2章 ラスボスを忘れた勇者

 バンドウは少々お待ち下さいと男に声をかけ、カーテンをそっと開けた。ムゲンはオラクルを抱きしめて、椅子に座っていた。顔はぬいぐるみに埋めている。じっと座って、両腕で抱きしめていた。どっちが癒やされているのかもう分からない。
 その光景をもう少し眺めていたいバンドウであったが、仕事が入ってきたから仕方がない。こうするというのはもう二週間前に決めていた。
「ムゲンさん、お仕事です。ちょっと来てください」
 うとうとしていたのか、ムゲンの反応が遅かった。もう一度ムゲンの名前を呼ぶと、ゆっくりと顔を持ち上げた。
「あ……、あ、はい。仕事。分かりました。行きます。何ですか」
 ぎゅっと顔を引き締め、いつものムゲンに戻る。オラクルは机の上に置きっぱなしにされた。
 バンドウはムゲンだけに聴こえる声で、前世お忘れ物捜索サービスの依頼です、と伝えた。
「やっぱり私がするの」
「はい。だって、僕に早く一人前って認められたいって言ってたじゃないですか。ですから、今回はムゲンさんが担当してください。僕も後ろにいますから」
 正直、ムゲンは戸惑っていた。
 前回の前世お忘れ物捜索サービスのあらましを聞き、このサービスに対してあまりいい思いをしていなかった。
 バンドウからは、こういう依頼が多いのだということも教えられていた。前世に対し強い思い入れを持っている者、前世に対しまだ未練がある者、前世に対し恨みつらみを持っている者。そういう人が利用する傾向があった。もちろん、いつもいつも転生者が前世に残るというわけではない。満足して決められた通り大切なもの一つだけ選び、転生先の世界に戻る者もいる。前世に強い未練がある者が、そのまま前世に留まることが多い。やり直しをするのだ。どちらの世界で生きるか、最後の選択をする機会でもあるのが、このサービスだった。
 あらゆる世界を抱く神から新しく与えられた仕事。会社はこの仕事のために十年ほど前にお忘れ物センターを作り、前世お忘れ物捜索サービスを開始させたというのがバンドウの説明だった。そもそもこの会社はその神から設立依頼された会社だ。研修期間に会社側から聞いていた。もっと自由で開かれた異世界を。それが神の望みだという――この駅に一生閉じ込められ、休みなく働く職員たちには関係ない話なのだが。
 ムゲンは保管室からちらりとカウンターを見た。簡素な服装をしている男が対応を待っている。平凡そうな顔。どちらかといえばジョーと顔立ちが似ているが、派手さはなかった。ごく普通の男である。見た目で判断してはいけないが、男の様子を見てほっとする。
「分かりました。対応します」
 バンドウにそろそろ一人前の職員として認められたいと言ったのは事実だ。バンドウよりも自分のほうがしっかりやっている。この前世お忘れ物捜索サービスを卒なくこなせば、バンドウに認められるとも思っていた。
「はい。頼みますよ」
 バンドウも最初はムゲンをこの捜索サービスに行かせることは渋っていたが、このセンターに配属された以上いつかはするだろうし、ムゲンの願いも感じ取っていたので、行かせることにしたのだ。二週間待ってようやくの依頼。ついに、といったところである。
 ムゲンは書類ボックスから予約シートを取り出し、バインダーに挟む。ムゲンの頭の中には叩き込まれているが、客に提示しないといけないので時刻表、料金表もバインダーに挟む。
 ざっと全ての項目に目を通す。行き先、捜索日時、希望する品、転生印の有無、前世の記憶の有無、注意事項のチェックリスト、料金、担当者。全部埋めればいいのだ。ムゲンは男に声をかけた。
「こんにちは。今回担当するムゲンです。よろしくお願いします。あちらの席でお伺いします」
 バンドウがセンターの入り口に『対応中』のカードを出し、ムゲンの後ろに立った。普段はぐうたらしているのに、こういう時だけ、上司感を出してくるバンドウに少し腹が立ったが放っておくことにする。自分がきちんとこなせば、バンドウが口を出してくることはまずないだろう。そこは信頼していた。
「前世お忘れ物捜索サービスへのご依頼ありがとうございます。ご利用のために、いくつか質問させていただきます。まず、お名前をお聞きしてもいいですか」
「アルスです」
「それがフルネームですか」
「そうです」
 ムゲンは言われた通り、名前を予約シートに書き込む。次に転生印を確認する。アルスの印は首筋にあった。桃色の花。アデリアと同じだった。
「前世の記憶はございますか。年齢は分かりますか」
「歳は二十七です。前世のことはあまり覚えてなくて。自分がどこで働いていたかまでは覚えているんですけど、そのくらいですね。転生した時のことは一切覚えてません」
「分かりました。それでは、部分的に、ということですね。目的地は転生印から考えると、日本でよろしいですか」
「はい、それでお願いします」
 予約シートに日本、と書き込む。
 懐かしい。この懐かしい言葉の国に私も行ける。そう思ったところで、我に返る。次の質問をしなければならない。
「それでは、何をお忘れになられたのかお聞きしてもいいですか」
「ラスボスです。オレの敵……旅の目的がなんだったのか忘れてしまって。それを探しに行きたいです」
 ムゲンは聞き返したかったが、バンドウの教えを思い出して踏みとどまった。
 ありえないことはいくらでも起こる。よく分からない依頼もある。予約の段階で自分たちは理解しないでいい。向こうに行っても客に付き添うだけ。最後に決定を促すためのちょっとした声掛けだけをすればよい。そう教えられていた。
「はい、ラスボスですね。捜索時間は一時間となっていますが、延長もできます。いかがしますか」
「うーん、じゃ、延ばしてもらっていいですか? 心当たりとかないし、時間かかるかも」
「分かりました。二時間の延長で、計三時間ほどでよろしいですか」
「はい、お願いします」
「それでは、捜索スケジュールなんですが、日は明日。午前七時発、天の川線、特急スイセイで目的地に向かい、午後一時から三時間の捜索。午後四時発、特急タナバタに乗って、こちらに到着するのが午後十時。いかがでしょうか」
 ムゲンは時刻表を見せながら説明した。
 帰りは絶対にタナバタにしておきなさい、というのもバンドウの教えだった。理由はよく分からなかったが、その教えを守ることにする。
 特急スイセイは宇宙を走る星の名を冠した車両だった。車体にはきらきらするブルーのラインが横一直線に描かれている。それはかっこよくていいのだが、星間ちゃんが描かれているのが非常に残念なデザインだった。鉄道ファンたちの中でも評判はイマイチだった。
 アルスはそのスケジュールに納得し、提示された料金もすぐに出せると納得した。
「では、注意事項の確認です。一、お忘れ物は一つしか持って来ることができません。二、転生一回につき、本サービスは一回しかご利用できません。三、料金は前払いです。キャンセルはできません。以上、よろしいでしょうか」
 丸暗記した台詞である。
 アルスは素直に頷いたので、ムゲンは各文頭に大きく丸をした。同意したということである。
「それでは、出発三十分前の六時半にセンターにお越しください。お待ちしております」
 特急の乗車券と特急券はバンドウが発券した。
 アルスはぺこりと礼をしてセンターを出ていく。
 ムゲンは予約シートに記入漏れがないことを確認し、体を椅子の背もたれに預け、大きく溜息と共に天井を仰いだ。
「お疲れ様でした。満点じゃないですか」
 お金の整理をしながら、バンドウがムゲンに話しかける。ムゲンはバインダーを顔の上に乗せていた。
「バンドウさん。彼、どう」
「どうって?」
「普通のお客さんっぽいかどうか」
「ムゲンさん、何度も言いますけど、この世に普通なんてないですよ。彼は彼です。彼なりのものを探しに行くんです」
「分かってる。バンドウさん、私がいない間、ちゃんと仕事していてください」
「あはは、ムゲンさんにそんなことを言われてしまうとは。僕を信じてくださいよ。ムゲンさんは明日の捜索に集中してください」
 顔を覆っていたバインダーをずらし、ちらりとバンドウを見る。何を考えているのか分からない笑みを浮かべていた。
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