3章 色彩を忘れた魔女

 星間ちゃんはカウンターの左手に立っていた。ひらひらと手を振り、外を歩いている人たちに愛嬌を振りまいていた。
 もともと会社のマスコットキャラクターとして制作されたキャラクターである。宣伝効果は確かにあった。
 用事がないにも関わらず、足を止めて星間ちゃんを見ている人がいる。そんな人たちに星間ちゃんはにこりとし、手を大きく振った。小さな子供はそれだけで大喜びだ。
 さらに時間が経つと、お忘れ物センターへの問い合わせが僅かに増えた。お忘れ物がここに届いていないかという問い合わせだった。お忘れ物保管期限は比較的長く、リストも膨大だったため、探すのに時間がかかる。待ちが一人でもいる状態は初めてだった。その間にも清掃員は新規のお忘れ物を持ってくるため、いつになく忙しくなった。
 保管室でのんびり缶コーヒーを飲んでいたバンドウに声をかけ、無理矢理働かせた。缶コーヒーは働いてからにしろと言ったのに、何故勝手に飲んでいるんだと思ったが、怒る暇はなかった。
 星間ちゃんはその間何をしていたかというと、待っている人に話しかけていた。ムゲンとバンドウは星間ちゃんがどんな会話をしているかを聞くことができなかったが、星間ちゃんと会話をしている客は皆楽しそうにしていたから、放っておいた。
 お忘れ物が保管室にある人もいれば、なかった人もいる。星間ちゃんに背中を撫でられ、涙ぐみながらセンターを後にした人もいる。
 とにかく、星間ちゃんは、客の相手をするのが得意みたいで、さらにお忘れ物センターの存在を道行く人々に知らせてくれていた。
 ある程度落ち着いた頃にもなると、もうポスターは必要ないのではないかと思えてしまい、客がいなくなってからはムゲンは保管室の椅子に座り、ぼんやりしながらミックスジュースを飲んだ。
「ムゲンちゃんって、甘いの好きですよね」
 ペットボトルを持ったままぼうっとしていると、バンドウが保管室の中を覗き込んで話しかけてきた。
「私、バンドウさんにそんなこと話したっけ」
「いえ、直接は聞いていませんが、なんかそんな気がしてました。ほんとムゲンちゃんってそういうところ可愛いですよね。冷蔵庫に確か保管切れのミルクチョコレートがあったはずです。保管切れではありますが、賞味期限は切れてないと思うので、食べていいですよ」
 言われるまま冷蔵庫を開けると、確かにミルクチョコレートが入っていた。板チョコで、銀紙に包まれている。新品だった。
「バンドウさんは」
「僕は甘いの苦手なんです。あ、星間ちゃんさんにもあげたらいいと思いますよ」
 とてとてと星間ちゃんが保管室に入ってくる。ムゲンは星間ちゃんの頭を撫でた。
 えへへ、と可愛らしく笑う。自分が描いた星間ちゃんは、なんだか世界一可愛い気がした。
「星間ちゃんさんも食べますか」
「はい! ありがとうございます」
 ムゲンは銀紙をぺりぺりと剥がし、板チョコを割って星間ちゃんにあげた。
 星間ちゃんは行儀もよく、椅子にきちんと座って食べていた。
 ムゲンも星間ちゃんと一緒にチョコを食べる。甘いものを食べると、忙しなかった心が落ち着く。飲み物がないことに気が付き、自分のマグカップにミックスジュースを注いで、星間ちゃんに渡した。
 星間ちゃんはマグカップを両手で取り、椅子に座ったムゲンに尋ねた。
「ポスターを描くのではなかったですか?」
「なんで」
「ムゲンさんがもっと絵を描きたいって思ってたの、ボク、知ってます」
「私、星間ちゃんさんには、話していませんよね」
「でも、知ってます。ボクを描いてくれた人のことは分かります。ムゲンさんは、描くのが大好きだっていうのも、知ってます。ボクを描いてくださった人が、絵が嫌いなわけないんですよ。ボクが描かれていた時、すごい楽しいっていう気持ちが伝わってきました。それに、懐かしいって、思ってましたよね」
 確かにそのとおりではある。
 クレヨンを持った時、描きたいと思った。バンドウが下手くそな星間ちゃんを描いているのを見た時、どうにかしなければ、自分なら描ける、と思った。
 魔法で生み出した存在だから、お見通しなのだろうか。バンドウも関わっているせいか星間ちゃんの語りはどこかバンドウと似ていて、ムゲンは俯いてしまった。
「星間ちゃんさんがいるから、ポスターは必要ないかなと思ったんです」
「そんなことないですよ! それに、バンドウさんは……」
 星間ちゃんは椅子からぴょんっと飛び降り、ムゲンの手を引いて保管室のカーテンをそっと開けた。
 バンドウがパソコンの前に座って何かしている。保管室から見えるのはバンドウの背中だけで、画面はよく見えなかった。
 パソコンには絶対触らないと言っていた人が、何かしている。
「何をしているんでしょうね?」
 星間ちゃんはくすくす笑って、ムゲンを保管室に残し、またマスコットキャラクターの仕事に戻ってしまった。
 ムゲンはしばらくバンドウの様子を見る。バンドウはコピー機の前に立ち、ボタンを操作し始めた。リストの一枚をファイルから抜き取り、コピー機にセットしてまた操作を始める。読み取りが終わっても、印刷はされなかった。バンドウはまたパソコンの前に座り、カチカチとマウスをクリックしている。時たま「何でですか?」とか「どうしてこうなるんですか?」とか「データどこなんですか!?」とか珍しく不機嫌に呟いていた。何度かコピー機とパソコンを往復した後、キーボードをズルズルと押して背中を丸めた。深い溜息をつき、絶望的な声で呟いていた。
「だから僕はパソコンが嫌いなんです……」
「何がしたいの」
 ムゲンは居ても立っても居られず、バンドウの隣に立ち、画面を覗いた。
「スキャンの方法が知りたいんです。そのコピー機、スキャンもできるんですよね。それは僕だって分かりますよ。でも、データがどこに行ったかが分からないんです」
 ムゲンはコピー機の操作画面を見る。スキャンの画面になっており、送信先のフォルダ名もきちんと表示されていた。
 パソコンに戻り、バンドウと席を交代する。ムゲンは画面に表示されていたフォルダを出し、ほら、と見せる。フォルダの中にはバンドウが何度もスキャンしたデータが表示されていた。
「いや、ほら、と言われても、僕が使えないと意味がないんです。僕に分かるように説明してくださいよ」
「……バンドウさんはそれで何をしようと思ってるの」
「本部に資料を送らないといけなくて。これはお忘れ物センターの責任者の仕事なので、ムゲンさんには教えてないんです」
「そんなのあるなんて、初めて聞いたけど」
「あるんですよ、数年に一度の頻度で」
 どこか嘘っぽくて眉間に一瞬皺を寄せたが、これ以上バンドウがパソコンに対し嫌悪感を抱くのも嫌だったので、ムゲンはメモ帳から紙を一枚取り、クリックするアプリとフォルダ名の順番を書いた。ここでバンドウがパソコンを使えるようになれば、リストもデジタル化できるかもしれないという僅かな期待のもとメモを渡す。
「この通りクリックすればデータにたどり着くから」
「ありがとうございます。さすがムゲンさん。よくできる後輩が来て助かりました。じゃ、もうここはいいですから、ポスターの仕事をしてください。確か、文房具ケースの中に色鉛筆とかもあったと思いますよ」
 色鉛筆は確かに文房具ケースの中にあった。ムゲンはケースごと保管室に運び、真っ白のコピー用紙も何枚か持って行ってカーテンを閉めた。
 描き出すと、どんどんと案が浮かんでしまい、結局三枚も描いてしまった。アイデアが溢れる自分にも驚いたが、描ける自信もあった。
 どれも星間ちゃんを使ったポスターとなった。画面いっぱいに星間ちゃんを描く。取りに来て、と悲しい表情で訴えるものもあれば、ここがお忘れ物センターだということをにこやかに伝えるだけのものもあった。言葉も考えた。フォントもこだわった。描き出すと手が止まらなかった。
 個人的には全て気に入っているのだが、三枚とも貼ってしまうと、逆にメッセージ性が薄れると考え、一枚に絞りたかった。考えあぐねていると、バンドウが申し訳無さそうに保管室に顔を出す。
「ムゲンさん、お忙しいところすみません。お客様です。僕じゃやりにくくてムゲンさんに頼みたいんです」
 ムゲンがカウンターに顔を出すと、一人の女性がいた。
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