1章

 パウンドケーキを入れたタッパーと、弁当を袋に詰め、コーヒーを淹れる。朝の憂鬱な気分を、コーヒーの香りが慰めてくれていた。
 職場の机の中にも、すぐコーヒーを淹れられるようにドリップバッグを入れていた。それももうすぐ切れそうだったことを思い出し、追加分のドリップバッグも弁当と一緒に袋の中に入れた。こだわりがあるわけではないが、自分で選んだ豆のものを飲みたかった。
 慌てて二階から駆け降りてきた愛翔を見送り、父に一言声をかけて香織里も出勤である。沈んだ気持ちを上げるために、車にはお気に入りのアルバムを用意しているが、一曲ちょっとですぐ職場に着いてしまう。前の職場は三十分ほどかかり大変だと思っていたが、今となってはその時間が恋しい。
 出勤後、すぐに休憩室にタッパーを置いた。付箋には『作りすぎてしまいました。よかったら食べてください』と簡単に書いておいた。お昼の休憩の時には園子に声をかけようと決めた。園子くらいしか、声をかけられそうな人がいなかった。あいメモリーには数人のコーディネーターやアシスタントが勤務しているが、接点があまりなかった。
 一歩が甘いものを食べてるところを、香織里は見たことがなかった。そういえば、昨日の袋の中に残してあったものはなんだったのだろう。後で食べると言っていたが、それを食べているところを香織里は見ていない。
 気持ちを切り替え、明日に控えている葬儀のタイムスケジュールを確認していると、一本の電話が入った。香織里が先に取ろうとすると、隣に座っていた一歩が取ってしまった。
 電話くらい、アシスタントの自分がするのに、電話すら任せてもらえないのか。そのようなことを思っている隣で、何食わぬ顔をしながら一歩が相槌を打っている。
 付箋にメモを取っていた。新しいお客様だろうか。香織里は少し椅子から腰を浮かせて、一歩の手元を見た。香織里も名前は知っている、比較的大きな病院の名前が書かれていた。
「はい、では、すぐに手配します。安置もこちらでさせていただきますね。はい。では営業所にお越しください」
 そう言って、受話器を置いた。メモを香織里に寄越す。
「寝台車の手配をお願い。安置場所はうち。午後に息子さんが相談に来るから、香織里さんはその準備をしておいて」
 香織里はメモを受け取り、遺体搬送を請け負っている業者に電話をかけた。一歩は明日の式の打ち合わせ準備をしている。
 病院と搬送先を業者に伝えた後、午後に向けて新しいプランシートを用意する。一歩から聞いた名前を記入しておいた。
 故人は村上喜一、電話をかけてきたのはその息子で、晴馬というらしい。
 業者への連絡が終わりしばらく待っていると、寝台車がホールの前に到着した。そこで、晴馬と初めて顔を合わせた。一歩と歳が近そうだ。よれよれのパーカーを着ていて、酷く疲れている様子だった。安置室に亡骸を移したあと、晴馬は一度帰宅した。
 その後は一歩とともに、職員たちと明日の式の打ち合わせをする。明日の式に集中できると思っていたが、新しい相談が入って香織里は落ち着かなかった。
 明日の式では、大きめの花祭壇を用意することになっている。園子は祭壇の準備があり、昼休憩の時間が香織里と合わなかった。
 パウンドケーキを持ってくるタイミングが良くなかったなと思いながら、一歩と二人きりの休憩に入る。
 先に休憩室に入っていた一歩は、レンジで弁当を温めつつ、タッパーをじっと見ていた。
 このタイミングで持ってくるなよ、とでも思っているのだろうか。付箋には香織里の名前を書いてしまっている。恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
 レンジが鳴り、はっとした一歩は、香織里の顔を一瞬見て、一言聞いてきた。
「趣味?」
「あ、はい……、目的があって作ったわけじゃなくて、作りたい気分だったから作った、みたいな……。福原さんは甘いのお好きですか」
 一歩の弁当は、コンビニで買ったうどんだけだった。小食なのだろうか。体が細い一歩を見ていて、香織里はいつも思う。
「後でもらうから、置いておいて」
 それから一歩は黙ってうどんを啜っていた。一歩の「後で」はいつなのだろう。香織里は退勤する時には残っていても持って帰るつもりだった。回収のタイミングに悩むくらいなら、持ってこないほうが良かったかもと、香織里は項垂れながら自分の弁当を食べた。
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