5章 神を忘れた聖女

 特急タナバタに乗ると、安心できた。ムゲンは肺から淀んだ空気を吐き出した。
 帰りは絶対特急タナバタ、というバンドウの教えは相変わらず守っていた。バンドウはハナビのことを言っているのだろうが、確かにハナビに声をかけてもらうと、生きて帰れると思えて、安心できるのだ。
 予約時はムゲンと客の二人きりにさせ、バンドウは前世お忘れ物捜索サービスから一歩下がっていたが、帰ったら星間ちゃんと一緒に迎えてくれる。いつも帰りの六時間は、長過ぎると感じていた。
 早く帰りたい。
 帰ってベッドに倒れ込んで、朝まで寝たい。
 連続で前世お忘れ物捜索サービスに出ると、かなり心身ともに負担がかかる。いくら車内サービスが充実していて、座席もいいものを使っているとはいえ、往復十二時間も特急に乗るのはしんどいものがあった。さらに、前世お忘れ物捜索サービスを依頼する客の過去も、穏やかなものもあればそうでないものもある。今日の客は温厚な人ではあったが、死因はあまり穏やかではなかった。
 依頼主は、前世では日本のある工場に勤めている人だった。ムゲンもその工場に行った。鉄板を製造する工場らしく、大きなプレス機があった。ムゲンはそれらを見て、確かこんな工場に見学に行ったなと思い出していた。漫画の資料集めをしていたのだろう。たくさん写真を撮って帰ったのを覚えている。優一郎も一緒にいた時もあった。二人で新作の舞台となるところへ取材に行ったのだ。
 仕事中だからと、優一郎はムゲンのことをペンネームで呼んでいた。いつもそうだった。会社のオフィスに顔を出した時も、優一郎はペンネームで自分を呼んでいた。開発陣の人たちも、営業部の人たちもみんな自分をペンネームで呼んだ。自分の本名を知っているのは、ハッピープラネットで働くきっかけを作ってくれた杏奈と、会社の事務員だけだった。
 そんなことを思い出しながら依頼主に着いて歩いていたが、依頼主は自分の死因を思い出したらしく、それをムゲンに語って聞かせた。
 事故で、プレス機に体を挟んでしまったのだという。あの大きな金属の塊に挟まって自分は死んだんだと。
 ムゲンは持ち前の想像力でありありとその様子を脳内に描いてしまい、気分が悪くなってしまった。死んでしまう瞬間を想像すると、ぞっとしてしまう。自分も踏切に入って列車に轢かれて死んだのに。
 依頼主はこの工場で働くことにやりがいを感じていた。もう一度やり直したいと願ったので、ムゲンはサービスを終えて、タナバタに乗った。
 今日は一人で帰っている。
 通路側ではなく、窓側に座って、ぼんやり星々を見ていた。
 日本に行くと、何もかもが懐かしくて、その懐かしさの量にぐったりとしてしまう自分がいた。
 バンドウは何回もこなしていれば慣れていくと教えてくれたので、自分も早く慣れたいとは思っているが、まだそこまでには至っていない。
 帰ったら、星間ちゃんは起きているだろうか、とムゲンは今日の朝のことを思い出す。
 大声で泣き、ムゲンにしがみついてくる星間ちゃん。予約時間が迫っており、もう依頼主もセンターの前で待っていた。なかなかムゲンが出発できないので、バンドウが星間ちゃんを無理矢理ムゲンから引き剥がし、早く行ってください、と送り出したのだ。
 前世お忘れ物サービスを連続で受けてこれで五件目。一件目の時はちょっと涙が出るくらいだったが、二件目からは大騒ぎだった。強く抱きしめてやってもパニックを起こしてしまう。申し訳無さのようなものもあった。それはバンドウに対してもだし、星間ちゃんに対してもだった。でも、バンドウは前世お忘れ物捜索サービスはムゲンが行ってと送り出してくれる。
 当分は捜索サービスもないだろうし、いっぱい抱きしめてやろう、と決めた時だった。
 大きなブレーキ音が響き、特急が徐々にスピードを落とす。
 何事かと思い、ムゲンはやってきたハナビに声をかける。
「どうしたんですか。何か、トラブルですか」
「うーん、星の間中央駅付近で時空嵐が発生したようです。全線停止になっちゃったみたいで。私たち、ここで待機ですね。他に駅なんてないし。ムゲンさん、今日ばかりは、飲んでみません? 特急タナバタ限定ビール。美味しいですよ?」
 ここぞとばかりに、缶ビールを見せてくるハナビにムゲンは首を横に振った。
「いえ。私はお酒があまり得意じゃないので」
「あ、バンドウさん言ってましたね。ムゲンさん、弱いって。でも、いつもミックスジュースじゃ、飽きるでしょう? バンドウさんからは駄目って言われてるけど、ちょっとくらい。ね、大先輩からのサービスと思って受け取ってください。それに、お疲れのようだし。ここ最近、ずっとムゲンさんじゃないですか。嵐が過ぎ去るまで時間かかりますし、ここは一本、どうぞどうぞ」
 ハナビがぐいぐいと缶ビールを出してくるので、ムゲンはついうっかり受け取ってしまった。
「仕事終わりのお酒は、特別なんですって。バンドウさんが言ってました。それでは、ごゆっくり」
 ――優一郎さんもそんなことを言っていた気がする。
 ムゲンは手の中にある冷たい缶を両手で包んだ。
 二人で、新幹線に乗って、色んなところに行って、色んなものを見て、色んな物語を作った。帰りに優一郎は一人で飲んでいて、自分は弱いから、と断っていた。
 仕事だった。仕事だったはず。いや、本当に……仕事、だったのだろうか。MUGENは優一郎と二人きりでいれることに、喜んでいたような気もする。
 プルタブを引き、ちょっとずつ飲む。時間をかけて減らしていったが、酔いが回って、飲み干した後にすぐ寝てしまった。


 時空嵐が発生したことは、構内放送で知った。
 雑誌を読んでいたバンドウは、ベッドでふてくされている星間ちゃんに声をかけた。
「おや、時空嵐ですか。星間ちゃんさん、ムゲンさんの帰り、遅くなりそうです。全線停止中ですって」
「ええ! やだやだ、やです!!」
「やだやだしても、しょうがないじゃないですか。あ、そうだ。星間ちゃんさん、ポテチがあります。夜のおやつです。悪いことしちゃいましょう。ムゲンさんがいないから、できることもあるんですよ」
「チクってやります」
「お好きにどうぞ。僕は食べますからね」
 あまり好きじゃないけれど、と思いながらバンドウは一枚口にした。しょっぱい。こういうのを食べると、コーヒーじゃなく、酒が欲しくなる。
 星間ちゃんはそんなバンドウを見て、ずるずるとベッドから降りて椅子によじ登り、ポテチに手を伸ばした。
「なんでボクは、こんなおじさんと丸一日一緒に過ごさないといけないんでしょうか」
「だから、おじさんじゃないですってば。何なんですか、ずっと僕にくっついて泣いていたのに。僕だってね、ムゲンさんがいないと寂しくてしょうがないですよ」
「はいはい、バンドウさんの惚気なんて聞きたくないでーす……あ、ムゲンさんかな」
 星間ちゃんはがたん、という音を聞き、椅子から飛び降りてカーテンを開けた。
 バンドウもカウンターに出る。
 だが、ムゲンでもないし、客でもない。星間ちゃんはおかしいな、という顔をして、センターの外に出た。
 改札の向こうからびゅっと風が吹き込んでくる。さっきの音は、風がドアを閉めた音だったのだろう。客の流れは完全に止まり、北口改札前はしん、としていた。こういう時、星の間ホテルが無料で部屋を貸し出すので、そちらに流れたようだ。
 星間ちゃんはなーんだ、と思い、踵を返しセンターに戻ろうとした。その時、ふと視界の隅で何かが動いた気がして、ぱっと顔を上げる。
「あ! 鳥さんが巣作ってます!」
 指さしたのは『お忘れ物センター』という掲示の上だった。ちょうどドアの真上である。
 バンドウも外に出て、確認をする。
「ああ、本当ですね。いつからあったんでしょう。気付きませんでした」
「早く追い払いましょうよ。フンされたら、汚いですよ」
 鳥は喋らなかったが、言葉が分かるのか、じっとバンドウを見ていた。大きな、青い鳥だった。奥にはもう一羽いるようだが、じっとしている。産卵を終えて、卵を温めているようだ。
「巣立ちを待つべきですよ。新聞を敷いておけば大丈夫でしょう。楽しみが増えましたねえ」
「楽しみなんですか、バンドウさんは」
「こういう出来事は、一つ一つを楽しみたいんですよ。何か物語が生まれる気がしませんか? それに、星間ちゃんさん。楽しみというのはね、二種類あるんですよ。すぐに受け取れる楽しみと、ちょっと待つ楽しみの二種類あるんです。楽しみというのは、後に取っておくのも大事なんです。そうすると、楽しさと喜びが倍増しますからね」
 星間ちゃんは保管室に帰っていくバンドウの背中を見ていた。
 もう一度、鳥の巣を見上げる。
 ――もうちょっと、じゃあ、待とうかな。ムゲンさんの帰りも、巣立ちも。
 それから星間ちゃんは泣かなかった。また一緒にポテチを食べ、静かに嵐が過ぎ去るのを二人で待っていた。
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