2章

 火葬と食事の間に自宅の片付けが終わり、一歩は関わったスタッフを労うためホールに残っていた。平次はあれからすぐに別の仕事に戻ってしまったので話はできなかった。香織里にもまだ別の仕事が残っていた。営業所の打ち合わせ室で幸恵にコーヒーを出していた。
 打ち合わせの時はコーヒーを飲む気にはならないと言われてしまったが、今日はコーヒーを希望していた。
 仏壇、墓のこと、供養のことなど、葬儀屋の仕事はまだ終わらない。葬儀後のことに関する資料を入れた封筒を渡し、簡単に説明をする。葬儀を終えたばかりで疲れているとは思うが、営業も簡単にしなければならなかった。幸恵は何一つ嫌な顔をせず、香織里の話を聞いてくれた。
「また考えます。ここに頼んで良かったって思ったんで」
「ありがとうございます。あの、本当にすみません、勝手にレシピを使ってしまって」
 香織里は借りていたエンディングノートを幸恵に返却した。レシピは表紙を開いてすぐのページに分かるようにクリップで挟んでいた。
 幸恵はノートを受け取り、首を横に振った。
「多分、私では作らなかったと思います。捨てていたかもしれないし。だから、食べさせてくれて嬉しかったんです。父のことが嫌いなまま終わってしまうのは、それはそれで、嫌でしたから」
 あいメモリーを選んだのは、父に対するわだかまりがある状態でも、気持ちよく見送ることができるかもしれないという思いがあったからだと幸恵は教えてくれた。
 本当は仲良くしたかった。嫌いだが、嫌いになりたくなかった。そういう思いを抱いていたからこそ、最後のチャンスだと思って自宅で看取ることを決めたのだという。
 だが、自宅で看取るというのは思った以上に難しいものだ。日に日に老いて何もできなくなっていく父親を看ることに苦しさや辛さを感じることもあった。
 父が息を引き取った瞬間、やっと介護から解放されたとほっとした自分がいたという。
 介護で追い詰められ、殺人に走ったり、心中に走ったりする事例がある。自分が狂って父を殺さなくて良かった。当時の気持ちを幸恵は語って聞かせてくれた。
「葬儀中も、どうしても、父に対する苦い思い出ばかりが蘇ってしまっていました。あの食事があって、ようやく私は父のことを誇りに思えたんです。父が作る料理がいかに美味しくて、お客さんに愛されているか、あの味で全部分かりました。温かいお料理をありがとう」
 コーヒーも美味しいと言って幸恵は笑ってくれた。
 自分が感謝されるなど思ってもいなかった。恥ずかしくなって、香織里はとんでもないと手を振った。
「店はお弟子さんに譲るそうです。色々手続きが終わって、リニューアルオープンしたら、また食べにきてください。父の作ったメニューが引き継がれているはずなので。父が経営している時は一度も行ったことがありませんが、また私も足を運ぼうと思っています」
 帰り際、幸恵は香織里に頭を下げた。
 営業所の入り口まで出て見送ることにしたのだが、香織里の隣におてんとちゃんがいることに驚いた。幸恵に手を振っている。一歩もちょうどホールから帰ってきて、香織里の隣に並んで幸恵を見送った。
 見送ったあと、幸恵の様子を一歩に伝える。幸恵が満足して帰ったことを知った一歩は、胸をなでおろしていた。

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