3章

 香織里の気持ちが落ち着いたあと、公園にあるトイレで顔を整えた。
 風が冷たくなる前に帰ることになり、一歩の車がある駐車場まで戻った。泣いた疲労と車の揺れがあり、寝そうになってしまう。寝ていていいよと言われるが、香織里は首を横に振った。
「ほんとごめん。なんか。疲れさせちゃって」
 赤信号になったとき、一歩はハンドルに額を当てた。なぜか香織里以上に落ち込んでしまっている。
「え、いや、こっちこそ、ごめんね、いっぱい泣いちゃって。でも嬉しかったから。大丈夫。ありがとう。元気出たから」
「ほんと?」
「うん」
 ちらりと一歩が顔を見てくるので、香織里は笑った。そこで青信号になり、一歩は体を起こした。
 いつもきっちりしているタイプの一歩だが、仕事ではなくなると可愛く見える時があった。新年早々に職場に向かった時もそうだ。愛翔以上に幼く見える瞬間がある。不安や弱音を見せられると、一歩とぐっと距離が近くなった気がして、嬉しかった。
 走っていると、あいメモリーとは別の葬儀会社の看板が見えた。エリアが違うので、競争はしていない。『樹木葬はじめました』と大きく宣伝が書かれていた。あいメモリーも同じく、樹木葬を取り扱っていた。墓石ではなく、樹木をシンボルとする方法だ。あいメモリーは二箇所ガーデンを持っていた。墓に関してはお墓ディレクターに任せているので、そこまで詳しくはないが、樹木葬を選ぶ人は増えてきているという。跡継ぎを必要としない永代供養であること、費用を抑えられることがメリットとして挙げられる。
 さらにその下に、後からつけたようなポスターが貼られていた。『墓石展示会』と書かれている。イベントのようだ。日付は今日だ。
「一歩くん、この先にある葬儀屋さんに寄ってもらっていい?」
「え?」
「イベントやってるみたい。何か参考になるかもしれない」
 一歩はすぐには頷かなかった。だが、香織里がちょっとだけだからと頼むと、渋々車を離れにあった第二駐車場に入れてくれた。第一駐車場はいっぱいだったのだ。なんで、と一歩も呟いている。ホールで葬儀が行われているわけでもないし、通夜が行われているわけでもない。墓石展示会というだけでこんなに来客があるのだろうか。香織里も不思議に思った。
 ホールの裏手に墓石展示場があり、そこに人が集まっていた。
 白いテントが張られている。いい匂いもしてくる。屋台だ。墓と一緒に屋台が並んでいた。
 墓目的ではなく、屋台目的で来ている人が多いようだ。屋台の前にはテーブルと椅子があり、食事ができるようになっている。
 食べ物の屋台だけではなく、樹木葬でも使える苗木の販売、花祭壇や供花で使う花の販売も行われていた。
 あいメモリーのように仏具を扱うショップを持っているわけではないが、同じエリア内にある仏具ショップが出張に来ており、仏具を展示するブースもあった。
 さらにこの地域にある酒造会社も参加していて、この春に出た新酒の販売も行っている。
「地域の祭りみたいな感じになってるな」
 営業所のドアに貼られていたビラを見ると、下に小さく商工会の文字があった。
 葬儀屋を会場にしたのは、この墓石展示場が広いからだろう。さらに、周辺には桜の木もあった。酒と食べるものがあり、花見もできるようになっている。あいメモリーでは同じことはできない。墓石展示場は一応あるが、僅かなスペースしかない。
 だがイベントは、あいメモリーでも催せないだろうか。
 せっかく、カフェスペースがあるのだから――。
「これ、やりたい」
「うちで?」
「こういうの、やりたい。カフェだけのイベントでもいいから、こういうのやりたい。そうすれば、誰かは来てくれるかもしれない」
 一歩はもう一度、会場を見渡す。
 葬儀屋の独特な雰囲気はなかった。墓があっても、仏具があっても、ごく普通のイベント会場のように見える。香織里はそれが気に入った。
「分かった。分かったから、香織里さん。その話は職場でしよう」
 一歩が香織里の手を取って、引き寄せる。
「もういいだろ。行こう」
「何か食べなくていい? 甘いのあるよ、ほら」
 香織里が指差したのは、この近くにあるパン屋のブースだ。カップケーキが置いてあった。
「いいよ。香織里さんのお菓子のあとに食べるもんじゃないだろ」
 一歩に手を引かれる形でイベント会場を後にした。
 また不貞腐れているのだろうか。自分が仕事の話をするから。
 車に戻ったあと、一歩は大きく溜息をついた。
「香織里さんはどうやったら仕事のことを忘れられるんだよ」
「でも、一歩くんが誘ってくれたから、さっきのイベントに行けたわけで。一歩くんには、いくつもやりたいって思えるものに出会わせてもらってるから、感謝してるよ」
「ならいいけど」
 西に向かって車を走らせる。日が段々と沈んでいく。
「楽しかった……」
「ん」
 名残惜しい。このまま家に帰るのが寂しい。そう思っていると、車が信号で止まった時に一歩が香織里の手を握った。
 また頑張ろう。香織里は一歩の手を握り返した。

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