1章 推しを忘れた令嬢

 バンドウが持ってきたのは、携帯ゲーム機だった。画面は一つで、横長である。よくあるお忘れ物だ。この機種の他にも様々な機種のゲーム機が届けられる。これが忘れられているのは、天の川線。先程の勇者も利用していた路線である。ゲーム機に入っているソフトは、RPG、ローグライク、シミュレーション、アクションなどで、傾向としてはRPGが少し多めだった。
 ジョーはゲーム機を見た瞬間、ヒュウっと口笛を吹いた。ジョーはなにより、このゲームというものが好きだった。特に好きなジャンルというものは存在せず、この忘れ物センターに届けられているものならなんでもする。バンドウも笑みを浮かべたまま、電源ボタンを押そうとしている。
「あなたたちは、コンプライアンスというものをご存知ないのですか」
 カウンターを挟んで、バンドウとジョーは額が当たりそうなほど近づき、電源が入るように祈っていた。
「わーってるよ、ムゲンちゃんが見張ってくれてたらだーいじょうぶ」
 ジョーは小言を嫌う。おばさん上司だったらぶん殴られる返事だが、ムゲンはそれ以上は言わなかった。
 ジョーが先輩だからという理由ではない。もうムゲンは諦めていたのだ。
 この部屋はガラス壁で、外から丸見えであるにも関わらず、この自信である。いつ誰がクレームを駅の事務所や本部に入れるか分からないが、ムゲンにとって知ったことではない。お忘れ物センターの責任者はバンドウの方なのだから。ジョーはムゲンより年齢は若いが、入社はムゲンよりも先の先輩だ。だから叱られるのはムゲンではなく、このゲーム機を持ってきて遊び始めるバンドウとジョーの方なのだ。こういう時に星の間中央駅の駅長や、本部の人が通りかかってくれればいいのに、といつも思っている。
「じゃ、点けますよ」
 電源が入るか入らないかが最大の問題だった。充電器がないので、遊べる確率は低い。列車の中で利用客が遊びきっていれば、バンドウもジョーも遊ぶことができない。多少充電に残量があれば遊べるのだが、長時間遊べないことが多かった。
 ジョーがアーメンと唱えながら十字を切る。身体に染み付いた言葉と仕草だったが、ジョー自身、どの神に祈っているかは分からなかった。
 バンドウが本体上にある電源ボタンを長押しして――画面が白く光った。大きな音が出るので、音量はなるべく小さくした。できるだけ長時間遊ぶためだ。
「おお!」
「点きましたね。どれどれ」
 長時間放置されていたために、時間設定からしなければならなかった。バンドウは腕時計で時間を確認し、入力を完了させる。
 入っていたソフトのタイトルとイラストが表示され、ジョーは首を傾げた。今まで見たことがないような雰囲気のイラストだった。女性を中心に置き、その周りを複数の男性が配置されていた。
「なんすか、これ」
「ああ、これは、乙女ゲーというやつです」
「乙女? ってことは、女子が遊ぶやつ?」
「そうです。恋愛を主に楽しむゲームで、イケメンがたくさん出てくるのです。このジャンルは忘れ物で届けられる頻度は少ないですので、ジョーさんは初めてですね」
 バンドウがゲームを起動させると、軽快な音楽と共に、アニメのオープニングムービーが流れ始める。カウンターに寄りかかり、外を見ていたムゲンの身体が、次第に二人に近づき、一緒に画面を見ていた。やっぱりムゲンちゃんもちょっとは興味あるじゃん、と、ジョーはにやにやする。
「ムゲンちゃんもこういうの好きなの?」
「違います。お忘れ物の内容を知っておくのは業務上必要なことですので」
「では、遊んでもよい、ということですね」
 バンドウの返事に、ムゲンはぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「違います。バンドウさんはそろそろ社内ルールを遵守したほうがよろしいかと。ここの責任者じゃないですか」
「責任者だから、知っておく必要があるんですよ」
 それとこれとは違うじゃないか、と言おうとしたが、出てきたのは溜息だけだった。バンドウに口で勝てた試しがなかった。
 ムゲンは再度、ガラス壁の向こうを見る。
 皆、流れに乗って改札に入っていく。まるで何かに吸われているようだった。北口改札前は照明も少なく、薄暗い。
 それと比べて、お忘れ物センターはいつも明るい。清潔さに溢れている。物は整然としており、ムゲンはこの「きちんとした感じ」が好きだ。それなのに、ここの責任者はルール無視。それに便乗する総合案内の男も来る。溜息しか出ない。
 オープニングムービーが終わり、スタート画面となる。やはり、可愛らしい女性が中央に置かれ、周りには男性が置かれていた。どれがイケメンに見えるかとバンドウとジョーはひっついて画面を見つめている。
 ムゲンはカウンターに預けていた身体を正し、あ、と声を出した。
 バンドウはさっとゲーム機をカウンターの中に隠し、ジョーはひゅーっと白々しく口笛を吹く。
 ムゲンはその素早さに呆れつつ「嘘」と言った。
「も〜、ムゲンちゃん〜」
「はいはい、奥でしろってことですね。行きましょう、ジョーさん」
 バンドウが保管室に誘ったが、ジョーは腕時計を見て、軽く舌打ちをした。タイムリミットのようである。
「ちぇー! まあ、また来るよ。じゃね、ムゲンちゃん。サンキュー、バンドーさん」
「はい、また」
 ジョーは手をひらひらと振り、中央にある総合案内所まで戻っていった。ムゲンはようやく嵐が去ったと安堵の溜息をつく。
 バンドウはゲーム機を持ったまま、保管室へと入っていった。
 ムゲンも保管室の中を見る。床には大量の麻袋やビニール袋が積まれている。中には傘とか剣とかそういったものが入っているのと、保管期限が過ぎたゴミが入っている。棚には盾、ぬいぐるみ、旅行鞄など大きめの忘れ物が整然と並べられていた。壁にはショルダーバッグやネックレスなど紐状のものがかけられている。金庫には財布など貴重品が保管されていた。どれにも札が貼ってある。冷蔵庫もあり、食品の忘れ物が保管されている。保管期限切れかつ、まだ食べられそうなものは、たまにバンドウがつまみ食いしていた。腹痛になっても知らないから、とムゲンはいつも心の中で思っている。
 保管室の右手前には小さな机と椅子もあり、さらには、仮眠用のベッドまであった。お茶が入れられるように小さいガスコンロと水道もあった。今までも二人体制で回していたらしく、椅子は二人分あった。前の職員がどこに異動したのかはムゲンには知らされていなかった。
 バンドウは自分の無地のマグカップを取り、インスタントコーヒーを入れる。そしてテーブルにつき、無言でゲームを始める。いくらか進めたところで、バンドウの顔がにやつき始めた。
「おお、さっそくキスですよ、ムゲンさん。見ますか」
「見ない」
「ここを覗いているということは、ほんとは見たいんですよね、照れなくていいですよ、ほら」
 バンドウはムゲンの返答を無視して、画面を保管室入り口に立ったままのムゲンに見せた。主人公の女性と、攻略対象の一人の男性とのラブシーンである。綺麗なスチルだった。バンドウがいたずらをするような顔でゲーム機本体のボリュームを上げると、甘ったるい男性のボイスと、女性の吐息が保管室に響く。ちゅ、ちゅ、とキスの音がムゲンの耳に届く。激しめのキスだった。
「おやおや。これは。かなり。こういうのがお好きな利用者、多いんでしょうか……って、ムゲンさん、顔、赤いですよ?」
「バ、バンドウさんが見せるからっ」
「ムゲンちゃんは可愛いですねえ。反応が初々しい」
 バンドウはくすくすと笑いながらゲーム機の電源を落とした。
 ムゲンは大きな溜息をついた後、壁に寄りかかり、ガラス壁の向こうを見ていた。
「ムゲンさんって、愛とか恋とか分かります?」
 コーヒーをゆっくり飲みながら、バンドウが聞いてくる。
 ムゲンは視線を壁の向こうに置いたまま、返事をする。
「分からない。ずっとあなたといるから」
「ムゲンさんも、外に出てもいいんですよ? いい男が他にもいるかもしれません」
「必要ない」
「そうですか」
 社員の勤務時間は二十四時間。異世界鉄道会社は二十四時間営業だ。休日などない。交代制もない。この会社の社員たちに休憩など本来必要なかった。睡眠も食事も必要ない。身体がそのようにできている。
 ジョーのような金髪長身の職員はどうも休憩を必要としているらしいが、ムゲンには必要なかった。寝る必要もない。鉄道の車掌などは、一睡もせず、遥か彼方にある異世界まで列車を走らせている。
 二十四時間働けと言われれば、働いてしまうし、それを守らなければならないというのがムゲンの中にあった。他の職員だってきっとそうである。バンドウの感覚がおかしいのだ。
「ムゲンちゃん。僕はムゲンちゃんのこと好きですよ」
 いつの間にかムゲンの横にいたバンドウが突然耳元で囁き、ムゲンは驚いてとっさに右耳を手で覆った。
「なに、やめて、気持ち悪い」
「ふむ。これでは駄目でしたか」
 バンドウが顎を撫でながら首を傾げていた。ゲームのキャラクターの真似をしたらしい。
「私で遊んでるのなら、ほんとやめて」
「あ」
 ムゲンが怒っていると、バンドウがセンター入り口を見て声を出した。
 見ると、真紅のドレスを身にまとった、ブロンドヘアーの女性が立っている。
 ムゲンはさっと表情を引き締め、カウンターに手を置いた。
「いらっしゃいませ」
 なんだかさっき見たゲームの女性と雰囲気が似てるな、というのが、ムゲンの第一印象だった。

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