おまけ
バレンタイン、クリスマス――季節イベントに合わせて商品開発を行うというのは、cafeおてんとも例外ではなかった。
九月中旬、香織里に任されたのは、ハロウィンパフェの開発だった。
あいメモリーが大切にするイベントはお盆やお彼岸といった供養に関するものだが、カフェはそれよりも自由がある。平次から、カフェはカフェでイベントをしてほしいと言われたのである。ハロウィンものは10月上旬、早くて九月下旬から巷に出てくる。本来ならもう少し早めに頼むべきだったという断りは一応あった。
ハロウィンなら焼き菓子と思っていたのだが、平次はおてんとcafeの主力メニューであるパフェがいいとリクエストしてきた。かぼちゃで考えていたのだが、パフェになるとなかなかいい案が思い浮かばない。
というのも、cafeおてんとは地元でとれたフルーツをメインにしていて、それらはかぼちゃと合いにくかったのだ。
アイデアがなかなか出ないまま数日過ごしていると、一歩が気を利かせてくれたのか、ネタ集めにカフェめぐりに行くかと誘ってくれた。どちらも休日の土曜日だった。
香織里の家まで迎えに来てくれた一歩は、長袖のシャツをめくっていた。香織里も薄手のニットにロングスカートである。
九月も終わろうとしているが、まだ月見メニューを提供しているカフェは多い。最初に寄ったカフェでは、白玉団子と抹茶クリームを合わせたパフェだった。
一歩は純粋にパフェを楽しんでいるらしく「もちもちって美味しいよな」と簡単に感想を述べてからは、いつもと同じように無心になって食べていた。
月見だから団子。団子だったら抹茶。そういう流れで考案したのだろう。
次に行ったカフェでも白玉団子が使われていたが、こちらはみたらしに大学芋を合わせたものだった。黒ごまもしっかりとふられていた。
団子という共通のモチーフは外せない。団子がなければ月見ではないのだ。つまり、ハロウィンなら、かぼちゃというモチーフは外せないということだ。ジャックオランタンがないハロウィンなど、ハロウィンではない。
膨れたお腹をさすりながら、助手席でぼやく。
「どうしようかなあ」
「あまり参考にならなかった?」
「参考にはなったけど。私が納得できなくて。もう時間もないし……」
かぼちゃも諦めたくない。フルーツも諦めたくない。美味しさも損ないたくない。
考えていると、次第に眠くなった。うとうとしていると、握っていたスマホが鳴る。
父からかと思ったが、相手は愛翔だった。『明日、帰る』という簡単なメッセージが表示されている。
「え、いきなり? もう、早く言ってよ……」
「どうしたの」
「愛翔が明日帰ってくるって」
その間にも、愛翔から追加のメッセージが届く。甘いお菓子を買って帰るから、一歩も呼んだらどうかという内容だった。
「――って言ってるけど、どうしよう。今日、一歩くんのアパートに泊まるつもりだったけど」
「じゃ、僕がそっちに泊まる。お父さんも特に何も言わないでしょ」
「そうだね、お父さん、一歩くんにはいつでも来てほしいって思ってるよ」
一旦、一歩のアパートに寄り、必要なものを持って香織里の家に向かった。到着したのは午後三時。
リビングにいた父は一歩の顔を見るや否や、顔を綻ばせて迎えた。一歩は照れているのか、はにかんでぺこりと頭を下げた。
三人分のコーヒーを用意しているあいだ、戸棚からクッキーを出してリビングの机に持っていく。散々パフェを食べたのに、一歩はすぐに手を出していた。最初は遠慮がちだった一歩だが、最近はあまり遠慮しなくなっていた。
「お父さん、明日、愛翔が帰ってくるって知ってた?」
「知らないよ。愛翔から連絡なんて滅多にこないし」
「そうなの? 明日、帰ってくるって」
「それはそれは。あ、一歩くん、今日、飲むよね?」
毎回、一歩に飲ませようとする父を咎めたが、一歩は甘いチューハイならちょっとだけ、と言った。
まだ愛翔が飲めないから、一歩を誘う。同性同士で飲みたいのだろう。娘と飲むよりは楽しいはずだ。そこに嫉妬はない。相手がいて良かったなと思うだけである。
一歩のコーヒーには砂糖と牛乳をたっぷり入れ、三人で少しだけお茶をしたあと、香織里はすぐに買い出しに出た。
晩は父が好きな肉じゃがと、二人の酒のつまみ用で鶏ささみの梅和えを用意することにする。
問題は明日だ。愛翔の好きなものは、揚げ物だった。一歩は食べるだろうが、父は脂っこいものが苦手だった。特に愛翔はとんかつが好きだったが、これは父は絶対に食べられない。散々悩んだ結果、とんかつよりも脂が少ないコロッケにした。焼きコロッケなら、父もなんとか食べられるだろう。
家に戻ると、一歩と父は二人でテレビを見ていた。二人が馴染んでいるところを見ると、ほっとする。
夕方には酒とつまみを出した。二人で何をそんなにずっと喋っているのかとキッチンで聞き耳を立てていたが、外で食べたものとか、香織里の作る料理で美味しいものとか、そういう話をずっとしていた。食べるのが好きな二人だった。作り甲斐があった。
夕飯中に香織里のスマホが鳴る。愛翔からの連絡だった。最寄り駅に到着する時間が送られてきている。
「昼過ぎには帰るって。お迎え、お父さんが行く? 私が行く?」
「あ、じゃあ父さんが行くよ。香織里と一歩くんは家でゆっくりしてて」
「分かった。じゃあ、お願い」
「それより一歩くん、お酒、強そうだねえ」
「え、や、普通です、普通」
日本酒、一杯どう? と尋ねられた一歩は狼狽えていた。明らかに苦手そうにしている顔である。一歩は甘いチューハイやカクテルしか飲めない。ビールもワインも日本酒も苦手だ。父も分かっているのだろうが、酔いが回っていて、強引になっていた。
「お父さん、もう、嬉しいからって無理強いするのやめて」
「はあい、そうします」
風呂に行く前に、二人には温かい烏龍茶を出した。父がべろべろに酔っているところは久しぶりに見た。
香織里の部屋に行ってから、一歩が父はいつもあんな感じなのかと聞いてきたが、嬉しくて羽目を外しただけだから、許してあげてほしいとしか言えなかった。
一歩が来るだけでこれなのに、明日、愛翔が帰ってきたら、有頂天になるかもしれない。
だが、父の気持ちも分からなくはない。
自分と父の二人だけでは、この一軒家はとても静かで、寂しいのだ。
「うっすうっす、あ、一歩くん。やっほ」
軽い調子で帰ってきた茶髪青年に、香織里は溜息が出た。
都会に出てから垢抜けたのはいいが、弟が変な方向に走りそうで心配だった。一歩も少しだけ困ったような顔をしながら右手を軽く上げた。
テーブルの上には既にコーヒーがあった。
愛翔がお菓子を買って帰るとわざわざ連絡を寄越すほどだったので、きっとすぐに食べるだろうと思って用意しておいたのである。
「なんかさあ、これ香織里と一歩くん好きかなって思って」
紙袋をそのまま机の上に置き、クッキー缶を出す。缶にはハロウィン風のイラストが印刷されていた。
「どこで買ったの、これ」
蓋を開けず、くるりと回しながら眺める。ジャックオランタンをはじめ、ハロウィンのお化けたちが可愛く描かれていた。
「近所にあるケーキ屋。そこのケーキ屋、結構おいしくてさ。でも、ケーキはさすがに持って帰れなかったから、代わりにクッキーにした」
蓋を開けると、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたクッキーがあった。
一歩や父に一つずつ渡し、香織里も一つ手に取る。
一枚一枚が丁寧にビニール袋に包まれていた。ジャックオランタンの形をしたクッキーだった。目と口はチョコで描かれている。食べると、ほのかにかぼちゃの風味を感じられた。かぼちゃクッキーだ。一歩は早々と食べて、二枚目に手を伸ばしていた。彼は煮たかぼちゃは好きではないのだが、クッキーなら食べられるらしい。
なるほどなあ、と思いながら、クッキー缶の中にあったケーキ屋のパンフレットを見る。秋のケーキが紹介されたパンフレットだった。
目玉商品はモンブランである。たが、ただのモンブランではない。タルト生地の上にはたっぷりの栗のクリームと、フルーツが載ってある。いちご、ブルーベリー、それから栗の甘露煮。
それを見て、香織里はばっと立ち上がった。頭の中に、鮮やかに思い浮かぶものがあった。
「そうすればよかった!」
突然叫んだ香織里に、一歩も愛翔も父もクッキーを持ったままきょとんとしていた。
そんな三人を放置し、脳内に浮かんだものを買いに車に飛び乗った。今すぐ作らないと、このアイデアはすぐにどこかに逃げて行ってしまいそうな気がしたのだ。
バタバタと出かけてしまった香織里を見送った一歩は、どこかで見たことがあるなあと思いながら引き続きクッキーを頬張っていた。きっと香織里のために買ってきてくれたんだろうが、一歩が一番食べている。
「香織里ってあんなキャラだったっけ」
コーヒーを飲みながら、愛翔が呟く。菓子の感想も言ってくれず、放置されていることに、やや不機嫌のようだった。
「ああいう人だったよ。少なくとも、僕は、ああいう香織里さんを何度か見たことがある」
「え? 仕事中に飛び出したりするの?」
父が興味深そうに聞いてくる。
「今はさすがにないでしょうけど……。葬儀の会食中に、お客様がデザートの皿をひっくり返したことがあって。そうしたら、香織里さん、私がどうにかするって言って、飛び出したんです。仕出し料理店に連絡をしたら間に合わないから、自分が作るって、材料一式買いに出たんです。お客様にはとっても喜んでもらえたし、あれを見て、僕からカフェの提案をしたんです」
今となってはもう遠い記憶だが、一歩が香織里の料理の腕を目の当たりにした、忘れられない思い出である。
そのあと、余ったケーキを一人で全部平らげてしまったところまで、きちんと覚えていた。
「へー。あ、じゃあ、一歩くんってそっから香織里のこと気になってたの?」
「ぶふっ」
コーヒーが気管に入ってむせる。胸に砂糖とミルクのむわっとした感じが広がった。
「あー、こらこら、愛翔」
ティッシュケースを渡され、それで口を拭いた。
「や、いいです。大丈夫です。まあ、正直に言えば、そうかも。いや……もしかしたら、その前からかも。お客様にコーヒー出したり、ケーキ出したり……、僕にはできないことをしてくれてたから。それに美味しかったし」
「へえ~! え~! うわ~! なんか聞いてたらこっちが照れるわ!」
「いやこっちも照れるよ」
机に突っ伏すと、ひんやりとして気持ちがいい。
誰かに好意を抱くのは、これが初めてだったというのは、愛翔には黙っておいた。
「香織里ってさ~。俺が言うのもあれだけど、料理しかできないし、ぽやぽやだし、あんなんで本当にいいの?」
「それでいいんだよ。愛翔くんだって、香織里さんのこと、好きなくせに」
「……あは、バレた。もー、恥ずかしいからマジやめろ〜」
背中をバンバン叩かれていると、香織里がバタバタと帰ってきた。そしてそのままキッチンに直行していた。
何をするかは、一歩は分かっていた。香織里の頭の中は、開発中のパフェのことでいっぱいなのだろう。
それからしばらくして、香織里はカップを三つ持ってきた。
ミニパフェだ。栗のクリームがたっぷりと使われている。イチゴ、ブルーベリー、栗の甘露煮がごろっと載せられていた。
愛翔が手を伸ばすと、香織里がその手を止めた。
「あ、まだ。待って」
クッキー缶から三枚クッキーを取り出し、クリームの上に載せる。そして、仕上げにチョコソースをたっぷりかけた。
「かぼちゃとフルーツは絶対に使いたくて。でも、フルーツとかぼちゃの組み合わせがなかなか思い浮かばなかったんだけど、これなら、共存できるって思ったから。試作。よかったら」
自信があまりないのか、一歩たちが食べている間、香織里はテーブルの下で手を握りしめていた。
一歩の顔をちらちらと見てくる。
「……美味しいよ。いつもの、香織里さんの味」
「あっ、よかった……!」
ただそれだけの感想で、香織里の顔がぱっとほころぶ。
それを見た愛翔は、面白くないような顔をしていた。香織里はそれに気が付いたのか、愛翔にも礼を述べる。
「……あ、愛翔が買ってきてくれたクッキーがヒントになったんだよ、ありがとう」
「お、おう」
急に顔を赤くした愛翔を、一歩はついニヤニヤしながら見てしまう。
夕飯のコロッケに一番喜んだのは愛翔だ。やはり姉のことが大好きなのだ。
香織里の母が座っていたという席に、一歩が座らせてもらっている。隣は愛翔だった。席は固定されていて、それぞれが自分の場所に座る。居場所があるというのは、こういうことを言うのだろう。思い入れがあるだろうに、母親の席に座らせてもらっているのが、嬉しかった。
食事中は愛翔の大学の話が中心だった。大学ではうまくいっているらしく、後期の講義ももう決まったらしい。今度の帰省は冬休みにだと聞いて一番寂しそうにしていたのは父親だったが、香織里ももうちょっと帰ってくればいいのにと言っていた。
十月に入り、cafeおてんとは新メニューの広告を出した。
SNSにも写真をアップしている。写真はもちろん一歩が撮った。日頃からお菓子の写真をよく見ている一歩が、誰よりもパフェの映える角度を知っているのだ。
たっぷりのモンブランクリームに、ごろりと載っかったフルーツたち。それから、いたずらな顔や優しい顔をした個性豊かなジャックオランタンのクッキー。どれも香織里が描いたものだ。一つ一つ個性があり、可愛げがあった。
一歩は、葬儀のあった日は必ず食べた。園子に「まーた退勤ラブラブパフェタイムするの?」と茶化されようが、絶対に食べる。そして、そのたびに思う。
これは東条家の味なのだと。
九月中旬、香織里に任されたのは、ハロウィンパフェの開発だった。
あいメモリーが大切にするイベントはお盆やお彼岸といった供養に関するものだが、カフェはそれよりも自由がある。平次から、カフェはカフェでイベントをしてほしいと言われたのである。ハロウィンものは10月上旬、早くて九月下旬から巷に出てくる。本来ならもう少し早めに頼むべきだったという断りは一応あった。
ハロウィンなら焼き菓子と思っていたのだが、平次はおてんとcafeの主力メニューであるパフェがいいとリクエストしてきた。かぼちゃで考えていたのだが、パフェになるとなかなかいい案が思い浮かばない。
というのも、cafeおてんとは地元でとれたフルーツをメインにしていて、それらはかぼちゃと合いにくかったのだ。
アイデアがなかなか出ないまま数日過ごしていると、一歩が気を利かせてくれたのか、ネタ集めにカフェめぐりに行くかと誘ってくれた。どちらも休日の土曜日だった。
香織里の家まで迎えに来てくれた一歩は、長袖のシャツをめくっていた。香織里も薄手のニットにロングスカートである。
九月も終わろうとしているが、まだ月見メニューを提供しているカフェは多い。最初に寄ったカフェでは、白玉団子と抹茶クリームを合わせたパフェだった。
一歩は純粋にパフェを楽しんでいるらしく「もちもちって美味しいよな」と簡単に感想を述べてからは、いつもと同じように無心になって食べていた。
月見だから団子。団子だったら抹茶。そういう流れで考案したのだろう。
次に行ったカフェでも白玉団子が使われていたが、こちらはみたらしに大学芋を合わせたものだった。黒ごまもしっかりとふられていた。
団子という共通のモチーフは外せない。団子がなければ月見ではないのだ。つまり、ハロウィンなら、かぼちゃというモチーフは外せないということだ。ジャックオランタンがないハロウィンなど、ハロウィンではない。
膨れたお腹をさすりながら、助手席でぼやく。
「どうしようかなあ」
「あまり参考にならなかった?」
「参考にはなったけど。私が納得できなくて。もう時間もないし……」
かぼちゃも諦めたくない。フルーツも諦めたくない。美味しさも損ないたくない。
考えていると、次第に眠くなった。うとうとしていると、握っていたスマホが鳴る。
父からかと思ったが、相手は愛翔だった。『明日、帰る』という簡単なメッセージが表示されている。
「え、いきなり? もう、早く言ってよ……」
「どうしたの」
「愛翔が明日帰ってくるって」
その間にも、愛翔から追加のメッセージが届く。甘いお菓子を買って帰るから、一歩も呼んだらどうかという内容だった。
「――って言ってるけど、どうしよう。今日、一歩くんのアパートに泊まるつもりだったけど」
「じゃ、僕がそっちに泊まる。お父さんも特に何も言わないでしょ」
「そうだね、お父さん、一歩くんにはいつでも来てほしいって思ってるよ」
一旦、一歩のアパートに寄り、必要なものを持って香織里の家に向かった。到着したのは午後三時。
リビングにいた父は一歩の顔を見るや否や、顔を綻ばせて迎えた。一歩は照れているのか、はにかんでぺこりと頭を下げた。
三人分のコーヒーを用意しているあいだ、戸棚からクッキーを出してリビングの机に持っていく。散々パフェを食べたのに、一歩はすぐに手を出していた。最初は遠慮がちだった一歩だが、最近はあまり遠慮しなくなっていた。
「お父さん、明日、愛翔が帰ってくるって知ってた?」
「知らないよ。愛翔から連絡なんて滅多にこないし」
「そうなの? 明日、帰ってくるって」
「それはそれは。あ、一歩くん、今日、飲むよね?」
毎回、一歩に飲ませようとする父を咎めたが、一歩は甘いチューハイならちょっとだけ、と言った。
まだ愛翔が飲めないから、一歩を誘う。同性同士で飲みたいのだろう。娘と飲むよりは楽しいはずだ。そこに嫉妬はない。相手がいて良かったなと思うだけである。
一歩のコーヒーには砂糖と牛乳をたっぷり入れ、三人で少しだけお茶をしたあと、香織里はすぐに買い出しに出た。
晩は父が好きな肉じゃがと、二人の酒のつまみ用で鶏ささみの梅和えを用意することにする。
問題は明日だ。愛翔の好きなものは、揚げ物だった。一歩は食べるだろうが、父は脂っこいものが苦手だった。特に愛翔はとんかつが好きだったが、これは父は絶対に食べられない。散々悩んだ結果、とんかつよりも脂が少ないコロッケにした。焼きコロッケなら、父もなんとか食べられるだろう。
家に戻ると、一歩と父は二人でテレビを見ていた。二人が馴染んでいるところを見ると、ほっとする。
夕方には酒とつまみを出した。二人で何をそんなにずっと喋っているのかとキッチンで聞き耳を立てていたが、外で食べたものとか、香織里の作る料理で美味しいものとか、そういう話をずっとしていた。食べるのが好きな二人だった。作り甲斐があった。
夕飯中に香織里のスマホが鳴る。愛翔からの連絡だった。最寄り駅に到着する時間が送られてきている。
「昼過ぎには帰るって。お迎え、お父さんが行く? 私が行く?」
「あ、じゃあ父さんが行くよ。香織里と一歩くんは家でゆっくりしてて」
「分かった。じゃあ、お願い」
「それより一歩くん、お酒、強そうだねえ」
「え、や、普通です、普通」
日本酒、一杯どう? と尋ねられた一歩は狼狽えていた。明らかに苦手そうにしている顔である。一歩は甘いチューハイやカクテルしか飲めない。ビールもワインも日本酒も苦手だ。父も分かっているのだろうが、酔いが回っていて、強引になっていた。
「お父さん、もう、嬉しいからって無理強いするのやめて」
「はあい、そうします」
風呂に行く前に、二人には温かい烏龍茶を出した。父がべろべろに酔っているところは久しぶりに見た。
香織里の部屋に行ってから、一歩が父はいつもあんな感じなのかと聞いてきたが、嬉しくて羽目を外しただけだから、許してあげてほしいとしか言えなかった。
一歩が来るだけでこれなのに、明日、愛翔が帰ってきたら、有頂天になるかもしれない。
だが、父の気持ちも分からなくはない。
自分と父の二人だけでは、この一軒家はとても静かで、寂しいのだ。
「うっすうっす、あ、一歩くん。やっほ」
軽い調子で帰ってきた茶髪青年に、香織里は溜息が出た。
都会に出てから垢抜けたのはいいが、弟が変な方向に走りそうで心配だった。一歩も少しだけ困ったような顔をしながら右手を軽く上げた。
テーブルの上には既にコーヒーがあった。
愛翔がお菓子を買って帰るとわざわざ連絡を寄越すほどだったので、きっとすぐに食べるだろうと思って用意しておいたのである。
「なんかさあ、これ香織里と一歩くん好きかなって思って」
紙袋をそのまま机の上に置き、クッキー缶を出す。缶にはハロウィン風のイラストが印刷されていた。
「どこで買ったの、これ」
蓋を開けず、くるりと回しながら眺める。ジャックオランタンをはじめ、ハロウィンのお化けたちが可愛く描かれていた。
「近所にあるケーキ屋。そこのケーキ屋、結構おいしくてさ。でも、ケーキはさすがに持って帰れなかったから、代わりにクッキーにした」
蓋を開けると、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたクッキーがあった。
一歩や父に一つずつ渡し、香織里も一つ手に取る。
一枚一枚が丁寧にビニール袋に包まれていた。ジャックオランタンの形をしたクッキーだった。目と口はチョコで描かれている。食べると、ほのかにかぼちゃの風味を感じられた。かぼちゃクッキーだ。一歩は早々と食べて、二枚目に手を伸ばしていた。彼は煮たかぼちゃは好きではないのだが、クッキーなら食べられるらしい。
なるほどなあ、と思いながら、クッキー缶の中にあったケーキ屋のパンフレットを見る。秋のケーキが紹介されたパンフレットだった。
目玉商品はモンブランである。たが、ただのモンブランではない。タルト生地の上にはたっぷりの栗のクリームと、フルーツが載ってある。いちご、ブルーベリー、それから栗の甘露煮。
それを見て、香織里はばっと立ち上がった。頭の中に、鮮やかに思い浮かぶものがあった。
「そうすればよかった!」
突然叫んだ香織里に、一歩も愛翔も父もクッキーを持ったままきょとんとしていた。
そんな三人を放置し、脳内に浮かんだものを買いに車に飛び乗った。今すぐ作らないと、このアイデアはすぐにどこかに逃げて行ってしまいそうな気がしたのだ。
バタバタと出かけてしまった香織里を見送った一歩は、どこかで見たことがあるなあと思いながら引き続きクッキーを頬張っていた。きっと香織里のために買ってきてくれたんだろうが、一歩が一番食べている。
「香織里ってあんなキャラだったっけ」
コーヒーを飲みながら、愛翔が呟く。菓子の感想も言ってくれず、放置されていることに、やや不機嫌のようだった。
「ああいう人だったよ。少なくとも、僕は、ああいう香織里さんを何度か見たことがある」
「え? 仕事中に飛び出したりするの?」
父が興味深そうに聞いてくる。
「今はさすがにないでしょうけど……。葬儀の会食中に、お客様がデザートの皿をひっくり返したことがあって。そうしたら、香織里さん、私がどうにかするって言って、飛び出したんです。仕出し料理店に連絡をしたら間に合わないから、自分が作るって、材料一式買いに出たんです。お客様にはとっても喜んでもらえたし、あれを見て、僕からカフェの提案をしたんです」
今となってはもう遠い記憶だが、一歩が香織里の料理の腕を目の当たりにした、忘れられない思い出である。
そのあと、余ったケーキを一人で全部平らげてしまったところまで、きちんと覚えていた。
「へー。あ、じゃあ、一歩くんってそっから香織里のこと気になってたの?」
「ぶふっ」
コーヒーが気管に入ってむせる。胸に砂糖とミルクのむわっとした感じが広がった。
「あー、こらこら、愛翔」
ティッシュケースを渡され、それで口を拭いた。
「や、いいです。大丈夫です。まあ、正直に言えば、そうかも。いや……もしかしたら、その前からかも。お客様にコーヒー出したり、ケーキ出したり……、僕にはできないことをしてくれてたから。それに美味しかったし」
「へえ~! え~! うわ~! なんか聞いてたらこっちが照れるわ!」
「いやこっちも照れるよ」
机に突っ伏すと、ひんやりとして気持ちがいい。
誰かに好意を抱くのは、これが初めてだったというのは、愛翔には黙っておいた。
「香織里ってさ~。俺が言うのもあれだけど、料理しかできないし、ぽやぽやだし、あんなんで本当にいいの?」
「それでいいんだよ。愛翔くんだって、香織里さんのこと、好きなくせに」
「……あは、バレた。もー、恥ずかしいからマジやめろ〜」
背中をバンバン叩かれていると、香織里がバタバタと帰ってきた。そしてそのままキッチンに直行していた。
何をするかは、一歩は分かっていた。香織里の頭の中は、開発中のパフェのことでいっぱいなのだろう。
それからしばらくして、香織里はカップを三つ持ってきた。
ミニパフェだ。栗のクリームがたっぷりと使われている。イチゴ、ブルーベリー、栗の甘露煮がごろっと載せられていた。
愛翔が手を伸ばすと、香織里がその手を止めた。
「あ、まだ。待って」
クッキー缶から三枚クッキーを取り出し、クリームの上に載せる。そして、仕上げにチョコソースをたっぷりかけた。
「かぼちゃとフルーツは絶対に使いたくて。でも、フルーツとかぼちゃの組み合わせがなかなか思い浮かばなかったんだけど、これなら、共存できるって思ったから。試作。よかったら」
自信があまりないのか、一歩たちが食べている間、香織里はテーブルの下で手を握りしめていた。
一歩の顔をちらちらと見てくる。
「……美味しいよ。いつもの、香織里さんの味」
「あっ、よかった……!」
ただそれだけの感想で、香織里の顔がぱっとほころぶ。
それを見た愛翔は、面白くないような顔をしていた。香織里はそれに気が付いたのか、愛翔にも礼を述べる。
「……あ、愛翔が買ってきてくれたクッキーがヒントになったんだよ、ありがとう」
「お、おう」
急に顔を赤くした愛翔を、一歩はついニヤニヤしながら見てしまう。
夕飯のコロッケに一番喜んだのは愛翔だ。やはり姉のことが大好きなのだ。
香織里の母が座っていたという席に、一歩が座らせてもらっている。隣は愛翔だった。席は固定されていて、それぞれが自分の場所に座る。居場所があるというのは、こういうことを言うのだろう。思い入れがあるだろうに、母親の席に座らせてもらっているのが、嬉しかった。
食事中は愛翔の大学の話が中心だった。大学ではうまくいっているらしく、後期の講義ももう決まったらしい。今度の帰省は冬休みにだと聞いて一番寂しそうにしていたのは父親だったが、香織里ももうちょっと帰ってくればいいのにと言っていた。
十月に入り、cafeおてんとは新メニューの広告を出した。
SNSにも写真をアップしている。写真はもちろん一歩が撮った。日頃からお菓子の写真をよく見ている一歩が、誰よりもパフェの映える角度を知っているのだ。
たっぷりのモンブランクリームに、ごろりと載っかったフルーツたち。それから、いたずらな顔や優しい顔をした個性豊かなジャックオランタンのクッキー。どれも香織里が描いたものだ。一つ一つ個性があり、可愛げがあった。
一歩は、葬儀のあった日は必ず食べた。園子に「まーた退勤ラブラブパフェタイムするの?」と茶化されようが、絶対に食べる。そして、そのたびに思う。
これは東条家の味なのだと。