1章 推しを忘れた令嬢
七瀬のパソコンは立ち上がるまで時間がかかった。バンドウは時計を気にしながらその様子を見ていた。
パスワードを入力すると先程見ていた恋愛ゲームのパッケージと同じイラストが表示された。デスクトップの壁紙にしているようだ。
壁紙にするくらいなら、それが一番好きなのでは、とバンドウは声をかけるものの、これは面倒くさいから変更していないだけだと返される。つまり、今の推しではない、ということだった。バンドウはそれからはもう何も言わなかった。七瀬の背後で、黙って画面を見ていた。
七瀬はインターネットを立ち上げ、お気に入り登録していた一つのサイトを表示する。掲示板のようである。掲示板のタイトルは『乙女ゲー好きな人あつまれ!』だった。七瀬はこの掲示板の常連だったのだろう。
七瀬は黙って掲示板に書き込む文章を打ち込む。
『やっほー、koiです、久しぶり。異世界転生してゆめはなの世界に行ってきた。夢小説? イタイ厨二病の妄想? と思われるかもしれないけど、本当。推しが目の前にいて、めっちゃ興奮した。みんな、私が、モブのダミア君が好きなの知ってるよね。異世界転生したし、せっかくだし、ゲームとは違ってモブのダミアと結婚したの。めちゃくちゃ苦労したよ。婚約破棄して、領土を守ってからの結婚だったから。でも、結婚後、ダミアは仕事もしなくなったし、城のめちゃくちゃ美味しそうなご飯(実際めちゃくちゃ美味しかった!)ばかり食べて、十年もしたら中年デブになっちゃった。もう、見た目がモブなの。モブ。モブおじさん。もうね、エロ同人に出てくるモブおじさんだよ。エッチの感想とか聞いてきてクソキモいわけ。だから、みんなは、異世界転生しても、攻略対象の推しと結婚したほうがいい。モブはどうしたってモブ。攻略対象の推したちは、たぶん結婚後も、ずっと推しのままでいてくれると思うし、クソデブ中年おじさんにはならないと思う。失敗しちゃったなあ。あー、このあと、またゆめはなの世界に戻らないといけないの。今、ふらっとこっちに戻ってきたけど、懐かしすぎて涙出そう。あのクソデブのところに戻らないといけないの、めっちゃ憂鬱』
一気に打ち込まれた文章は、そのまますぐに投稿された。
七瀬は自分の書き込みに対しての反応を待っているのか、リロードを繰り返す。
七瀬の投稿に対する反応はすぐにアップされた。短めの投稿が七瀬の投稿の下に連なる。
『それマジで? 夢小説でも良いから詳しく書いて投稿して』
『テンプレ。おもんなさそう』
『ゆめはなのダミア君はモブのくせにめちゃくちゃイケメンだから、結婚したいのは分かる』
『モブおじさんに犯されるとかキッツ』
『残念な転生だったね。ドンマイ』
七瀬は思ったような反応がもらえなかったのか、舌打ちをして掲示板を閉じた。
棚から今度はパソコン用のゲームソフトを持ってきて、七瀬は一つずつ起動していく。時間は三十分経過していた。
バンドウはもう何も言わない。七瀬の苛立ちが背中から伝わってくるからだ。足もしきりに揺れている。
何に苛立っているのだろうか。自分の投稿に対して、満足の行く返信がなかったからだろうか。それとも、この後、また”モブおじさん”のところに戻らないといけないことに対して苛立っているのだろうか。何にせよ、今の七瀬には触れないほうがいいとバンドウは判断し、黙っていた。
パソコンゲームのソフトを一通り確認した七瀬は、溜息をついて椅子の背もたれに背中を預けた。
そのタイミングでバンドウは話しかける。
「あと二十分です」
「まじかー、決まらないな」
七瀬はマウスを再び握り、今後はSNSを立ち上げた。通知が山程ある。
一つ一つ確認をしていた七瀬は、あることに気がついた。
「あたしが転生したちょっと後だ、今」
七瀬はスクロールして、通知を一つ一つ見る。どれも、七瀬の投稿が途切れたことに対して心配するメッセージだった。
体調が悪いのか。引退してしまったのか。またkoiちゃんと乙女ゲーを語りたい。そのようなメッセージがいくつもきている。彼らは皆、恋愛ゲームを愛する者たちで、一部のユーザーは二次創作もしているような人たちだった。変わらず推しを推している彼らが、七瀬には、眩しく見える。羨ましかった。見ていられなかった。
七瀬はアカウントを切り替えた。
アカウント名はkoiではなかった。古井だった。
こちらも大量の通知が届いている。古井の方のアカウントでは、七瀬の自撮りが投稿されていた。もともと顔は整っている方の七瀬。その顔をさらに綺麗に加工し投稿していた。もっと際どいものもあった。下着姿の七瀬の写真。下着すらつけず、手で隠しただけのものもある。そんな投稿に対しては山程の反応があった。
こちらも、七瀬の投稿が途切れた事を心配するメッセージがたくさん届いていた。古井ちゃんの可愛い顔が見たいという、男たちからのメッセージだった。
七瀬は『ごっめーん、ちょっと体調悪かったの。構ってくれるとうれしーな』と、投稿する。すると、すぐに反応がきた。
古井ちゃんだ、古井ちゃんのおっぱいが見たい、古井ちゃんのエッチな写真、古井ちゃんの可愛い写真いつも待ってる。欲にまみれた男たち。その返信を見て、七瀬の苛立ちは収まった。転生先のモブおじさんに愛されるのは嫌悪するのに、男たちの返信に満足しているようだ。七瀬は不特定多数の男に愛されるのが好きなのだろうか。よくよくその男たちのアイコンを見てみると、どれも整った顔立ちをした写真だらけだった。七瀬と歳の近い青年ばかりである。
バンドウはネットには疎い。お忘れ物センターにはパソコンはあるものの、社内ネットワークにアクセスすることができるくらいで、外部へのアクセスはできないようになっている。それにバンドウはアナログ派で、いくらムゲンが忘れ物の管理をデジタルでしませんかと提案しても、バンドウは断っていた。
今までのお忘れ物捜索サービスで依頼主がインターネットを使っているのを見たことがあるから知識があるだけで、深くまでは分からなかった。しかし、そんなバンドウでも思う。本当に彼らは、写真通りの男なのかと。写真などいくらでも偽ることができる。七瀬が自身の写真を加工していたように。七瀬は彼らの写真を信じているのだろうか。
あと十分。バンドウが告げると、七瀬はパソコンの電源を落とし、スマホを手に持った。
何か必死に打ち込んでいるが、スマホは画面が小さく、バンドウは確認ができなかった。
「古井様は、トラックに轢かれた瞬間、スマホで何をされていたんですか?」
七瀬は指をしきりに動かしながら、無表情で言った。
「彼氏と連絡してたのかも。そんな気がする」
「古井様の彼氏は、お一人だったのですか?」
「一人だったと思う。あとセフレがいたかな……、あ、違う、みんなセフレだったわ」
言葉は聞いたことがあるような気はするが、その意味が分からなかった。バンドウは窓の外を見ながら質問する。
「セフレって、何ですか?」
「は? 知らないの? セックスフレンド。セックスのための友達。いくつかのセフレをストックしててさ……」
七瀬の指が止まった。
「ああ、そうだ、あの時も……、トラックに轢かれた時も、セフレと連絡してたんだ。これからホテル行くって」
メッセージ履歴は全て残っていた。
相手から指定されたホテルに向かっていた。今から行く、と連絡している。その他にも、翌日以降の約束のやり取りを他の男たちとしていた。
やり取りに集中し、七瀬はスマホだけしか見えておらず、そのままトラックに轢かれて転生したのだ。トラックが突っ込んできたのではない。七瀬が、自らトラックの前に飛び出したのだ。赤信号に気が付かず。横断歩道に飛び出しているのすら気が付かず。
目の前でスマホに一生懸命になっている七瀬を見ていれば、容易に想像ができた。
「そのセフレの方々も、推し、ですか?」
バンドウの問いに、七瀬はすぐ答えた。
「推ししか選んでないよ、あたし。セックスが上手い人、顔がいい人、性格がいい人、あたしを信じてくれる人、あたしを喜ばせてくれる人、みんな、推し。ゲームの男も、リアルの男も」
バンドウは頷き、部屋の入り口に移動した。
「そうですか。それで、そろそろお時間なのですが、肝心のお忘れ物はありましたか?」
パスワードを入力すると先程見ていた恋愛ゲームのパッケージと同じイラストが表示された。デスクトップの壁紙にしているようだ。
壁紙にするくらいなら、それが一番好きなのでは、とバンドウは声をかけるものの、これは面倒くさいから変更していないだけだと返される。つまり、今の推しではない、ということだった。バンドウはそれからはもう何も言わなかった。七瀬の背後で、黙って画面を見ていた。
七瀬はインターネットを立ち上げ、お気に入り登録していた一つのサイトを表示する。掲示板のようである。掲示板のタイトルは『乙女ゲー好きな人あつまれ!』だった。七瀬はこの掲示板の常連だったのだろう。
七瀬は黙って掲示板に書き込む文章を打ち込む。
『やっほー、koiです、久しぶり。異世界転生してゆめはなの世界に行ってきた。夢小説? イタイ厨二病の妄想? と思われるかもしれないけど、本当。推しが目の前にいて、めっちゃ興奮した。みんな、私が、モブのダミア君が好きなの知ってるよね。異世界転生したし、せっかくだし、ゲームとは違ってモブのダミアと結婚したの。めちゃくちゃ苦労したよ。婚約破棄して、領土を守ってからの結婚だったから。でも、結婚後、ダミアは仕事もしなくなったし、城のめちゃくちゃ美味しそうなご飯(実際めちゃくちゃ美味しかった!)ばかり食べて、十年もしたら中年デブになっちゃった。もう、見た目がモブなの。モブ。モブおじさん。もうね、エロ同人に出てくるモブおじさんだよ。エッチの感想とか聞いてきてクソキモいわけ。だから、みんなは、異世界転生しても、攻略対象の推しと結婚したほうがいい。モブはどうしたってモブ。攻略対象の推したちは、たぶん結婚後も、ずっと推しのままでいてくれると思うし、クソデブ中年おじさんにはならないと思う。失敗しちゃったなあ。あー、このあと、またゆめはなの世界に戻らないといけないの。今、ふらっとこっちに戻ってきたけど、懐かしすぎて涙出そう。あのクソデブのところに戻らないといけないの、めっちゃ憂鬱』
一気に打ち込まれた文章は、そのまますぐに投稿された。
七瀬は自分の書き込みに対しての反応を待っているのか、リロードを繰り返す。
七瀬の投稿に対する反応はすぐにアップされた。短めの投稿が七瀬の投稿の下に連なる。
『それマジで? 夢小説でも良いから詳しく書いて投稿して』
『テンプレ。おもんなさそう』
『ゆめはなのダミア君はモブのくせにめちゃくちゃイケメンだから、結婚したいのは分かる』
『モブおじさんに犯されるとかキッツ』
『残念な転生だったね。ドンマイ』
七瀬は思ったような反応がもらえなかったのか、舌打ちをして掲示板を閉じた。
棚から今度はパソコン用のゲームソフトを持ってきて、七瀬は一つずつ起動していく。時間は三十分経過していた。
バンドウはもう何も言わない。七瀬の苛立ちが背中から伝わってくるからだ。足もしきりに揺れている。
何に苛立っているのだろうか。自分の投稿に対して、満足の行く返信がなかったからだろうか。それとも、この後、また”モブおじさん”のところに戻らないといけないことに対して苛立っているのだろうか。何にせよ、今の七瀬には触れないほうがいいとバンドウは判断し、黙っていた。
パソコンゲームのソフトを一通り確認した七瀬は、溜息をついて椅子の背もたれに背中を預けた。
そのタイミングでバンドウは話しかける。
「あと二十分です」
「まじかー、決まらないな」
七瀬はマウスを再び握り、今後はSNSを立ち上げた。通知が山程ある。
一つ一つ確認をしていた七瀬は、あることに気がついた。
「あたしが転生したちょっと後だ、今」
七瀬はスクロールして、通知を一つ一つ見る。どれも、七瀬の投稿が途切れたことに対して心配するメッセージだった。
体調が悪いのか。引退してしまったのか。またkoiちゃんと乙女ゲーを語りたい。そのようなメッセージがいくつもきている。彼らは皆、恋愛ゲームを愛する者たちで、一部のユーザーは二次創作もしているような人たちだった。変わらず推しを推している彼らが、七瀬には、眩しく見える。羨ましかった。見ていられなかった。
七瀬はアカウントを切り替えた。
アカウント名はkoiではなかった。古井だった。
こちらも大量の通知が届いている。古井の方のアカウントでは、七瀬の自撮りが投稿されていた。もともと顔は整っている方の七瀬。その顔をさらに綺麗に加工し投稿していた。もっと際どいものもあった。下着姿の七瀬の写真。下着すらつけず、手で隠しただけのものもある。そんな投稿に対しては山程の反応があった。
こちらも、七瀬の投稿が途切れた事を心配するメッセージがたくさん届いていた。古井ちゃんの可愛い顔が見たいという、男たちからのメッセージだった。
七瀬は『ごっめーん、ちょっと体調悪かったの。構ってくれるとうれしーな』と、投稿する。すると、すぐに反応がきた。
古井ちゃんだ、古井ちゃんのおっぱいが見たい、古井ちゃんのエッチな写真、古井ちゃんの可愛い写真いつも待ってる。欲にまみれた男たち。その返信を見て、七瀬の苛立ちは収まった。転生先のモブおじさんに愛されるのは嫌悪するのに、男たちの返信に満足しているようだ。七瀬は不特定多数の男に愛されるのが好きなのだろうか。よくよくその男たちのアイコンを見てみると、どれも整った顔立ちをした写真だらけだった。七瀬と歳の近い青年ばかりである。
バンドウはネットには疎い。お忘れ物センターにはパソコンはあるものの、社内ネットワークにアクセスすることができるくらいで、外部へのアクセスはできないようになっている。それにバンドウはアナログ派で、いくらムゲンが忘れ物の管理をデジタルでしませんかと提案しても、バンドウは断っていた。
今までのお忘れ物捜索サービスで依頼主がインターネットを使っているのを見たことがあるから知識があるだけで、深くまでは分からなかった。しかし、そんなバンドウでも思う。本当に彼らは、写真通りの男なのかと。写真などいくらでも偽ることができる。七瀬が自身の写真を加工していたように。七瀬は彼らの写真を信じているのだろうか。
あと十分。バンドウが告げると、七瀬はパソコンの電源を落とし、スマホを手に持った。
何か必死に打ち込んでいるが、スマホは画面が小さく、バンドウは確認ができなかった。
「古井様は、トラックに轢かれた瞬間、スマホで何をされていたんですか?」
七瀬は指をしきりに動かしながら、無表情で言った。
「彼氏と連絡してたのかも。そんな気がする」
「古井様の彼氏は、お一人だったのですか?」
「一人だったと思う。あとセフレがいたかな……、あ、違う、みんなセフレだったわ」
言葉は聞いたことがあるような気はするが、その意味が分からなかった。バンドウは窓の外を見ながら質問する。
「セフレって、何ですか?」
「は? 知らないの? セックスフレンド。セックスのための友達。いくつかのセフレをストックしててさ……」
七瀬の指が止まった。
「ああ、そうだ、あの時も……、トラックに轢かれた時も、セフレと連絡してたんだ。これからホテル行くって」
メッセージ履歴は全て残っていた。
相手から指定されたホテルに向かっていた。今から行く、と連絡している。その他にも、翌日以降の約束のやり取りを他の男たちとしていた。
やり取りに集中し、七瀬はスマホだけしか見えておらず、そのままトラックに轢かれて転生したのだ。トラックが突っ込んできたのではない。七瀬が、自らトラックの前に飛び出したのだ。赤信号に気が付かず。横断歩道に飛び出しているのすら気が付かず。
目の前でスマホに一生懸命になっている七瀬を見ていれば、容易に想像ができた。
「そのセフレの方々も、推し、ですか?」
バンドウの問いに、七瀬はすぐ答えた。
「推ししか選んでないよ、あたし。セックスが上手い人、顔がいい人、性格がいい人、あたしを信じてくれる人、あたしを喜ばせてくれる人、みんな、推し。ゲームの男も、リアルの男も」
バンドウは頷き、部屋の入り口に移動した。
「そうですか。それで、そろそろお時間なのですが、肝心のお忘れ物はありましたか?」