5章 神を忘れた聖女
特急タナバタから下車すると、バンドウと星間ちゃんが迎えてくれた。
センターで待ってましょうよって言ったんですけどね。ぽりぽりと頭を引っ掻いているバンドウに、ムゲンは抱きついた。それに続いて、星間ちゃんも二人に抱きつく。重みに耐えきれなくなったバンドウは、とりあえず、と言った。
「お忘れ物センターに戻りませんか?」
星間ちゃんがバンドウとムゲンの手を握り、ゆっくり歩いてセンターに帰る。
冷蔵庫にはミックスジュースが追加で置かれていた。バンドウが買ってくれていたらしい。ペットボトルを持って机に向かった。机の上には、飲みかけのコーヒーと、バンドウの手帳があった。パンフレットの案をさっきまで練っていたらしい。
椅子に座ると、星間ちゃんがムゲンの膝の上に乗ってきた。
「で、どうでしたか? 期待通りの結果でした?」
「明智。明智睦。これは旧姓」
星間ちゃんの頭を撫でながら自分の名前を告げる。
「結婚してから、名字が変わって、万道。万道睦。あなたと一緒」
「んっ……!?」
口に含んでいたコーヒーが気管に入り、バンドウは噎せた。後ろを向いてげほげほと咳き込む。
星間ちゃんが、うわあ、という顔をした。
「いや、思い出してきました。ええ、そうでした。睦ちゃん、睦ちゃんです。優一郎が愛したのは睦ちゃんです」
バンドウは深呼吸をして、ムゲンを見る。
「でも、どうして、ここへ来てしまったのですか。睦ちゃんが死んでしまった理由が僕には分からなくて……」
ムゲンは睦のことを全て伝えた。
子供ができていたことも、優一郎を追いかけて子供と共に電車に轢かれたことも。
全てを話し終わって、ムゲンは、バンドウにごめんなさいと謝った。
「ごめんなさい。私、優一郎さんの子供まで殺してしまった」
「……僕もね、死ぬ直前、睦ちゃんに謝りました。あなたは泣きながら僕の手を握ってくれたのに、それを振り払ってしまいましたから」
本当は逝くべきではなかった。あの夜も分かっていた。分かっていて、逝ってしまった。
新幹線の前に飛び出す直前に謝っていた相手は、睦だった。
他の誰でもなく、睦だった。
行かないでと泣きながら引き止めてくれた睦への謝罪だった。
最後に抱いたのも、謝罪のひとつだった。
だが、今更どれだけ謝っても、もうそれは過去のことである。バンドウは目の前に座っているムゲンを見て、笑った。
「僕たちの最期はあまりいいものではありませんでしたが……、こうやって一緒にお忘れ物センターにいて、僕たちのお忘れ物も無事回収できて、良かったとは思います。人事部には感謝しないといけませんね。お忘れ物センターで働く意義がまったく分かりませんでしたけど、ここで良かったです。それに、お忘れ物センターを設定していた優一郎にも感謝ですよ」
良かった良かったと笑うバンドウに、この人は何も変わらないな、と思ってしまい、ムゲンもつられて、つい笑ってしまった。
「バンドウさんはもう未練といったものはないの」
「まったくないですね。ここでの生活、まあまあ、楽しんでます。それに、ムゲンちゃんもいるし、前世に戻ろうなんて一切思いませんね。ムゲンちゃんは戻りたいですか?」
「いえ。そうは思わない」
じゃ、いいじゃないですか、とバンドウが締めくくろうとすると、星間ちゃんが声を上げた。
「ボクのことがまだ終わってない! ボクは? ボクのお忘れ物は?」
「どういうことですか?」
バンドウが聞くと、ムゲンは星間ちゃんが自分のお腹が懐かしいと言ったことを伝えた。
懐かしい。その言葉を聞いて、バンドウは星間ちゃんにおいで、と言った。星間ちゃんはバンドウの膝に乗る。
「魔法というのは本当にありえないことばかりですね。あなたは確かに僕たちの子でしょう。あなたのお忘れ物は誕生することです。僕たちはあなたに贈り物をしなければいけません。睦ちゃんは名前を考えていましたか?」
ムゲンは首を横に振った。男の子であることは分かっていたということを聞くと、バンドウはなるほど、と頷いた。
「では、魔法が切れる前に僕たちが考えましょう。星間ちゃんとしては終わりを迎えますが、それでもいいですか?」
バンドウの問いに、星間ちゃんはこくこくと頷いた。
ムゲンは、それならと、開きっぱなしだったバンドウの手帳に一つの名前を書いた。
それは、自分たちにはもうないと思っていたものだった。
バンドウはそれを見て、にこりとした。
「ああ、はい。なるほど。いいと思います。それにしましょう。優一郎と、睦ちゃんが考えそうな名前です」
バンドウが新しい名前で星間ちゃんを呼ぶと、星間ちゃんの頭の亀裂が顔全体に走った。
ぶるぶると頭を振ると、星が崩れ落ちる。
そして、制服の中から、ひょっこりと新しい顔が出てきた。
手足も人間のものになる。
おおよそ四歳くらいの男の子が、異世界鉄道会社の制服に身を包んでいた。頬には桜の花が大きく咲いていた。顔はバンドウに似ていたが、目だけはどちらかと言えばムゲンに似ていた。
「お父さん! ボクのお父さんだ!」
バンドウが立ち上がり、高く抱き上げると、うわーっと嬉しそうに叫んだ。
ムゲンの元に行き、お母さん、と呼ぶと、ムゲンはしゃがんで強く抱きしめた。
「あれ、お母さんの耳に何かある」
「え、何ですか、何かありますか」
バンドウも気になり、ムゲンの髪の毛を耳にかける。
「お花だ!」
ムゲンの左の耳たぶに、小さな桜の花が咲いていた。
ちーっす、と軽い挨拶がセンターに響いた。ジョーだった。
茶色い紙の包みを持ってやってきたジョーがカウンターの横にいた子供に刺々しい視線を向けた。
「やっぱり隠し子、いたんすね」
じろりとカウンターに立っているバンドウを見ると、バンドウはにこりとした。
「違います。僕とムゲンさんの、れっきとした子供です」
「ぐああッ! マジでそう言われるとつらい。つらいっす。オレの推しがバンドーさんのものだったなんてショックです」
ジョーはカウンターに包みを置き、びりびりと破いた。
中には、完成したパンフレットが入っていた。まずは試しで五百部ほど印刷してもらっている。星間ちゃんが傘を持っている。吹き出しの中には『ようこそ、お忘れ物センターへ』というタイトルがあった。
それともう一つ。新しい名札が入っていた。
「人事にめちゃくちゃ言ったそうっすね。特例の新人がお忘れ物センターに入るって噂になってるっすよ」
「あはは、そうでしょうね。そりゃもう大変でしたよ。僕が遊んでたということがバレないようにちょっとアレンジもしましたけど、全部説明しましたからね。記憶の件については揉めましたが、出生前だったこともあってなんとか受理してもらえました。いやあ、白熱したバトルでした」
朗らかに笑うバンドウをジョーは据わった目で見る。
「バンドーさんって結構無茶しますよねー」
「必要だからしたまでです。お使いありがとうございました。五十部くらい、総合案内所に置いてください」
「りょーけーりょーけー。ムゲンちゃんは?」
保管室に向かってムゲンちゃーんと呼ぶと、カーテンが揺れて、ムゲンが出てくる。手には大きなゴミ袋があった。
「います。なんですか」
「いや、ムゲンちゃんの顔が見たかっただけっす。今日もビューティフルっすよ」
「どうも。あ、パンフレットありがとうございました。総合案内所に戻るついでに、ゴミを出してきてくれませんか。私たちはこれからすることがあるので」
ムゲンの顔に僅かに笑みが浮かんでおり、ジョーは唇を噛んだ。ジョーにとっては、今まで見たことのない顔だった。ムゲンがなんとなくバンドウに似てきている気がするし、幸せオーラを漂わせていた。推しが微笑んでくれるのは嬉しいが。
「ムゲンちゃんの頼みだからするだけっすよ、オレは便利屋じゃないでーす! 総務じゃないでーす! 総合案内担当でーす!」
ムゲンからゴミ袋を受け取ったジョーは、真顔で子供に近づいた。
「おい、ガキ。お前もしっかり働けよ。覚悟決めたんだろ」
「ジョーさんは、早く吹っ切れる覚悟決めたらどうですか?」
「こいつ……! バンドーさん、しっかり言い聞かせておいてください!」
勢いよく抱き上げ、ぶーんと一回転する。きゃーっと喜ぶのは、星間ちゃんだった時と同じだった。
超大作のすごろくが完成したから、また一緒に遊びましょうと誘われたジョーは、分かったよと指切りをする。遊び相手にしか思われていないようだが、いつかこいつにカッコイイ大先輩お兄さんと呼ばせてやる、と心の中で誓った。
ジョーがいなくなり、ムゲンはパンフレットを紙袋の中に入れ始め、バンドウは新しい名札を持ってカウンターから出た。しゃがんで、目線の高さを合わせる。
「本当に、いいんですね。あなたの魂、会社に握られることになりますよ」
「はい。別の世界で生きていく自信もないですし、お別れは嫌です」
名札をかけようとした時だった。紙袋を持ったムゲンがセンターのドアを開け、ねえ、と声をかける。
「巣立ちが始まる」
黄色い母鳥が北口改札の上を飛んでいた。
子供たちが一羽一羽飛び立ち、母鳥の元へ向かう。
最後に青い父鳥がセンターの中を一周飛び、出ていった。幸福の象徴というのは、本当だったのだとムゲンは思う。
――せめて、せめて、幸せになって。
杏奈の言葉が蘇る。
三人で見送れたことが嬉しかった。父鳥は三人の前でくるりと翻り、家族の元へ向かった。
「ねえ、ボクも」
ジャケットを引っ張られ、催促される。バンドウは名札をかけた。ムゲンもバンドウの隣に立つ。
「あなたに新しい名札を贈ります。ご自身で名前を呼んでください。忘れないように」
「はい、ボクは、ミライです。なんだか、特急の名前みたいでかっこいいですね」
ミライは真新しい名札を両手で掲げ、ムゲンに見せた。
「似合ってる、名前も、名札も」
ムゲンに頭を撫でられたミライはバンドウに両手を握られる。
「入社おめでとうございます、お忘れ物センターにようこそ。では、最初の仕事を伝えます。ムゲンさんと一緒に、パンフレット配布の旅に行ってください。南口改札前のコンビニ、レストラン街のお店、事務所が目的地です。駅長にはしっかり挨拶するんですよ」
「了解しました! お忘れ物センター線、特急ミライ、出発します!」
ビシッと敬礼し、ムゲンの手を取る。
ムゲンはミライに引っ張られながら、少し照れながら振り返る。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
バンドウは残ったパンフレットをカウンター脇に置いた。一部取って、仕上がりを見る。
あれから事務にも無理を言って、デジタルで描く道具を一式送ってもらった。ペンを持ったムゲンは、お忘れ物センターの仕事と並行して、多くの時間をかけて原稿を仕上げた。漫画に熱心だった万道睦の姿がそこにあった。
星間ちゃんが主人公だった。前半はお忘れ物センターの機能を説明し、後半は前世お忘れ物捜索サービスについての説明をしている。
大きめのパンフレットにはなってしまったが、お忘れ物センターの全てが描かれていた。
パンフレットの中の星間ちゃんは最後にこう呼びかけていた。
『大切なもの、忘れていませんか。思い出したいもの、ありませんか。遺してきたもの、ありませんか』
『転生者様、前世にお忘れ物はございませんか。前世お忘れ物捜索サービス、承ります』
センターで待ってましょうよって言ったんですけどね。ぽりぽりと頭を引っ掻いているバンドウに、ムゲンは抱きついた。それに続いて、星間ちゃんも二人に抱きつく。重みに耐えきれなくなったバンドウは、とりあえず、と言った。
「お忘れ物センターに戻りませんか?」
星間ちゃんがバンドウとムゲンの手を握り、ゆっくり歩いてセンターに帰る。
冷蔵庫にはミックスジュースが追加で置かれていた。バンドウが買ってくれていたらしい。ペットボトルを持って机に向かった。机の上には、飲みかけのコーヒーと、バンドウの手帳があった。パンフレットの案をさっきまで練っていたらしい。
椅子に座ると、星間ちゃんがムゲンの膝の上に乗ってきた。
「で、どうでしたか? 期待通りの結果でした?」
「明智。明智睦。これは旧姓」
星間ちゃんの頭を撫でながら自分の名前を告げる。
「結婚してから、名字が変わって、万道。万道睦。あなたと一緒」
「んっ……!?」
口に含んでいたコーヒーが気管に入り、バンドウは噎せた。後ろを向いてげほげほと咳き込む。
星間ちゃんが、うわあ、という顔をした。
「いや、思い出してきました。ええ、そうでした。睦ちゃん、睦ちゃんです。優一郎が愛したのは睦ちゃんです」
バンドウは深呼吸をして、ムゲンを見る。
「でも、どうして、ここへ来てしまったのですか。睦ちゃんが死んでしまった理由が僕には分からなくて……」
ムゲンは睦のことを全て伝えた。
子供ができていたことも、優一郎を追いかけて子供と共に電車に轢かれたことも。
全てを話し終わって、ムゲンは、バンドウにごめんなさいと謝った。
「ごめんなさい。私、優一郎さんの子供まで殺してしまった」
「……僕もね、死ぬ直前、睦ちゃんに謝りました。あなたは泣きながら僕の手を握ってくれたのに、それを振り払ってしまいましたから」
本当は逝くべきではなかった。あの夜も分かっていた。分かっていて、逝ってしまった。
新幹線の前に飛び出す直前に謝っていた相手は、睦だった。
他の誰でもなく、睦だった。
行かないでと泣きながら引き止めてくれた睦への謝罪だった。
最後に抱いたのも、謝罪のひとつだった。
だが、今更どれだけ謝っても、もうそれは過去のことである。バンドウは目の前に座っているムゲンを見て、笑った。
「僕たちの最期はあまりいいものではありませんでしたが……、こうやって一緒にお忘れ物センターにいて、僕たちのお忘れ物も無事回収できて、良かったとは思います。人事部には感謝しないといけませんね。お忘れ物センターで働く意義がまったく分かりませんでしたけど、ここで良かったです。それに、お忘れ物センターを設定していた優一郎にも感謝ですよ」
良かった良かったと笑うバンドウに、この人は何も変わらないな、と思ってしまい、ムゲンもつられて、つい笑ってしまった。
「バンドウさんはもう未練といったものはないの」
「まったくないですね。ここでの生活、まあまあ、楽しんでます。それに、ムゲンちゃんもいるし、前世に戻ろうなんて一切思いませんね。ムゲンちゃんは戻りたいですか?」
「いえ。そうは思わない」
じゃ、いいじゃないですか、とバンドウが締めくくろうとすると、星間ちゃんが声を上げた。
「ボクのことがまだ終わってない! ボクは? ボクのお忘れ物は?」
「どういうことですか?」
バンドウが聞くと、ムゲンは星間ちゃんが自分のお腹が懐かしいと言ったことを伝えた。
懐かしい。その言葉を聞いて、バンドウは星間ちゃんにおいで、と言った。星間ちゃんはバンドウの膝に乗る。
「魔法というのは本当にありえないことばかりですね。あなたは確かに僕たちの子でしょう。あなたのお忘れ物は誕生することです。僕たちはあなたに贈り物をしなければいけません。睦ちゃんは名前を考えていましたか?」
ムゲンは首を横に振った。男の子であることは分かっていたということを聞くと、バンドウはなるほど、と頷いた。
「では、魔法が切れる前に僕たちが考えましょう。星間ちゃんとしては終わりを迎えますが、それでもいいですか?」
バンドウの問いに、星間ちゃんはこくこくと頷いた。
ムゲンは、それならと、開きっぱなしだったバンドウの手帳に一つの名前を書いた。
それは、自分たちにはもうないと思っていたものだった。
バンドウはそれを見て、にこりとした。
「ああ、はい。なるほど。いいと思います。それにしましょう。優一郎と、睦ちゃんが考えそうな名前です」
バンドウが新しい名前で星間ちゃんを呼ぶと、星間ちゃんの頭の亀裂が顔全体に走った。
ぶるぶると頭を振ると、星が崩れ落ちる。
そして、制服の中から、ひょっこりと新しい顔が出てきた。
手足も人間のものになる。
おおよそ四歳くらいの男の子が、異世界鉄道会社の制服に身を包んでいた。頬には桜の花が大きく咲いていた。顔はバンドウに似ていたが、目だけはどちらかと言えばムゲンに似ていた。
「お父さん! ボクのお父さんだ!」
バンドウが立ち上がり、高く抱き上げると、うわーっと嬉しそうに叫んだ。
ムゲンの元に行き、お母さん、と呼ぶと、ムゲンはしゃがんで強く抱きしめた。
「あれ、お母さんの耳に何かある」
「え、何ですか、何かありますか」
バンドウも気になり、ムゲンの髪の毛を耳にかける。
「お花だ!」
ムゲンの左の耳たぶに、小さな桜の花が咲いていた。
ちーっす、と軽い挨拶がセンターに響いた。ジョーだった。
茶色い紙の包みを持ってやってきたジョーがカウンターの横にいた子供に刺々しい視線を向けた。
「やっぱり隠し子、いたんすね」
じろりとカウンターに立っているバンドウを見ると、バンドウはにこりとした。
「違います。僕とムゲンさんの、れっきとした子供です」
「ぐああッ! マジでそう言われるとつらい。つらいっす。オレの推しがバンドーさんのものだったなんてショックです」
ジョーはカウンターに包みを置き、びりびりと破いた。
中には、完成したパンフレットが入っていた。まずは試しで五百部ほど印刷してもらっている。星間ちゃんが傘を持っている。吹き出しの中には『ようこそ、お忘れ物センターへ』というタイトルがあった。
それともう一つ。新しい名札が入っていた。
「人事にめちゃくちゃ言ったそうっすね。特例の新人がお忘れ物センターに入るって噂になってるっすよ」
「あはは、そうでしょうね。そりゃもう大変でしたよ。僕が遊んでたということがバレないようにちょっとアレンジもしましたけど、全部説明しましたからね。記憶の件については揉めましたが、出生前だったこともあってなんとか受理してもらえました。いやあ、白熱したバトルでした」
朗らかに笑うバンドウをジョーは据わった目で見る。
「バンドーさんって結構無茶しますよねー」
「必要だからしたまでです。お使いありがとうございました。五十部くらい、総合案内所に置いてください」
「りょーけーりょーけー。ムゲンちゃんは?」
保管室に向かってムゲンちゃーんと呼ぶと、カーテンが揺れて、ムゲンが出てくる。手には大きなゴミ袋があった。
「います。なんですか」
「いや、ムゲンちゃんの顔が見たかっただけっす。今日もビューティフルっすよ」
「どうも。あ、パンフレットありがとうございました。総合案内所に戻るついでに、ゴミを出してきてくれませんか。私たちはこれからすることがあるので」
ムゲンの顔に僅かに笑みが浮かんでおり、ジョーは唇を噛んだ。ジョーにとっては、今まで見たことのない顔だった。ムゲンがなんとなくバンドウに似てきている気がするし、幸せオーラを漂わせていた。推しが微笑んでくれるのは嬉しいが。
「ムゲンちゃんの頼みだからするだけっすよ、オレは便利屋じゃないでーす! 総務じゃないでーす! 総合案内担当でーす!」
ムゲンからゴミ袋を受け取ったジョーは、真顔で子供に近づいた。
「おい、ガキ。お前もしっかり働けよ。覚悟決めたんだろ」
「ジョーさんは、早く吹っ切れる覚悟決めたらどうですか?」
「こいつ……! バンドーさん、しっかり言い聞かせておいてください!」
勢いよく抱き上げ、ぶーんと一回転する。きゃーっと喜ぶのは、星間ちゃんだった時と同じだった。
超大作のすごろくが完成したから、また一緒に遊びましょうと誘われたジョーは、分かったよと指切りをする。遊び相手にしか思われていないようだが、いつかこいつにカッコイイ大先輩お兄さんと呼ばせてやる、と心の中で誓った。
ジョーがいなくなり、ムゲンはパンフレットを紙袋の中に入れ始め、バンドウは新しい名札を持ってカウンターから出た。しゃがんで、目線の高さを合わせる。
「本当に、いいんですね。あなたの魂、会社に握られることになりますよ」
「はい。別の世界で生きていく自信もないですし、お別れは嫌です」
名札をかけようとした時だった。紙袋を持ったムゲンがセンターのドアを開け、ねえ、と声をかける。
「巣立ちが始まる」
黄色い母鳥が北口改札の上を飛んでいた。
子供たちが一羽一羽飛び立ち、母鳥の元へ向かう。
最後に青い父鳥がセンターの中を一周飛び、出ていった。幸福の象徴というのは、本当だったのだとムゲンは思う。
――せめて、せめて、幸せになって。
杏奈の言葉が蘇る。
三人で見送れたことが嬉しかった。父鳥は三人の前でくるりと翻り、家族の元へ向かった。
「ねえ、ボクも」
ジャケットを引っ張られ、催促される。バンドウは名札をかけた。ムゲンもバンドウの隣に立つ。
「あなたに新しい名札を贈ります。ご自身で名前を呼んでください。忘れないように」
「はい、ボクは、ミライです。なんだか、特急の名前みたいでかっこいいですね」
ミライは真新しい名札を両手で掲げ、ムゲンに見せた。
「似合ってる、名前も、名札も」
ムゲンに頭を撫でられたミライはバンドウに両手を握られる。
「入社おめでとうございます、お忘れ物センターにようこそ。では、最初の仕事を伝えます。ムゲンさんと一緒に、パンフレット配布の旅に行ってください。南口改札前のコンビニ、レストラン街のお店、事務所が目的地です。駅長にはしっかり挨拶するんですよ」
「了解しました! お忘れ物センター線、特急ミライ、出発します!」
ビシッと敬礼し、ムゲンの手を取る。
ムゲンはミライに引っ張られながら、少し照れながら振り返る。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
バンドウは残ったパンフレットをカウンター脇に置いた。一部取って、仕上がりを見る。
あれから事務にも無理を言って、デジタルで描く道具を一式送ってもらった。ペンを持ったムゲンは、お忘れ物センターの仕事と並行して、多くの時間をかけて原稿を仕上げた。漫画に熱心だった万道睦の姿がそこにあった。
星間ちゃんが主人公だった。前半はお忘れ物センターの機能を説明し、後半は前世お忘れ物捜索サービスについての説明をしている。
大きめのパンフレットにはなってしまったが、お忘れ物センターの全てが描かれていた。
パンフレットの中の星間ちゃんは最後にこう呼びかけていた。
『大切なもの、忘れていませんか。思い出したいもの、ありませんか。遺してきたもの、ありませんか』
『転生者様、前世にお忘れ物はございませんか。前世お忘れ物捜索サービス、承ります』