3章 色彩を忘れた魔女

「いくら死にたくなっても、踏切の中には入ってはいけませんよ、ムゲンさん。ちゃんと帰ってきてくださいね。行ってらっしゃい」
 翌日、捜索サービスに出る時に、バンドウと星間ちゃんに見送られた。
 星間ちゃんは結局一日いた。ムゲンは顔にも言葉にも出さなかったが嬉しかった。こう思っていることを、星間ちゃんはずっと感じ取っているのだろう。帰ってきても星間ちゃんがいてくれることを願う。
「行ってきます。お忘れ物センター、よろしくお願いします」
 時間通りやってきたアンジェリカは、ムゲンにぺこりと頭を下げた。今回も行儀の良い客でムゲンは安心した。
 北口改札から入り、エスカレーターで三階に向かう。その間、アンジェリカは駅の様子をまじまじと見ていた。絵の題材になりそうなものを探していたのだろう。エスカレーターに乗っている時、ドラゴンの親子が羽ばたいて五階まで行くのに遭遇し、アンジェリカは面白い、と呟いていた。アンジェリカが興味を示したのは、駅を歩く人々の服装や、様々な人外、モンスターだった。歩いているだけで楽しそうだったので、ムゲンは気持ちが少し和らいだ。
 10番乗り場に到着し、青々とした特急がホームに滑り込む。清々しいほどに青かった。
「アンジェリカ様はどの特急でここまで来られたのですか」
「蒸気機関車だったわ。寝台特急ハヤミ」
「そうですか。豪華な車両だと聞いています。どうでしたか」
「めちゃくちゃ良かったです。ずっと寝てました」
 そのような話をしていると、清掃も終わり、乗車のアナウンスがかかる。ムゲンは予約した座席にアンジェリカを案内し、腰掛けた。
 発車からしばらくはアンジェリカはその加速速度に驚いていたが、すぐに慣れ、遠くの星々を見ていた。
 そしてそれも見飽きた頃になると、アンジェリカからムゲンに話しかける。
「やっぱり私、ムゲンさんのこと知っている気がします。店に来たお客さんかなって思ったんですが、そうじゃなくて。もっとずっと前に、いつか、どこかで、見たことがあるような気がするんです」
「そうですか。私は、ごめんなさい、アンジェリカ様のことは分かりません」
 人に対して懐かしいと思うのは、何故なのだろう。
 ムゲンが懐かしいと最初に感じたのは、日本という言葉だった。意味は分からないものの、響きは知っているような気がした。はっきりと、強烈に懐かしいと思ったのはバンドウだった。バンドウに、ではなく、バンドウに抱きしめられることに懐かしさを感じた。いつか、それをしてもらっていたような気がするのだ。バンドウがそうしたいと言ったように、自分もそうされたいとどこかで思っているような気がする。気がするだけ、というのがもどかしかった。
 懐かしさは記憶の手がかり。もしそうだとしたら、自分とバンドウは失った記憶の中で関わりがあったと言える。
 考えていると自分がバンドウのことを意識しているみたいで恥ずかしくなり、話題を変えた。
「アンジェリカ様はどんな世界から来られたのですか」
「カードバトルが白熱する世界です。魔術師たちがいて、皆、カードバトルで力を競っています。私はカード師で、何枚も魔術師の力の源となるカードを描いて売っているんです。魔術師たちの中には狂ったようにお金を出してカードの排出機を回す人もいました」
「買いたい絵を自分で選べないんですか」
 ちょうど客室乗務員がワゴンを持ってきたので、ムゲンは紅茶を二人分頼んだ。アンジェリカは紅茶を受け取り、話を続ける。
「そうなんです。これは大会のルールで、ランダムでカードを出す排出機を使えと言われています。カードにはレア度があって、その排出率も全店で統一されてる。私が魔法を使えなくなる前から、店の排出機の排出率がおかしくなっちゃって。それから魔法も使えなくなっちゃったんです。私の魔法の力がなくなったんじゃないかとも思ったの。違う。そうじゃない、ただ、疲れて、モチベーションが下がっちゃっただけ、と思ってはいるけれど……」
 お茶を少し飲んだあと、アンジェリカはこてんと眠ってしまった。前世に戻る準備が始まる。
 紙コップが手から落ちそうになるので、ムゲンはアンジェリカの紙コップを座席に備え付けられていた机の上に置き、自分も瞼を閉じる。
 絵を描く動機。描きたいと思う気持ち。それはどこから来るのだろう。
 自分はクレヨンを持った時、自然と描きたいと思った。一度描き始めると、内からむくむくと描きたいものが湧き上がった。
 その衝動は、どこから来るのだろう。探しに行って、見つかるものなのだろうか。
 瞼を持ち上げ、名札から予約シートを取り出す。
 今回は以前より下車が大変だというのは、バンドウから教えられていた。一通り教えてもらったことを予約シートにメモをしていたので、ムゲンはもう一度確認をする。
 今回は延長はなしだ。下車にあまり時間はかけたくなかった。
 まもなく日本です、というアナウンスを聞き、ムゲンは立ち上がりアンジェリカの手を取った。目は開けているが、意識がほぼない。アンジェリカという人格も、前世の人格もどちらも抜け落ちている、体だけの存在。
 ここからどうにかして前世の人格を取り戻さなければならない。
 手を引いてドアまで導き、アンジェリカの手を引いて下車する。
 記憶がほとんど残っている者は前世の人格も残っているので、下車は簡単だ。一部だけ残っている者は手がかりを提示してやればすぐに思い出せる。しかし、アンジェリカのような、まったく残っていない者は厄介である。
 周りの風景は一切なく、真っ白の世界にいた。
 前世の人格が覚醒するための質問をしなければいけない。これまでのアンジェリカとの会話だけが手がかりだった。
「あなたは……、絵を描きますか」
 ムゲンは質問をある程度考えていたが、当たるかどうかは分からなかった。まず一つ目の質問に対しては、アンジェリカは頷いた。反応があり、ほっとする。
「あなたは日本にお住まいでしたか」
「はい」
「あなたは、絵のお仕事をされていましたか」
「はい」
 ここまで質問をすると、アンジェリカの姿がじんわりとぼやけて変化する。少しずつ思い出しているようだ。しかし、二人の周りの景色は変わらない。アンジェリカが行きたいと思う場所を見つけ出さなければならなかった。
「お名前は分かりますか」
「いいえ」
 まだ早かった。せめて提示できるものが出てくるまで質問を重ねなければならないようだ。
 ムゲンは、試しに聞いてみた。
「あなたは、ムゲンという女性を知っていますか」
「はい。憧れの人です」
 どきっとした。
「――あなたは、その女性をどこで知りましたか」
「ハッピープラネットで」
 懐かしい言葉が出てきて、ムゲンの胸が苦しくなる。ムゲンは、アンジェリカの姿を見た。ハッピープラネットと発言したアンジェリカは、髪を真っ赤に染めている女性に変わっていた。歳はムゲンと同じくらいで、二十代後半のようだ。
「あなたは、そこで働いていましたか」
「はい、ハッピープラネットに所属するイラストレーターでした」
 アンジェリカの胸に、名札が現れる。
「あなたは――こういう名前です。思い出せますか」
 ムゲンは名札を持ち、アンジェリカの目の前に見せた。
「野村……萌……」
 萌ははっと顔を上げる。ムゲンはほっとして、萌から手を離した
「ここは?」
「あなたが一番行きたいと思っていた場所に下車しております」
 二人は、本棚に囲まれた狭い部屋に立っていた。
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