4章 統治を忘れた国王

 ちわーっす、と軽い挨拶がセンターに響く。真っ先に反応したのは星間ちゃんだった。
「あっ、ジョーさん! 来てくれたんですね。また、高い高いやってください!」
 清掃員より先に来たのはジョーだった。星間ちゃんにもジョーは挨拶をする。星間ちゃんは初めはジョーに人見知りをしていたが、何度も遊びに来るうちに慣れてきていた。ジョーの元にぽてぽてと歩いて行く。ジョーは最初、星間ちゃんが喋っていることにとても驚いていたが、すぐに仲良くなった。
 ジョーはすぐに抱っこをせがむ星間ちゃんの脇に手を入れ、軽々と持ち上げた。背の高いジョーが抱き上げると、それだけでも興奮するようだった。ジョーが勢いよくくるりと体を一回転させると、星間ちゃんはきゃーっと喜んでいた。星間ちゃんが本当に子供みたいに見える瞬間の一つでもあった。
 星間ちゃんを床に下ろしたジョーはカウンターに肘をつく。ムゲンに挨拶をすると、ムゲンは眉間に皺を寄せて、また来たのか、という顔をした。
「今日は面白いもの入荷してないっすか」
 バンドウはさっとリストを見て、首を横に振った。
「最近は駄目ですね。遊びになるようなものはありません」
「そっすかー。残念です」
「まあ、これからまた清掃員の方が持って来てくれますし、それに期待しましょう」
 ジョーはちらりとムゲンを見る。何も喋らないが、不機嫌そうな顔をしているので、帰れと言われている気がする。バンドウはいつも喜んで自分を迎えてくれるが、ムゲンに歓迎されたことは一度もなかった。
 ジョーは星間ちゃんをセンターの隅に手招きして呼んだ。ぽてぽてと歩きながら、何ですか、と星間ちゃんは首を傾げる。
 カウンターに背を向けてジョーはしゃがむ。星間ちゃんの耳元でボソボソと喋った。
「なあなあ、あれ、やっぱり、そうなの? デキてるの? オレ、邪魔かな」
 来た時にバンドウとムゲンが両方カウンターにいるというのも珍しいと思った。ジョーは薄々分かっていたが、確信が持てなかった。この部屋に何時間も何日も二人きりでいたら、そうなるよな、とは思っていたが。ずっとセンターにいる星間ちゃんなら二人の関係の何かが分かると思って尋ねてみる。
 帰ってきた返事は、予想通りだった。
「完全ではないですが、あとちょいって感じですね」
「うわー、やっぱショックー。オレ、ムゲンちゃん、ちょっと狙ってたのに」
「はい、それは残念でした」
 あっさりとした言葉に、ジョーはがっくしと項垂れる。そんなジョーを見て星間ちゃんがふふふと笑ったので、ジョーは舌打ちして星間ちゃんの脇をくすぐった。星間ちゃんの目に涙が出てくるまでくすぐってやった。
 よっこいせ、と立ち上がり、ジョーはカウンターに戻る。何の話をしていたのですか、とバンドウに聞かれたが、なんでもないっすと軽く返しておいた。
 深く帽子を被った作業服の清掃員の男がセンターに入ってくる。荷物を受け取ったのはバンドウだった。短い挨拶を交わし、清掃員はすぐにセンターから去っていった。
 委託会社の派遣で来ている清掃員たちは、皆、あまり喋らない。帽子を深く被っていて何を考えているかも分からなかった。そういうところは、異世界鉄道会社の無表情の職員たちとさほど変わらないのかもしれない、とジョーは思っている。
 袋を開けたバンドウは、ムゲンと一緒に荷物を確認し、リストに書き込んだり、札を取り付けたりしている。
 その二人が一緒に作業をしているところを見ると、むしゃくしゃした。
 別に、狙っているといっても、軽い気持ちだったから、そこまで嫉妬するようなことではない、と思って気を紛らわすのだが、直視はできなかった。羨ましかった。オレは化粧の濃いおばさん上司。なのにバンドウには美人で可愛い後輩がいる。不平等だ、不公平だ、と叫びたかった。
 バンドウが持っている真っ白の紙袋に、ジョーの視線が向かう。
「それ、なんすか?」
 ジョーが聞くと、バンドウは紙袋を持って、少し振ってみた。音は何もしない。ムゲンは札に日付と路線、列車の名前を書き込んでおり、見ていなかった。
 紙袋はテープでしっかりと封がされており、中をすぐに見ることができなかった。文房具ボックスからハサミを出し、テープを切っていく。
 ジョーは何故かこの時、無性にドキドキしていた。
 何かとんでもなくヤバいものが入っているような気がして、興奮していた。
 それはドラッグかもしれないし、もっとヤバいやつかも、と、妄想が膨れ上がる。
 じゃき、じゃき、というハサミの音も、心地よかった。
 がさりという乾いた音が響く。バンドウは紙袋の中を覗いて、うわ、と呻いた。
 ムゲンが異変に気付き、紙袋を見る。
「どうしたの」
 バンドウは言葉を濁し、カウンター下に置いてあったマニュアル書を開き、ざっと目を通して指示を出す。
「いや、これは、ちょっと。笑えないので、警察に電話を入れます。清掃員たちは、ちゃんと見ないんですかね。ああもう、とばっちりですよ。ムゲンさん、すぐにドアに対応中のカードを出して、お忘れ物センターにお客様を入れないでください。ジョーさんもここから出た方がいいです。すぐに総合案内所に行って、僕たちの代わりに構内全てのフロアにセンターをしばらく閉じることを放送してください」
 バンドウは紙袋を見えないようにしたが、ジョーはその腕を取った。
「待ってください、何故なのか、理由を教えてもらわないと」
「放送では言ってはいけませんよ。お客様を混乱させてしまいますから」
「いいから、見せろよ」
 言葉が無意識のうちにきつくなる。バンドウは一瞬ジョーの顔を見て、そっと紙袋の中からそれを出した。
 ムゲンは息を飲んで顔を青ざめさせ、星間ちゃんはうわーっと叫んで部屋の隅に逃げた。
 時限爆弾。
 爆発剤をガムテープでまとめたものに、タイマーが装着されている、簡単なつくりのものだった。だが、まとめられている爆弾の量は多く、爆発すれば悲惨なことになるというのは想像できる。
 残り時間は一時間はある。それにひとまずは安堵した。警察が駆けつけるまではおおよそ十分と研修で聞いているし、センターに置いてあるマニュアル書にもそのように書いていた。
「だから、今から警察を呼ぶんです。恐らくですけど、特急に仕掛けられたものを、何も分からず清掃員が見つけて、センターにお忘れ物として届けたのでしょう。僕はすぐに電話を入れるので、さっき言った通りにしてください。すぐにです。いいですね」
 ムゲンはこくこくと頷き、すぐにドアに対応中のカードを出しに行く。
 バンドウは保管室入り口の右側の壁に設置されていた受話器を取り、警察に電話をする。「はい、お忘れ物センターです、はい……」と事情を説明する。
 一方、ジョーは動けなかった。
 目の前にある爆弾に、酷く興奮していた。
 いつか、こういうのを作って遊んでいた気がする。コーラが好きなように、こういう危ないものも好きだった、気がする。
 舌なめずりをしていた。
 ――これ、面白いんだよなあ……。ここを、ちょちょっと弄ると、タイマーが進んで、それから、何もかも木っ端微塵になって。オレも、皆も、一緒に、バーン……。
「ジョーさんっ、あなた、何をしているんですかっ」
 はっとして、ジョーは自分の右手を見る。手は爆弾に伸びていた。
 ムゲンが右手をひしっと掴み、叫んでいた。バンドウが受話器を持ってこちらを見ている。細い目が驚きで見開かれていた。
「なんか……、オレ、これで、遊びたくなって、死にたくなって……」
 唇を震わせるジョーに、ムゲンはまさか、と思う。
「はい。お待ちしております。はい。総合案内所の者に放送をすぐに入れてもらいます。はい、駅長と、本部にも連絡を……では……お願いします」
 バンドウが受話器を置き、カウンターから出て、慰めるようにジョーの背中をとんとんと叩いた。ジョーは真っ青な顔でバンドウを見上げる。
「バンドウさんが前言ってたやつって、これのことなんすか」
 バンドウは何も言わず、ジョーをセンターの外へ連れて行った。泣きそうな顔をしているジョーに、バンドウは頼みましたよ、とだけ言った。
 ジョーが北口改札前からいなくなり、数分後、お忘れ物センターが閉まっていることを知らせる放送がかかった。それを聞き届け、バンドウは駅の事務所と本部にも電話を入れ、事案のことを伝えた。
 警察はものの数分でやってきて、バンドウとムゲンに敬礼をした後、すぐに爆弾を回収し、駅から出ていった。
 爆発物がなくなり、ムゲンと星間ちゃんはほっと胸を撫で下ろした。しかし、次は新聞社の記者がやってきて、取材を受けることになってしまった。ムゲンと星間ちゃんは保管室にいなさいとバンドウに指示され、そのとおりにした。
 バンドウはここであった事実だけを伝え、さっさと記者を追い出す。あとは清掃員を派遣した会社と警察に取材してくれ、と伝えておいた。委託会社への八つ当たりでもあった。
 ムゲンが事案の流れを本部にメールで伝え、ようやくお忘れ物センターは落ち着いた。精神的に大きく疲れてしまい、今日は丸一日休みにすることとなった。
 ムゲンはベッドに座って、眠っている星間ちゃんの額を撫でていた。ふと気になることがあり、椅子に座ってぼうっとしていたバンドウに話しかける。
「犯人が見つかったとして、犯人は、誰が裁くことになるの」
「時空の狭間で事件が起こった場合、神の法の元、裁かれることになります。今頃、一生懸命、異世界警察の方々が犯人を探し回っているはずです」
「そう、それより……ジョーさん……」
「恐らく、そういうことなんでしょうねえ。僕たちと同じです。彼もまた、記憶に触れたんでしょう。でも、きっと、明日になったらケロッとしてますよ。ジョーさんですから」
 僕たちも明日からまた頑張りましょうね、とバンドウに言われ、ムゲンはこくりと頷いた。
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