一歩だ。では、自分は何ができるのだろうか。ここに黙って座って話を聞くより、もっとできることはないのか――。
 ふと、香織里は、弁当と一緒に入れていたコーヒーのドリップバッグを思い出す。
 なんで今まで、こうしてこなかったのだろう。疲れている中、相談に来た人にお茶すら出さなかったなんて。
 一歩には黙って席を立った。弁当袋からドリップバッグを取り出し、コーヒーを淹れる。コーヒーかお茶か聞きそびれたのはミスだったが、何も出さないよりはマシだと思った。砂糖とミルク、それにパウンドケーキを添えて持っていった。
「あの、お疲れだと思うんで、良かったら……」
 差し出されたケーキとコーヒーを見た晴馬の表情が、一瞬和らいだのを、香織里は見逃さなかった。一歩は何か言いたそうにしていたが、客を前にして言うことではないと判断したのか、何も言わなかった。
「ありがとうございます。昼も、気分的に何も食えなくて……助かります……、ここに来て、なんか、ちょっと安心しちゃって、腹減ってたんです」
「そうですか。良かったです。ゆっくりしてください」
 コーヒーとケーキを味わっている時、晴馬の肩に何かもやのようなものが見えた気がしたが、目にゴミが入ったのだろうと思って、香織里は何度か瞬きをした。そうしている間に晴馬はケーキを平らげた。その時にはもう、もやのようなものも消えていた。
 食べ終わったあと、一歩はこう提案した。
「今日はプランを立てるのはやめておきましょう。急がなくて大丈夫です。今日はお兄さんなど親族の方と連絡を取ることを先にしてください。明日以降、少しずつ決めていきましょう」
「え、いいんですか、そんなにゆっくりしていても」
「はい。一週間かけてゆっくり準備される方もいらっしゃいますし、うちは急ぎません。納得できる形でお別れしてほしいので」
 テーブルの上に置いていたパンフレットの表紙には『繋がり、いい別れ』というキャッチコピーが書かれていた。あいメモリーの目指す葬儀の形だ。
 亡き人も、遺された人も、皆が繋がり、いい別れをする。それがこの会社の目指す葬儀だった。
 晴馬はあいメモリーのパンフレットをリュックの中に入れ、帰って行った。
「香織里さん。あんなことすると、他の人にも同じサービスをしなくてはいけなくなる」
「やっぱり、余計なことでしたよね、すみません」
 でも、必要だと思った。香織里は謝りながらも、申し訳ないとは思っていなかった。
「アシスタントの仕事だと、思ったんです」
「え、何?」
「いえ、なんでもありません」
 自分のデスクに戻り、残りのコーヒーを飲んでいると、園子が「なんか良い香りがするわあ~」と上機嫌で営業所に戻ってきた。
 一歩と香織里の間に流れている空気に気付いたのか、園子は休憩室にあるタッパーを持ってきて、一歩の隣に座った。
「香織里ちゃんの差し入れを食べない人には天罰が下ります、はい、かずちゃん、おばちゃんがあーんしてあげる」
「ちょ、やめろっ、自分で食うからやめろ!」
 園子と一歩のやりとりを横目で見ながら、やっぱり持ってくるんじゃなかったかなと香織里は後悔していた。
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