3章

 本館ホールに入ると、懐かしい気持ちになった。カフェの準備が佳境に入ると、葬儀に参加することもなくなり、あまり来ていなかったのだ。自分の料理の腕を一歩に見込まれて、料理を振る舞うようになった日を思い出した。
 あれがなかったら、自分はここでカフェを開いていなかった。
 おてんとちゃんをはじめ、次の世に旅立てなかった三人――実、茂、フミエは、きっと、幸せな場所に旅立てているのだと思いたい。
 三人を見送った会食場からはカレーの香りがする。テイクアウト用のカレーをここで食べてくれている客がいる証拠だった。自分の見えないところで、自分の作った料理が食べられているというのは、不思議な感覚だった。美味しいと思ってもらえていたらいい。
 ホールに入ると、色とりどりの花がわっと香織里の視界に入ってきた。溢れんばかりの花の数々。おてんとちゃんも驚いている。白、ピンク、赤、黄色、オレンジ、緑、青。あいメモリーはこれだけの花を使って、故人を見送っているのだというメッセージが伝わってくる。
 客数はかなり多かった。ホールが人と花でいっぱいなのは、なかなか見られない光景だ。
 フラワーデザイナーが客のリクエストを聞いているのを、香織里は近くで見ていた。
 仏壇に飾る花、玄関に飾る花、贈り物としての花。用途は様々だった。
 園子の姿もある。満面の笑みを浮かべながら、手にいっぱいの花を持っている。園子の作る花束はとても豪華だった。ブライダルから葬儀まで、人々の人生の節目を飾ってきた園子だ。一人一人のニーズをきちんと理解していた。
 私は主役にはなれないけれど、主役のために頑張りたい。そんな思いで花と関わる――園子からは、いつも力をもらう。自分もそうでありたいからだ。
 花束を作り終えた園子は、香織里に気がついて声をかけてきた。
「香織里ちゃん。そっちは落ち着いたの?」
 腕時計を見た園子は、もうこんな時間なの、と呟いていた。楽しすぎて時間を忘れていたようだ。
「あ、はい。お昼を過ぎましたし。これからはアイスが出る時間だと思うので、早紀ちゃんに任せて様子を見に来ました」
「私ももうちょっとで休憩。おなかすいちゃったから、あとでカレーもらいに行くわね」
「はい。あの、私、人探しをしてるんですけど、なんか思い詰めていたり、真剣に花を選んでたりする人いませんでした?」
 おてんとちゃんが香織里の左手をきゅっと握ってくる。
「人? どうして?」
「ここに旅立てない子がいるんです。ずっと誰かを待っているみたいで」
 園子は頬に手を当てて、今までの客を思い返していた。そして、香織里の左手を見る。
「そこにいるのね? ごめんね、私には視えないけど」
「います。一歳くらいの子です」
 園子はしゃがんで、おてんとちゃんの前でにっと笑った。
「――この園子おばちゃんに任せてちょうだい。私はね、耳だけはすっごくいいの。この地域のことぜーんぶ聞こえてくるし、何より一度聞いたことはね、忘れないのよ」
 立ち上がった園子は、どん、と自分の胸を叩く。
「ということで、ここのことは任せなさい。香織里ちゃんはカフェで様子を見ておいたほうがいいわ。あっちにもお花あるし、あっちのほうが静かじゃない。何か抱えている人は、静かな場所で思い耽っていることもあるからね。何かあったら私に知らせて。探偵じゃあないけど、私はこの地域のことはよく知ってるから。仏な社長と違って、私は閻魔様と同じ地獄耳なの」
 ふふふ、と笑いながら園子は仕事に戻っていった。
 そういえば前に一歩とパフェの話をしていたら、すぐに園子がすっ飛んできたことがあった。地獄耳なのは確かなのかもしれない。
 故人やその遺族がどういう人物なのか知っておくことが重要であることは、香織里もよく分かっている。だから園子の特技は少しだけ羨ましい。
 香織里がカフェに戻ろうとすると、おてんとちゃんが香織里の手を引っ張った。
 花を見ているようだ。おてんとちゃんの目の前には、キキョウがあった。
「どうしたの?」
 香織里が聞くと、おてんとちゃんはカードを指差した。『キキョウ―桔梗―』と印字されている。
 カードがどうしたのだろう。おてんとちゃんは字を読めないはずだが。
「もしかして――もしかしてだけど、おてんとちゃんの、本当の名前……?」
 おてんとちゃんは指差すだけで、何も反応しない。
 だが、もしそうなら、これは大きなヒントだ。香織里は退勤後にしたいことが増えた。

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