1章

「いいお見送りだった。やっぱり食事はいい。会話が弾む。二人とも、ありがとう。あと一人、頑張って」
 平次はそう言い残し、会食場を後にした。
 旅立てなかった子供はといえば、ロビーのシャンデリアで遊んでいた。旅立った三人とはやはり、望むものが違ったのだ。
「あの子はしょうがない……、式自体、うちでやってないから。また別で考えよう」
「そうですね。あ、片付けは私がするのでいいですよ」
「いや、洗い物くらい、僕もする」
 二人で会食場の片付けを終えたあと、ホールの施錠をする。非常口灯がぼんやりと子供を照らしていた。
 今までは実たちが相手をしてくれたが、その実たちは旅立った。一人残された子供は寂しい思いをしてしまうだろう。なるべく早く、お見送りをしてやりたかった。
 フルーツとケーキがそのまま残っていた船はデスクの上に置いておき、一歩と一緒に鍋を片付ける。
「実さんはどんな様子でした?」
「久しぶりのご馳走で美味しかった、楽しかったって。それだけ言って、旅立ったよ。ありがとうって。茂さんも一緒」
「そうですか。フミエさんは、いつもと変わらない日常を送りました。恵子さんにご飯を食べさせて、薬を飲んで、片付けをすると言って、旅立ちました。いつもと同じことができたことに満足したんだと思います」
 そこで会話が途切れた。
 鍋を紙で包んで、ダンボールの中に入れる。
 時間はもう退勤時刻を過ぎていた。夜勤の職員が仕事を始めている。
 自分のデスクに置いていたフルーツとケーキはどうしようかと思っていると、一歩が左手を自分に差し出した。
「それ、僕が食べる」
「え、あ、はい。どうぞ……」
 船の中にあったフォークを持ち、一歩は黙々とフルーツとケーキを口に運んでいく。
 そのスピードは、目を疑うほど早かった。
 愛翔も香織里が作ったお菓子をいつも食べるが、一歩ほど一気には食べない。
 あっという間に、船の中は空になった。香織里が出したお茶を飲み、そこでようやく一歩は一息ついた。
「余りあったっけ」
「冷蔵庫にありますよ。え、全部食べるんですか?」
「食べる。だって今日、クリスマスイブじゃないか。たくさん食べて許される日だぞ」
 冷蔵庫から取り出してきたケーキも、一歩は一気に食べていく。
 夜勤の職員がそれを見て、くすくす笑っていた。
「福原さんって、夜に甘いのを食べるから、昼ご飯があんなに少なかったんですか?」
「そうだけど。何、香織里さんまで、園子さんと同じ説教を僕にするの?」
「いや……別に……そういうつもりじゃないです」
 ムスッとしながらも、一歩はケーキを平らげてしまった。自分が作ったものを勢いよく食べられるのは初めての経験だった。
 そのまま一歩は黙って皿を片付けに行った。
 卓上カレンダーを見る。慌ただしい日々が続いていたから、今日がクリスマスイブのことをすっかり忘れていた。自分に恋人がいないことを嘆く暇もなかった。
 三人の見送りは無事終わり、一歩にはケーキを一気食いしてもらった。それだけで満足だ。これ以上望むものはない。
 一歩が戻ってきて、同じタイミングで営業所を出る。
 冷たい風が香織里の頬を撫でたが、寒さは感じなかった。駐車場まで、黙って歩く。何か雑談でもすればいいのだが、営業所の裏にある駐車場までは一分もかからない。微妙な距離だった。
 手前にあるのは一歩の車だ。お疲れ様でした、と声をかけようとした時、一歩に呼び止められた。
「香織里さん、年末年始に考えていてほしいことがあるんだけど」
 一応、明日から休暇と自宅待機が続く。特に連絡がなければ、年末年始の長期休暇になる。その間の宿題で、あの子供の見送り方でも考えてこいと言われるのかと香織里は思った。だが、違った。
「社長から出されていた宿題のことなんだけど。新しい事業のアイデアを出すよう言われているんだ」
「はあ……、新しい事業って、終活アドバイスとか、そういう感じですか?」
「いや、違う。もっと葬儀屋を身近に感じてもらえるようなアイデアがいいって言われている。それで、考えたんだ。香織里さんは、普通にアシスタントをするんじゃなくて、料理で支えてもらったほうがいいんじゃないかって」
 一歩が一体、何を考えているのか、香織里はすぐ理解することができなかった。
「えっと、どういうことですか?」
「うちに何か飲食できる施設があったらいいって思った。打ち合わせの時や、万が一お見送りできなかった時に、ゆっくり飲食できる場所。故人も、遺族の方も、落ち着いて繋がれる場所。社長もとても気に入っていた様子だし、香織里さんなら、できるって思うんだ」
 まだ漠然としたアイデアだけど、と一歩は付け足す。
「心配?」
 心配というより、不安なのだ。
 今までは、誰かの下で働いてきた。だが、一歩は、香織里に一つ施設を任せたいと言っている。今度は、香織里が仕事を作っていく側になるのだ。
 今まで経験したことがないことを求められている。まだアシスタントとしての経験も乏しいのに。
 黙ってしまった香織里を見た一歩は香織里に謝った。
「ごめん、今すぐ決めてほしいってわけじゃない。だから、年末年始に、考えてほしいって言った。それに、すぐ社長に僕のアイデアが採用されるとも限らないし。他のコーディネーターのほうが優れたアイデアを出してくるかもしれないし。でも僕はこの案を捨てるつもりは今のところない」
 求める『いい別れ』のため、自分の足りない部分を、香織里で補えるはずだと考えているのだ。喜一、実、茂、フミエ。この四人が皆、香織里の作ったものを食べて旅立った。一歩にとっては、大きな助けだったのだ。
 そうだ、と一歩は鞄の中からスマホを出した。
「連絡先、まだ知らなかった。僕ももう少し、考えを練ってみる。社長に提案する前に、香織里さんにも見てほしいから、教えて」
「あ、はい。ちょっと待ってください」
 香織里は一歩に自分の電話番号とSNSの連絡先を教えた。一歩からも同じように、連絡先が送られてくる。
 SNSのアイコンをつい二度見してしまった。
「パフェ……?」
「見なかったことにして」
「いやでも」
「お疲れ様。また連絡する」
 一歩はさっさと車に乗り込み、帰っていってしまった。
 取り残された香織里は、もう一度スマホを見る。
 いちごがぎっしりと詰まったパフェのアイコンが、一歩だった。アカウント名は「福原一歩」とフルネームだった。
 タイムラインを見ると、いくつかパフェやケーキの写真が投稿されていた。
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