1章 推しを忘れた令嬢

 レースたっぷりのドレスの裾を上げてつかつかと入ってきた女性は、訝しげにムゲンを見た。ブルーの瞳。ブロンドの髪はふんわりと巻かれており、上品さを醸し出していた。しかし、覇気がない。やつれた様子である。年齢は三十歳ほど。バンドウよりは若く見える。ドレスを纏っていることから、身分の高い者なのだろう。付き人はいなかった。こういう女性がここまで一人で来ることはまず珍しい。バンドウはすぐに察し、カウンターで待機することにする。
 バンドウはムゲンの隣に立っていたが、声をかけたのはムゲンである。マニュアル通り客を迎え入れた。
「こんにちは、いらっしゃいませ、今日は何をお忘れですか」
 ムゲンの質問に対する答えはなかった。女性は、ムゲンの質問に対し、質問で返す。
「前世の世界に、忘れ物を取りにいけるというのは、本当ですの?」
 ああ、とバンドウが手をぽんと叩く。
「前世お忘れ物捜索サービスですね。できますよ。ただ、予約が必要です。私がお伺いします。どうぞあちらの席に」
 バンドウが指し示したのは、先程ジョーが座っていた椅子である。ムゲンは話が長くなると察し、お茶を入れに保管室に入った。
 バンドウはカウンターの下にある書類ボックスから、一枚の転写シートを取り出し、バインダーに挟んだ。ジャケットの下から手帳とボールペンを取り出し、カウンターから出て女性をエスコートする。
 円テーブルにバインダーと手帳を置き、バンドウはどうぞ、と優しく女性を座らせた。
 ドレスを持ち上げ、ゆっくりと座る。堅い椅子に、お尻をもぞもぞとさせていた。
 バンドウが取り出したシートには『前世お忘れ物捜索サービス』とトップにゴシック体で印刷されていた。その隣には、依頼人の名前を記入する欄がある。
 その下には、行き先、捜索日時、希望する品、転生印の有無、前世の記憶の有無、注意事項のチェックリスト、料金、担当者の記入欄があった。比較的簡単な予約シートである。
 ボールペンをカチリと鳴らし、バンドウは早速女性の名前を聞いた。
「アデリア・フォーゲルンベンですわ」
「アデリア・フォーゲルンベン様ですね、はい、綴りはこれで合ってます? はい、はい、ありがとうございます。失礼ですが、年齢をお聞きしても?」
「三十四です」
「はい、はい、分かりました。転生印はございますか?」
 バンドウが聞くと、アデリアは眉をひそめた。男性には見せにくい場所にあるのだろうか。
 ちょうどお茶を持ってきたムゲンに、バンドウは確認を、と声をかける。
 ムゲンはアデリアを保管室に誘導する。その間、バンドウは予約シートに書かれた名前をじっと見ていた。
 印の確認に、時間がかかっているようだ。ドレスに手間取っているのかもしれない。ムゲンには馴染みない衣類だったし、アデリア本人も着付けは他人任せだったのだろう。その間、これ以上客が来ても困るので、バンドウはドアのフックに『お忘れ物対応中、しばらくお待ち下さい』と書かれたカードをかけた。
 しばらく待ったところで、ようやくアデリアとムゲンが保管室から出てくる。ムゲンは指で丸を作った。あった、ということだ。印の場所を示すために自分の右胸をとんとんと叩いた。印があったのなら、アデリアは確かに転生者だ。
 アデリアはテーブルに戻るとすぐにお茶を口にした。
「アデリア様は、記憶がある方の転生者ですか?」
「部分的に」
「はい、分かりました。部分的にある、ということで」
 バンドウは聞き取ったことをすぐにシートに書き込んでいく。ムゲンはバンドウの隣に立ち、黙って内容を見ていた。
 行き先は日本。天の川線を走る特急に乗れば行ける世界である。日本と聞くと、ムゲンは何故だか分からないが、懐かしさを感じた。日本、というのは、心をくすぐる響きだった。
「それで、何をお忘れになられたのですか? 希望する品をお聞きしても?」
「推しですわ」
「はい、推しですね。それはすぐに見つかるようなものですか?」
「ええ……多分」
 アデリアが言い淀んだので、バンドウは捜索日時の記入欄を指さした。
「基本、捜索は一時間で設定しますが、追加料金をいただいたら捜索時間を延長しますよ、いかがしますか」
 ラミネートした料金表をムゲンがカウンターから持ってくる。
 提示された料金に、アデリアは一瞬目を見開き、自分を落ち着かせようとピンクのけばけばしい羽根扇子で顔を扇ぎだした。
「追加はよろしいです。基本料金でお願いしますわ」
「かしこまりました。捜索日時ですが、明後日の午前九時からはいかがでしょう。ちょうど、天の川線特急チキュウが発車する時間となっています。到着時間は午後三時。それから一時間の捜索後、午後四時発、特急タナバタに乗って、こちらに到着するのが午後十時。いかがでしょう」
 ムゲンはさらに時刻表をカウンターから持ってくる。
 星の間中央駅から向かうのは特急チキュウ。戻ってくる時は特急タナバタ。時間的にはこれが良かった。特急チキュウは、その惑星の色を表現したスカイブルーの車体が魅力だった。すらっとしたボディが鉄道ファンの間でも人気である。特急タナバタは、ある国の伝統行事の名を冠しているらしく、車体には星が散りばめられ、一車両目には星間ちゃんが描かれていた。丸みを帯びた顔は可愛らしく、こちらも鉄道ファンの間で人気である。
「それでよろしいです。こちらの駅の隣にはホテルもあるのですよね」
「星の間ホテルのことですね。ありますよ。ご予約はご自身でお願いします」
 サービス料金、特急券、乗車券の料金合わせて計算した額をバンドウは提示した。アデリアはその料金に納得する。
 バンドウは最後に予約シートをアデリアに見せた。
「では、注意事項の確認です。一、お忘れ物は一つしか持って来ることができません。二、転生一回につき、本サービスは一回しかご利用できません。三、料金は前払いです。キャンセルはできません。以上、よろしいでしょうか」
「はい。分かりましたわ」
 アデリアの返答に、バンドウはにこっと笑い、ボールペンで三つの注意事項に丸をした。
「ありがとうございます。では、お支払いと発券はカウンターでお願いします。午前八時半にお忘れ物センターにお越しください」
 予約シートを預かったムゲンが支払い手続きをし、特急券と乗車券を発券する。券とシートの複写を持ってアデリアはお忘れ物センターを後にした。
 ムゲンが保管室でカップを片付けていると、やれやれとバンドウが首をぽきぽきと鳴らしながら入ってくる。
「どっちが行くの」
「そりゃ僕でしょう。僕が聞きましたから。もう担当者名も僕の名前を書きました。それに、ムゲンさんはまだ前世お忘れ物捜索に行ったことないですからね。でも、いつか行ってみるといいですよ。帰りの特急でお酒が飲めるかもしれません」
「……え?」
 どうして酒。ムゲンが水を止め、バンドウを見る。
「バレないの」
「僕は気にせず飲みます。だって、滅多にない出張ですから」
 客の前で? とムゲンは思ったが、それ以上は聞かなかった。客の前でも飲みそうなのがバンドウだったからだ。
 それよりも、もっと気になる事があった。
「推しって、何」
「イチオシの人、イチオシのアイドル、イチオシのキャラクター……とにかく、心から好きで、心から応援したい、大切にしたいもののことを指すようです」
 バンドウが遊んでいたゲームもたくさんの男性が描かれていた。そのうちの一人を好きになるのだろうか。ムゲンは、いやでも、とある可能性に気づく。
「それって、たった一人や一つに絞られるようなものなの。全部が推しってこともありえるでしょ」
「一人に絞れる人もいるし、いくつもの推しを持っている人もいます。推しをそっと応援するタイプから、推しに愛されたい、独占したいタイプまで、様々だそうです。さて、アデリア様はどっちでしょうねえ……、ムゲンちゃん、僕、コーヒーのおかわりが飲みたいです。あ、ブラックでお願いします」
 バンドウが「ちゃん」で呼ぶ時は、たいていムゲンに何か面倒なことを頼んだり、甘える時である。最初は気持ち悪いとは思ったが、今となってはもうどうでもよくなっていた。そういう人なのだという諦めもあった。
 バンドウは椅子に腰掛け、テーブルの上にほったらかしにしていたゲーム機の電源を入れ、再度遊び始めた。あのキスシーンから再開される。音量をオフにし、真顔でプレイしていた。キスシーンが終わったのか、ふうん、と目を細めて呟いていた。
 ムゲンはコーヒーを入れたバンドウの無地マグカップをテーブルの上に置き、ドアにかけられていた『対応中』のカードを取り、カウンターでこれから届けられるであろう忘れ物を受け取る準備を始めた。
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