2章 ラスボスを忘れた勇者

 気がついたら六時だった。駅構内を行く人の数が徐々に増えていく。二十四時間営業とはいえ、深夜帯は人はまばらになるし、お忘れ物センターも暇になる。いつもは仮眠用のベッドでくつろいでいるバンドウが珍しく起きていて、保管室の椅子に座って時間を待っていた。オラクルを抱きしめている。ムゲンはずっとカウンターの中にいた。
 ムゲンは予約シートを小さく折りたたみ名札ケースの中に入れていた。まるでお守りのように。
 そろそろといったところで、バンドウが何か思い出したかのようにムゲンに保管室から話しかけた。ムゲンはカーテンを少しだけ開け、バンドウに何ですかと返事をした。三十を超えた男がぬいぐるみを抱いている光景はあまり見たくなかった。
「いいですか、ムゲンさん。行きの特急の中で、会話を忘れずに。気まずい旅行は、会社は提供していません」
「はい」
「それと、どこかで、死にたくなるかもしれません」
「え」
 予想外の言葉にムゲンは保管室を覗き込み、バンドウの顔を見た。相変わらずオラクルを抱いたまま椅子に座っているバンドウは、よく分からない笑みを浮かべていた。
「ホーム、ビルの屋上、道路、トイレ、どこかで、死にたくなるかもしれません」
「だから、どういうこと、それ」
「僕たちは入社前の記憶がないですよね。そのせいか分かりませんが、失った記憶に触れると、懐かしくなったり、再現したくなったりするんですよ。ムゲンさんもそういうこと、あるでしょ?」
 ムゲンははっとして、ゴミ箱を見た。
 メモは捨てたはずだ――いや、捨てる前に見られたか。
 自分の中で整理をつけようと書き出してみたものの、よく分からなくて結局捨てたのだが、まさかバンドウが見ていたとは思わなかった。
 バンドウは言おうか言わまいか悩んでいるようだったが、へらへらした笑顔を取り、どこか遠くを見るような瞳をムゲンに見せた。
「ムゲンさん、日本に懐かしさを感じるんですよね。僕もそうなんです。ジョーさんにも言ったんですけどね、僕、いつも駅のホームに行くとね、特急の前に身を投げ出したくなるんですよ。多分、そうやって死んだんでしょうね、一度」
「バンドウさんは、自殺……したの」
「覚えてないので、予想です。僕たちが転生者である証もありませんし、記憶もありませんから、真相は分かりません。もう慣れたから我慢できるのですが、最初の依頼の時に本気でホームに飛び降りようとしました。客に手を掴まれて無事だったんですけどね。お忘れ物センターの職員は、僕の前に二人いたんですが、どちらも、自殺しました。初代お忘れ物センター責任者は特急の車内トイレで自殺したそうです。たぶん向こうで毒薬か何かを手に入れたんでしょう。僕の二つ上の先輩は僕が出張中に星の間中央駅の屋上から飛び降り、たまたま差し掛かった特急に轢かれました。きっと、二人は懐かしさからくる衝動に耐えられなかったんでしょうね。僕も先輩たちと同じように、毎回、特急に身を投げ出したくなります。だから、ムゲンさんも気をつけてくださいよ。どこかで、死にたくなるかもしれません。僕、ムゲンさんがいなくなるのは御免ですから。本当は、僕も行ってあげたいくらいなんですけど、それはできないので、くれぐれも、お気をつけて」
 ムゲンはなんだか寒くなった気がして、開けていたスーツのジャケットのボタンを留めた。
 行く直前になって話す内容ではなかった。
 何故自分が死にたくなるのか。死にたいなんて思ったことがない。大丈夫、と自分に言い聞かせる。話題を変えようと思い、びっとバンドウが抱いているオラクルを指さした。
「バンドウさん、それよりも、そのぬいぐるみ、期限切れてる」
「分かってますよ。ちょっとくらい、いいじゃないですか。僕、これ気に入ったんです。他のはもうゴミ袋の中にちゃんと入れましたよ。許してくださいよ」
「保管室がぐちゃぐちゃになってたら、許さない」
「大丈夫ですよ。僕だってやる時はちゃんとやります。心配しないでください。ムゲンさんは生きて帰ってくださいね――せっかく駅から出れるんですから、ちょっとは楽しんでくるんですよ」
「……はい」
 カーテンを閉め、ムゲンは名札を確認し、センターから出た。
 中央エリアから人の流れに乗ってアルスがやってくる。腕時計を確認する。時間ちょうどだった。ほっとする。
「おはようございます、アルス様。それでは行きましょう。北口改札から入って、三階、10番乗り場です」
「おはようございます。お願いします。オレ、この駅よく分かってないから、助かります」
 挨拶と礼が言える客は珍しい。時間も守る。それだけでムゲンは安心した。
 頭の中にある構内図を頼りにムゲンはアルスを案内する。
 アルスはあらかじめ買っていた乗車券と特急券を改札に通し、ムゲンは職員専用ゲートから入場する。
 ここから先はムゲンは行ったことがない。天井から吊り下げられているポスターも初めて見た。『そうだ、行こう。快適な星間旅行へ』と、顔がいい男が客に呼びかけている。
 基本的にムゲンはセンターの外からは出なかった。常にセンターにいて、雑務をこなしていた。外の情報はジョーが持ってくるから分かっているし、ゴミ出しなど外に行くような仕事はバンドウがやっているので、ムゲンは外に行く必要がなかった。たまに、バンドウに「息が詰まりませんか」と聞かれるが、そのような感覚もなかった。
 しかし、いざ開けた場所に出ると、ムゲンはすぐに分かった。あのセンターの狭さを。バンドウがそう聞いてくる理由を。
 エスカレーターに乗ってゆっくり上がっていく。これから素晴らしい旅が始まりますよと言わんばかりに様々なポスターが目に入る。その中には、桃色の花を咲かせた木の写真が大きく印刷されたポスターがあった。
「あ、懐かしい。これ、なんか知ってる、オレ」
「私も、知っている気がします。名前は忘れましたが」
「そうですか。ムゲンさんは転生者なんですか?」
「分かりません」
 記憶がないから分からない。感じるのは懐かしさだけ。
 自分の中にある記憶のはじまりは、入社式からだ。大きなホールに集められた。
 同期たちと並んでパイプ椅子に座り、壇上に立つ社長の話を聞いた。この会社に魂を尽くせ、みたいな話を聞いた。もうあまり覚えていない。社長の顔も忘れた。そこからすぐに研修が始まった。仲のいい同期は何人かいた。
 その同期の一人が10番ホームにいた。指差し確認をしている。かつてはよく笑っていたはずの同期だったが、無表情だった。
 哀愁漂うメロディーが響き、バンドウが身を投げ出したくなるという瞬間がやってくるが、ムゲンはなんともなかった。普通に特急を迎え、乗車する。
 予約した席につき、加速が終わるまでじっとする。
 揺れも少なくなったところで、客室乗務員がワゴンを押してやってくるので、バンドウに言われた通り、アルスにお茶をすすめた。
 これから会話をしなくてはいけない。何を話せばよいかはあらかじめ考えておいた。
「アルス様は、冒険者でしたよね。もういくつか、ボスは倒されたのですか」
 ムゲンはボスというものは分からないし、ゲームのことも一切分からなかった。これはバンドウから仕入れた会話ネタだった。
「いいえ。オレ、チュートリアルを無視したのか、お告げがなくて。旅立ちもしなかったんです。最初の村でレベリングだけして、カンストしてしまいました」
「カンストとは何ですか」
「レベルやスキルなんかの数値が上限に達すること。これ以上鍛えても、上がらないんです。だから、中ボスは飛ばして、ラスボスだけ倒してみようかと思って。でも、ラスボスが何なのか分からなくて。オレの旅の目的は何なんだろう、もしかして前世に置いてきてしまったんじゃないかって思って、このサービスを使うことにしました」
 ムゲンは首を傾げる。
「物ではないということですか」
「そうかもしれません。確かめたいことはあるんだけど」
「そうですか。ところで、アルス様はどこの世界からお越しなんですか」
「『巡り巡る時を越えて』ってゲームです。Re:プラの新作ゲー。知りません?」
「いえ……ごめんなさい」
「そっかあ、残念」
 知らないのはゲームのほうで、Re:プラについては知っている。この前、バンドウが担当したアデリアが、そこの会社が発売したゲームの世界からやって来ていたというのは聞いていた。その言葉自体には懐かしさはなかったが、似たようなものがある気はする。具体的には思い出せなかった。
 そこまで会話をすると、アルスはこてんと眠ってしまった。
 この現象についてもムゲンはバンドウから聞いている。下車したらすることも分かっている。
 大丈夫、私は無事、この仕事をやり遂げる。
 名札ケースに入れた予約シートを取り出し、もう一度頭の中に入れる。腕時計を見る。まだあと五時間ほど時間があった。
 息抜きも必要ですよ、ムゲンちゃん――バンドウの言葉を思い出し、ムゲンも目を閉じた。

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