5章 神を忘れた聖女

 車内でうとうとしていたら、僅かな揺れを感じた。特急が動き始めたようだ。車内アナウンスで車掌がこれから星の間中央駅に向かうことを知らせている。
 ほっとした。やっと帰れる。予定ではあと一時間ほどで到着するようである。ふと、座席のポケットが気になって、中を見てみる。
 旅行パッケージのパンフレットが入っていた。どれも写真で魅力を伝えている。
 お忘れ物センターのパンフレットが完成したら、この中に入れてもらおう。そう思った。
 星の間中央駅に到着し、下車して体を伸ばした後、すぐにお忘れ物センターに帰る。まだダイヤは乱れっぱなしで、ひっきりなしにアナウンスがかかっていた。構内を歩く客の数もいくらか少ない。
 かなり大きな嵐だったのだろうな、と思いながら改札を抜ける。センターのドアの前で、とんがり頭がじっと何かを見上げているのを発見した。
「星間ちゃんさん、何を見ているのですか」
 近づいて声をかけると、星間ちゃんは、あっと声を上げてムゲンに抱きついた。
「おかえりなさい!」
「ただいま帰りました」
 あれ、泣かない、と思っていると、バンドウも入り口にやってくる。手には新聞紙があった。
「おかえりなさい。大変でしたね」
「まあ。でもタナバタは早めに動いたから」
「確かに。丸々二日かかる線もありますしねえ。今日はよく休んでください。通常の運行に戻るまであと一日はかかりそうですし、見ての通り今日は駅もガラガラです」
 そう言いながら、バンドウは床に新聞紙を敷き始めた。
 ムゲンに抱きついていた星間ちゃんも、バンドウの手伝いをし始める。
 何があったのかと聞くと、バンドウと星間ちゃんが同時に上を指さした。その先を見ると、鳥の巣がある。
「壊さなかったの」
「ボクたち、巣立ちを見守るって決めたんです」
 ね、とバンドウに話しかけ、バンドウもはい、と答えた。
 いつの間にか仲良くなっている二人の邪魔をするわけにもいかず、ムゲンはすぐに保管室に入り、ベッドに倒れ込んだ。
 ジャケットのボタンを外し、仰向けになる。
 深い溜息をついて、そっと机を見ると、お菓子の袋が転がっていた。バンドウと星間ちゃんが食べたのだろう。ゴミくらい捨ててくれと思ったが、星間ちゃんの涙が止まっているならもういい、と許せた。
 保管室に戻ってきたバンドウと星間ちゃんは、床にセロハンテープでつなぎ合わせたコピー用紙を広げ、ペンで何か描いて遊んでいる。
 何をしているのかとベッドから声をかけると、バンドウは「人生すごろくを作っているんです」と言った。もう二人だけの世界が出来上がり、ムゲンはそっちのけである。
「あ、ボク、ここで大金持ちになりたいです」
「いいですねえ。では、このマスにイベントを入れておきましょう」
 うんうん、と言いながらバンドウはペンを動かしているし、星間ちゃんも楽しそうだった。優一郎さんがいる、と思った。世界と物語を作るのが好きな優一郎がバンドウの中にいた。
 ムゲンは枕の横にあった育児雑誌を見て、そういうことか、と納得した。
 カウンターからすみませーん、と声がかかると、バンドウが向かう。そして仕事が終わればまた星間ちゃんの相手をしていた。
 次のすみませーんで、ムゲンは星間ちゃんをベッドに呼んだ。
「もう泣いてないのですか」
「はい。バンドウさんがいっぱい遊んでくれるので。でも、ムゲンさんにもぎゅうしてほしいです」
 ムゲンは起き上がり、星間ちゃんを抱きしめる。
 額を撫でようとして、その手を止めた。そっと帽子を取ると、大きな亀裂が入っていた。
 いつからなのか。でも、本人は気付いてないようだったので、ムゲンは見なかったふりをした。
「星間ちゃんさんはなんであんなにバンドウさんを嫌がっていたのですか」
「だって、ムゲンさんをボクから取ろうとするんですもん。でも嵐の夜に、仲直りしました。仲直りの証に、一緒に人生すごろくを作っているんです。超大作ですよ!」
「それで、私がいなくても、泣かなくなったということですね」
「そういうことです。でも、ムゲンさんがいないとやっぱり寂しいです。ボク、ムゲンさんにぎゅうすると、とっても安心します」
 星間ちゃんはふとムゲンの腹を撫でた。
 え、と声が出た。
「ムゲンさんのここが、懐かしいんです。ボクもよく分かんないんですけど。ごめんなさい。変なこと言いました」
 ムゲンが混乱していると、星間ちゃんはカウンターに逃げていってしまった。
 懐かしい。その言葉が意味することは分かっている。でも、何故お腹なのだろう。考えていても分からなくて、ムゲンはそのまま寝入ってしまった。
 星間ちゃんのその言葉をバンドウに伝えることはできず、ムゲンの中でふわふわと漂っていた。目が覚めたあと、バンドウに言えたのは、頭の亀裂のことだけだった。
 星間ちゃんが鳥の巣を見ている間、バンドウに伝えてみると、知っていますよ、と答えた。
「前からありましたけど、大きくなってますよね」
「気付いていたの」
「はい。でも、魔法の子ですから、僕にはどうすることもできません。どこかに魔法に詳しい方がいらっしゃればいいんですが。あ、こんにちは、いらっしゃいませ。今日は何をお忘れですか?」
 カウンターに来たのは、白衣を着た初老の男だった。頭をぽりぽりと引っ掻いて、申し訳無さそうに忘れ物を伝える。リストに載っていたので、ムゲンが取りに行く。小さめのキャリーケースだった。
「いやあ、すみません。荷台に乗せたまま降りちゃいまして。うっかりうっかり」
 バンドウはキャリーケースから札を取り、男に渡す。
「よくあることです。気付いて良かったですね。ところで、もしかして、お医者様ですか?」
 尋ねると、男は魔法生物専門だと答えた。
 その返事を聞いて、バンドウはすぐムゲンに星間ちゃんさんを呼んできてください、と小声で言い、男には診てほしいものがあるんですと言って引き止めた。
 星間ちゃんはよく分かっていないみたいで、おどおどしながらも医者に挨拶をする。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。魔法のクレヨンで描かれた子ですね。ごめんねえ、ちょっと診せてねえ」
 医者は星間ちゃんが喋ったことに感心しながら星間ちゃんの帽子をそっと持ち上げる。
 星間ちゃんは何かあったのかとバンドウを見たが、バンドウは何も言わなかった。ムゲンも、星間ちゃんの肩に手を置いたまま、何も言わなかった。
 医者の診察が終わると、ムゲンは星間ちゃんと一緒にもう一度、鳥の巣の元へ行った。
 医者は首を横に振り、バンドウに伝えた。
「魔法切れですね。まあ長くて、あと一週間でしょうか。あまり心身に大きな負担がかからないようにしてあげてください。魔法を消耗してしまいますので」
「やっぱりそうですか。すみません、引き止めて。お時間、良かったですか」
「はい。ダイヤが乱れていて、出発できそうになかったんで。今日も星の間ホテルにお世話になる予定です」
 礼を述べて、医者はセンターから出ていった。
 それから、センターに戻ってきた星間ちゃんはカウンターの隣に立ち、ガラス壁の外を見ていた。バンドウはムゲンに僅かに首を横に振って見せる。
 長いまつ毛が震えていた。
 外を見ていた星間ちゃんがぼそりと言った。
「ねえ、さっきから何なんですか。お二人がボクを描いたんですから、お二人の考えていることなんて筒抜けです。分かってますよ。ボク、もう、駄目なんでしょ?」
 ムゲンはカウンターから飛び出し、星間ちゃんを抱き上げ、そのまま保管室に連れて行ってしまった。
 カーテンの向こうから、激しい嗚咽が聞こえてくる。星間ちゃんではなく、ムゲンのものだった。
 嫌です。死なないでください。どこにも逝かないで。ムゲンの震える声がバンドウまで届いてくる。
 ――どこにもいかないで。
 生前、一切書けなくなった時に、同じことを誰かに言われた気がするのだが、思い出せなかった。
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