1章

「す、すみません、すぐします……!」
「もう、頼むよ、香織里さん。向こうも暇じゃないんだから」
 勢いよく頭を下げると、一つにまとめている髪が肩から落ちてきた。
 苛つきながら革のカバーがかけられたスケジュール帳を見ているのは、上司の福原一歩である。会社の制服であるダークスーツが似合う二十八歳だ。整った顔立ちをしており、体も細い。きっちりとした性格をしており、隙がない。香織里は一歩より四歳上なのに、こちらが幼く感じてしまう時があった。
 香織里は急いで連絡先がまとめられているカードに目を通し、目当ての番号を探した。この町のはずれにある寺だ。
 呼び出し音が切れた瞬間、香織里は「あっ、いつもお世話になります、あいメモリー、東条です」と名乗った。
『はい、あ、はいはい、あいメモリーさんね。どうもどうも、いつもお世話になってます』
 ゆっくり喋る僧侶だった。
 香織里は葬儀の詳細がまとめられたプランシートを見ながら、僧侶とスケジュールを合わせる。先に別の予約が入っていなくてよかったと、心底安心した。
 後ろでは、一歩が自分を見ていた。
 受話器を置くと、一歩も手帳を閉じ、大げさにため息をついた。ちょうど昼休みの時間になる。一歩は近くにあるコンビニで弁当を買うため、営業所を出ていった。
 休憩室の冷蔵庫から自分の弁当を取り出し、レンジに突っ込む。その間、ボトルに入れていたコーヒーの香りで気持ちを落ち着かせる。
 椅子に座り、ボトルを包み込むようにして背中を丸めていると、誰かに肩を軽く叩かれた。
「やっほー、香織里ちゃん。今日も落ち込んでるぅ。一輪どう? 勉強会で余っちゃったの」
 差し出されたのは、白い薔薇だ。祭壇を飾る花である。
 声をかけてきたのは、フラワーデザイナーを務める冨安園子だった。四十三歳のベテランで、花祭壇の仕事を多くこなしている。あいメモリーに入社したての香織里を気にかけてくれる人でもあった。お団子状にまとめた髪と、ふっくらとした頬が印象的な、穏やかな人だ。冷たい雰囲気を感じる一歩とは真逆である。
「すみません、ありがとうございます」
 頭を下げると、園子はぱんっと香織里の肩を叩いた。
「もう、いいのいいの。それより、葬儀アシスタントの仕事、どう? 難しい?」
 答えようとするよりも先に、レンジが鳴った。
 温まった弁当を取り出しながら、香織里は頷く。
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