1章
「今日も上出来よ、いいお見送りができるわ」
遺影の周囲は白色の菊が、その周りには色とりどりの花で飾られていた。小さな祭壇ではあるが、華やかさはあった。たまに家に来てくれる孫を喜ばせようとしていた喜一をイメージしたのだという。大きな向日葵もあった。陽向という名前から持ってきたのだろう。祭壇を見た陽向が喜んでくれればいいなと、香織里も思う。
うんうん、と祭壇の前で頷き、園子は香織里の背中を叩いた。
「かずちゃん、香織里ちゃんのこと褒めてたよ」
「え?」
「自分ではここまで故人について聞き出せなかったって。かずちゃん自身が満足のいく式にできると思うの。彼、いつも終わった後は反省ばっかりでね」
スタッフに指示を出している一歩を、香織里と園子は遠目に見た。
あれは、式が上手くいったから機嫌が良かっただけではなかったのか。香織里は園子の言葉をすぐに信じることができなかった。
「反省って、福原さんはいつも完璧じゃないですか」
「そうでもないの。なんかねえ。三日前の式も、香織里ちゃんが帰ったあと、くーらい顔してたの。落ち込んでるし。理由は分からないけれど、彼にとって、百点じゃなかったみたい。遺族の方は満足してるのにね」
三日前の式は、何のトラブルもなかったはずだ。香織里が僧侶への連絡を忘れていたくらいで。落ち込むような場面はなかったはずである。
式が終わったあと、一歩はもう少し仕事をして帰ると言っていた。村上家の式のプランを練るものだとてっきり思っていたが、同時に落ち込んでいたのか。
もともと完璧だとは思っていたが、一歩は香織里が思っている以上に自分に厳しいのかもしれない。
「今日は会食がメインって聞いたわ。私もお料理見るのが楽しみ。松なんて久しぶりじゃない。虎鶴のお料理って、いつも美味しそうで、おばさん、お腹が空いてくらっとしちゃうわ」
立ち話をしていると、一歩がこちらを見てきた。園子は香織里に「大丈夫よ」と言って、その場を離れていった。
それから遺族がホールにやってきて、待合室に入っていった。参列者はおよそ二十人である。
晴馬の兄が見えると、一歩から声をかけに行った。今日の挨拶をしている。一方、香織里は納棺師や僧侶などに挨拶をし、式のサポートを進める。その際、陽向の姿を確認した。肩まで伸びた髪を一つにくくり、白いブラウスに黒のカーディガン、黒のスカートを着ている。母親と手を繋いでいるが緊張しているようだ。
会場に入ると、陽向は目の前にある花を見て、小さく「すごい」と母親に話していた。後ろで様子を見ていた園子は、小さく頷いていた。
式は何事もなく進み、虎鶴からも料理が届く。
「いつもそうだけど、今日は特別めちゃくちゃ頑張ったから、いっぱい食べてもらってね。お子様向けのお料理には、たくさんフルーツを入れさせてもらいました。喜んでくれると思います」
みのりはそう言って、料理を運び入れた。
火葬場から戻ってきた晴馬たちが、続々と席に着く。晴馬の兄が挨拶をし、会食が始まった。
香織里と一歩は、会場の入り口近くで様子をしばらく見守ることになる。会食中、何か要望があればすぐに対応するためだ。
重箱の蓋を開けた瞬間「おお」という感嘆が聞こえてくる。大きな海老、中トロをはじめとした寿司など、豪華な料理が入っている。
陽向も「すごーい」と嬉しそうに重箱の中を見ていた。りんごやパイナップルといったフルーツや小さなケーキが盛られた船が箱の中に浮かんでいた。
会話がはずみだした頃、香織里は陽向の背中に、また白いもやがあることに気がついた。体調を整えるため、昨日は仕事を早めに切り上げ、十分に睡眠を取った。疲れてはいないはずだ。目をこすってみても、そのもやは消えなかった。陽向の背中にべっとりと貼り付いている。
横に控えている一歩の顔を見ると、一歩もまた、顔をこわばらせていた。
あのもやが見えているのだろうか――、そう思いながら、また視線を陽向に戻した。
陽向は船を重箱から出そうとしていた。箱に入ったままだと、船が遠くて食べにくいのだ。
椅子の上に正座をし、腰を少し浮かせて船を両手で持ち上げた時だった。空に浮いた船はバランスを崩し、フルーツとケーキを落としてしまった。
「あっ」
陽向の声に気づいた母親が、事態に気づき、大きな声を出した。
「え、何やってるの!」
フルーツやケーキは、オムライスの上に落ちていた。クリームがべっとりとついてしまっている。
大きな声にびっくりした陽向は、フォークを握ったまま泣き出してしまった。
母親は陽向を抱きかかえ、邪魔にならないように待合室に向かっていった。
「虎鶴に連絡するか」
陽向の座っていた椅子の上に漂う白いもやを見ながら、一歩は香織里に言った。
一歩も、このまま「残念でした」で終わらせたくないようだ。ポケットからスマホを出し、連絡を入れようとしている。だが、香織里は一歩を止めた。
「陽向ちゃんの料理は大人のものとはかなりメニューが違ってましたし、虎鶴さんに連絡しても、間に合うかどうか分かりません……」
フルーツはなんとか船に戻したが、オムライスのケチャップがついて味は悪くなっているはずだ。崩れたケーキも片付けるよう、控えていたスタッフに声をかける。
拭き取られるケーキを見ながら、香織里は言った。
「私が……、私が、作ってきます」
「え? 香織里さんが?」
「会食の時間は一時間ありますよね。すぐ作ります。虎鶴の美味しさには負けるかもしれませんけど、似たようなものなら作れます。会社の自転車、借ります」
「ちょ、え!?」
スタッフには、船を綺麗に洗っておくよう頼み、香織里はホールから飛び出した。
営業所の裏にある自転車に跨がり、近くの通い慣れたスーパーに向かって走った。
遺影の周囲は白色の菊が、その周りには色とりどりの花で飾られていた。小さな祭壇ではあるが、華やかさはあった。たまに家に来てくれる孫を喜ばせようとしていた喜一をイメージしたのだという。大きな向日葵もあった。陽向という名前から持ってきたのだろう。祭壇を見た陽向が喜んでくれればいいなと、香織里も思う。
うんうん、と祭壇の前で頷き、園子は香織里の背中を叩いた。
「かずちゃん、香織里ちゃんのこと褒めてたよ」
「え?」
「自分ではここまで故人について聞き出せなかったって。かずちゃん自身が満足のいく式にできると思うの。彼、いつも終わった後は反省ばっかりでね」
スタッフに指示を出している一歩を、香織里と園子は遠目に見た。
あれは、式が上手くいったから機嫌が良かっただけではなかったのか。香織里は園子の言葉をすぐに信じることができなかった。
「反省って、福原さんはいつも完璧じゃないですか」
「そうでもないの。なんかねえ。三日前の式も、香織里ちゃんが帰ったあと、くーらい顔してたの。落ち込んでるし。理由は分からないけれど、彼にとって、百点じゃなかったみたい。遺族の方は満足してるのにね」
三日前の式は、何のトラブルもなかったはずだ。香織里が僧侶への連絡を忘れていたくらいで。落ち込むような場面はなかったはずである。
式が終わったあと、一歩はもう少し仕事をして帰ると言っていた。村上家の式のプランを練るものだとてっきり思っていたが、同時に落ち込んでいたのか。
もともと完璧だとは思っていたが、一歩は香織里が思っている以上に自分に厳しいのかもしれない。
「今日は会食がメインって聞いたわ。私もお料理見るのが楽しみ。松なんて久しぶりじゃない。虎鶴のお料理って、いつも美味しそうで、おばさん、お腹が空いてくらっとしちゃうわ」
立ち話をしていると、一歩がこちらを見てきた。園子は香織里に「大丈夫よ」と言って、その場を離れていった。
それから遺族がホールにやってきて、待合室に入っていった。参列者はおよそ二十人である。
晴馬の兄が見えると、一歩から声をかけに行った。今日の挨拶をしている。一方、香織里は納棺師や僧侶などに挨拶をし、式のサポートを進める。その際、陽向の姿を確認した。肩まで伸びた髪を一つにくくり、白いブラウスに黒のカーディガン、黒のスカートを着ている。母親と手を繋いでいるが緊張しているようだ。
会場に入ると、陽向は目の前にある花を見て、小さく「すごい」と母親に話していた。後ろで様子を見ていた園子は、小さく頷いていた。
式は何事もなく進み、虎鶴からも料理が届く。
「いつもそうだけど、今日は特別めちゃくちゃ頑張ったから、いっぱい食べてもらってね。お子様向けのお料理には、たくさんフルーツを入れさせてもらいました。喜んでくれると思います」
みのりはそう言って、料理を運び入れた。
火葬場から戻ってきた晴馬たちが、続々と席に着く。晴馬の兄が挨拶をし、会食が始まった。
香織里と一歩は、会場の入り口近くで様子をしばらく見守ることになる。会食中、何か要望があればすぐに対応するためだ。
重箱の蓋を開けた瞬間「おお」という感嘆が聞こえてくる。大きな海老、中トロをはじめとした寿司など、豪華な料理が入っている。
陽向も「すごーい」と嬉しそうに重箱の中を見ていた。りんごやパイナップルといったフルーツや小さなケーキが盛られた船が箱の中に浮かんでいた。
会話がはずみだした頃、香織里は陽向の背中に、また白いもやがあることに気がついた。体調を整えるため、昨日は仕事を早めに切り上げ、十分に睡眠を取った。疲れてはいないはずだ。目をこすってみても、そのもやは消えなかった。陽向の背中にべっとりと貼り付いている。
横に控えている一歩の顔を見ると、一歩もまた、顔をこわばらせていた。
あのもやが見えているのだろうか――、そう思いながら、また視線を陽向に戻した。
陽向は船を重箱から出そうとしていた。箱に入ったままだと、船が遠くて食べにくいのだ。
椅子の上に正座をし、腰を少し浮かせて船を両手で持ち上げた時だった。空に浮いた船はバランスを崩し、フルーツとケーキを落としてしまった。
「あっ」
陽向の声に気づいた母親が、事態に気づき、大きな声を出した。
「え、何やってるの!」
フルーツやケーキは、オムライスの上に落ちていた。クリームがべっとりとついてしまっている。
大きな声にびっくりした陽向は、フォークを握ったまま泣き出してしまった。
母親は陽向を抱きかかえ、邪魔にならないように待合室に向かっていった。
「虎鶴に連絡するか」
陽向の座っていた椅子の上に漂う白いもやを見ながら、一歩は香織里に言った。
一歩も、このまま「残念でした」で終わらせたくないようだ。ポケットからスマホを出し、連絡を入れようとしている。だが、香織里は一歩を止めた。
「陽向ちゃんの料理は大人のものとはかなりメニューが違ってましたし、虎鶴さんに連絡しても、間に合うかどうか分かりません……」
フルーツはなんとか船に戻したが、オムライスのケチャップがついて味は悪くなっているはずだ。崩れたケーキも片付けるよう、控えていたスタッフに声をかける。
拭き取られるケーキを見ながら、香織里は言った。
「私が……、私が、作ってきます」
「え? 香織里さんが?」
「会食の時間は一時間ありますよね。すぐ作ります。虎鶴の美味しさには負けるかもしれませんけど、似たようなものなら作れます。会社の自転車、借ります」
「ちょ、え!?」
スタッフには、船を綺麗に洗っておくよう頼み、香織里はホールから飛び出した。
営業所の裏にある自転車に跨がり、近くの通い慣れたスーパーに向かって走った。