3章 色彩を忘れた魔女

 その客が来たのは、ムゲンが保管室に入ってポスター案を練り始めてしばらく経った頃だった。
 ある程度パソコンの操作も覚え、疲れた目を癒そうとガラス壁の向こうに視線を移すと、ジョーの姿があることに気づく。
 バンドウはジョーが遊びに来たとてっきり思って見ていたのだが、ジョーは女性に話しかけてすぐに去っていってしまった。ジョーは仕事中で、道案内のためにわざわざここまで来たようだった。バンドウはすぐにリストを手元に用意してカウンターに立った。
 女性はおずおずとドアを開け、カウンターの前にやってくる。
「こんにちは、いらっしゃいませ。今日は何をお忘れですか?」
 バンドウがにこりとして声をかけると、女性は手にしていた旅行鞄を床に置いた。
 奇抜な服装だなあ、とバンドウは思った。
 白いワンピースに、虹色のフリルが肩から腰にかけて斜めにあしらわれている。髪の毛はゆるいウェーブがかかった金髪で、白い肌をしていた。血色がよくない。ムゲンもまた色白ではあるが、彼女のほうがよほど健康的に見える。
「あの、忘れたわけじゃなくて……」
「そうですか。先程、総合案内の者がおりましたので、忘れ物を取りに来られたのかなと思ったのですが。でしたら、何のご用でしょうか」
「案内所のジョーさんに教えられたんです。転生者かどうか分からないなら、ここで教えてもらうといいって」
「ああ、なるほど! はい、はい、前世お忘れ物捜索サービスができるかどうかが知りたいのですね。分かりました。少々お待ち下さい」
 女性は首を傾げたので、バンドウはジョーがそこまで詳しく言っていないことを悟る。
 恐らく、観光に行きたいのでどこかおすすめはないかと聞かれ、ジョーは駅のおすすめを紹介したのだ。転生者かどうか判断する依頼はこれが初めてではなかった。ジョーはたまにこうやって自分が転生者かどうか分かっていない者を連れてくることがあった。
 女性の体をバンドウが見るわけにもいかないので、カーテンを開けてムゲンに声をかけると、すぐに出てきてくれた。保管室の入り口でムゲンに引き継ぎをする。
「すみませんね、お仕事中に」
「いえ。描き終わったところです。何をすればいいの」
「印を探してあげてください。転生者かどうかが知りたいそうです。転生前の記憶が全くない方です」
 ムゲンは二つ返事で仕事を引き受け、女性を保管室に招いた。
 バンドウは星間ちゃんに手招きをした。カウンターに肘をつけて小声で話しかける。
「星間ちゃんさんはムゲンちゃんのことある程度分かるんですよね?」
「はい。ボクを描いてくれた人のことなら。バンドウさんのこともある程度分かりますよ。バンドウさんがムゲンさんのことをどう思っているのかも。筒抜けです」
 ふふふ、と笑われるので、バンドウは困った顔をする。
「ムゲンさんの気持ちも知りたいところですが、それはさておき、ムゲンさん、絵を描いている時、どう思われてます?」
「懐かしい、楽しい、もっと描きたい。です」
「そうですか、そうですか。懐かしい……懐かしい、ですか……」
 細い目を更に細め、バンドウはガラスの向こうを見る。廊下を見ているのではなく、消えた記憶に眼差しを向けていた。
「バンドウさんは絵を描いているムゲンさんに対して懐かしいと思われています」
「そうです。僕は、絵を描いているムゲンさんを、知っているような気がします。記憶がないので、それ以上のことは分かりませんが」
「はい。ボクもそこまでは分かりません」
「記憶がないのに懐かしく思う。それなのに印はない。僕は先輩から、会社に魂が呪われている、会社に記憶を奪われていると引き継ぎを受けているのですが、星間ちゃんさんは何か知りませんか?」
「ボクは会社のキャラクターではありますが、ムゲンさんとバンドウさんに生み出されたので、会社のことは分かりません」
「そうですよね。すみませんね、つまらない話をして」
「いいえ。今日はもうボクは大人しくしておいたほうがいいですか? 今のバンドウさんは働きたくなさそうです」
 バンドウはにっこりして、もちろんです、と大きく頷いた。


「お名前は」
「アンジェリカです」
「では、アンジェリカ様、脱いでください」
 突然のことにアンジェリカは体を強張らせ、ワンピースを握りしめる。
「え、脱ぐの!?」
「はい。印があるかどうかを探すのです。ですから、脱いでください。恥ずかしいのなら、私も脱ぎます」
「なんで!?」
 アンジェリカが大きな声を出すので、ムゲンは人差し指を自分の唇に当て、小声で話す。
「ごめんなさい、見てほしいのです、私にも印があるかどうか。お客様に頼むことではないのですが、あなたにしか頼めないんです。転生者の証は体のどこかに痣となって浮かんでいます」
 ムゲンはジャケットからさっさと脱ぎ始める。ムゲンが白シャツを脱ぎ始めた時になってアンジェリカもワンピースを脱ぐ。下着を脱ごうとしたところになって、ムゲンは下着はいい、と止めた。
 ムゲンはアンジェリカの体を見回す。首より上にはなかった。胸にもなく、腹にも腕にもなかった。後ろを向かせ、キャミソールをめくる。背中の中央にそれはあった。
「ありました。桃色の花ですね。アンジェリカ様は日本出身の転生者様です」
「日本?」
「はい。日本。この言葉に懐かしさはありませんか」
「ある……かも。うん、知ってる気がする。あと……、あなたの顔にも」
「私、ですか」
 アンジェリカのキャミソールを直し、ムゲンはもうワンピースを着ても良いですよと声をかける。キャミソールを直したアンジェリカはムゲンの顔をもう一度見る。
 丁寧に切りそろえられた艶のある黒髪、きりりとした黒い瞳。のっぺりとした顔。薄い唇。色白の肌。堅い表情。このような女性を、どこかで見たことがある気がする。
「名前も知っている気がします」
「そうですか。私はアンジェリカ様に懐かしさは感じませんでしたので、人違いかもしれません。あの、私の背中も見てくれますか」
 ムゲンはアンジェリカに背中を見せる。アンジェリカは言われた通り、ムゲンのうなじから背中にかけて見るが、痣のようなものはなく、陶磁器のように白くなめらかな肌が目につくだけだった。無駄な肉のない腰から下も見るが、やはりなかった。
 そのことを伝えると、ムゲンは、そうですか、とだけ言って制服を着直した。
「すみません、前世お忘れ物捜索サービスってなんですか?」
「では、外でご説明します」
 ムゲンはアンジェリカをカウンター前の机に招き、予約シートを持ってムゲンは向かいに座った。もう二度もしていれば緊張はなかった。
「前世お忘れ物捜索サービスは、前世に遺してきたものを取りに行くサービスです。転生一度につき、一度しかご利用になれません。アンジェリカ様は、何か、前世に遺してきたものがあると感じますか」
 バンドウが紅茶を入れてきてくれる。そのままムゲンの後ろで話を聞き始めた。
 アンジェリカは一度お茶を飲み、それからしばらく考えた後、小声で言った。
「私……今、モチベーションを探しているんです。絵を描く動機……やる気? うまく説明できません。ある時から、絵の魔法が使えなくなってしまったんです。筆が止まった、といった感じで。私、絵の題材を探しに旅行しようと思って、ここまで来たんですが、オススメを聞いて案内されたのがお忘れ物センターだったんです」
 アンジェリカの説明を聞いたバンドウは、なら、と話しかけた。
「一度、前世に戻ってみられては? 旅行ついでに。アンジェリカさんは日本出身なんですね」
 予約シートには既にアンジェリカの名前と、転生印、記憶の有無が記入されていた。バンドウはそれを見てうんうん、と頷いた。
「日本はとても素晴らしいイラストが山ほどありますから、いい刺激になるかもしれませんし、何か思い出せるかもしれませんよ。アンジェリカ様が探している動機についてもどこかにあるかもしれません。探しに行けばいいんです。これはそういうサービスです」
 バンドウの言葉に納得したアンジェリカは頷き、サービスを受けることにした。ムゲンは聞き取った内容を予約シートに記入していく。捜索日は明日となった。
 延長はなしなので、特急チキュウで向かい、特急タナバタで帰ることとなった。
 担当はムゲンになる。絵のことならムゲンのほうがいいとバンドウが言ったからだ。
 アンジェリカがセンターを去った後、ムゲンはバンドウに言った。
「アンジェリカ様に私にも印があるかどうか見てもらった」
「そうですか。ありました?」
「どこにもなかった。でも、私は、絵を描いていると懐かしく思う。他にも、いろいろ……。この懐かしさは、何なの」
 バンドウはインスタントコーヒーを入れて、保管室の椅子に座った。カップをくるくると回す。
「懐かしさは僕たちの記憶の手がかりでしょうねえ。他の駅員と違って、僕たちは前世お忘れ物捜索サービスを担当しているから、余計に懐かしさと出会う機会が多いんでしょう。このサービスを続けていると、いつか見つかるかもしれません。僕たちの記憶が」
 何を忘れているんでしょうね、僕たち。
 バンドウはそう言って、コーヒーを啜った。
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