2章 ラスボスを忘れた勇者
◆
ムゲンは床に積み上げられたゴミ袋を黙って見ていた。中には保管期限切れの忘れ物が入っている。ムゲンには重たいので、ゴミ出しはバンドウが担当しているのだが、ここ二週間ほどゴミ出しをしていない。
言い訳は「だって、まだ面白そうなものがあるかもしれないじゃないですか」だった。しかし、バンドウがこのゴミ袋の中身を確認することはなかった。
コーヒーを飲みながら、優雅に新聞を読んでいる。新聞は数日前にお忘れ物として届けられたものだった。人の物を勝手に使うのは、バンドウの悪い癖だ。お忘れ物センターに届けられる物を物色しては、興味があるもので遊んでいる。
ムゲンが業務のほとんどを完璧にこなすようになってから、遊び癖が酷くなる一方だった。
もう我慢ができない。ムゲンはゴミ袋を両手で掴み、バンドウが座っている椅子の前に移動させた。
「そろそろ持って行って。ゴミは毎日増えるんだから」
「分かりました。それより見てくださいムゲンさん。ムゲンさんの書いた原稿が新聞に載ってますよ!」
バンドウが新聞を指差す。そこには、ムゲンの書いたお忘れ物一覧が載っていた。もうすぐ期限が切れ、ゴミになってしまう忘れ物たちである。
「ムゲンさんの言葉が全世界にこうやって伝わるってなんだか凄くないですか?」
「ただの広告。私はお忘れ物を一覧にして宣伝部にメールで送っただけ。あとは会社が勝手に書いた宣伝。前世お忘れ物捜索サービスのことも宣伝部側が書いたんでしょ。それより、ほんと早く持って行って。何回でも言う。早く持って行って」
「はいはい、ムゲンちゃんを怒らせたら怖いですからねえ……、あ、もう怒ってました?」
お忘れ物センターの保管室は整然としていなければならない。いち早くお忘れ物をお客様に返すためにも、整理整頓は絶対なのだ。ゴミが放ったらかしになっているのは我慢ならない。
バンドウは立ち上がり、ムゲンの眉間に人差し指を押し当て、ぐりぐりと皺を伸ばした。
「ムゲンちゃんはそろそろ笑顔というのを身につけた方がよろしいですよ。せっかく綺麗な顔をしているのに」
「やめて。私には必要ない」
ぎっと睨むものの、ムゲンの頬はほんの少し赤らんでいた。
「そうですか。じゃ、お留守番頼みます」
バンドウはゴミ袋を両手で掴みセンターから出ていった。やっと保管室がすっきりする。
バンドウとすれ違うようにして清掃員の男性が袋を持ってカウンターにやってくる。帽子を軽く上げ、挨拶をする。ムゲンはリストとペンを用意し、清掃員を迎えた。
「お忘れ物です。お願いします」
「お疲れ様です。お預かりします」
事務的な会話をし、ムゲンは小さな袋を受け取った。今日は軽い。清掃員を見送り、ムゲンは袋の中を確認した。手帳が入っていた。こういうものは中に名前が書かれていることが多い。ムゲンはページを捲り、中を確認する。どうやら日記のようだ。
『今日は娘の誕生日。気になっていたレストランに行ったが、とても美味しかった』
誕生日ってなんだっけ。その言葉を知っているような気がするのだが、意味が思い出せなかった。
時たまこういうことがある。言葉を聞くと、なんだか懐かしい気持ちになる。日本、という言葉には特に。懐かしい気持ちになるだけで、理由は分からない。思い出そうとしても、思い当たる記憶にたどり着かなかった。自分の中にある記憶は、入社した時に叩きつけられた社訓と、路線図、時刻表、星の間中央駅構内図。あとはバンドウと過ごす日々。なのにどうしてか、関係ない言葉に懐かしさを感じる。ムゲンはモヤモヤとしながら手帳をぱらぱらと捲る。
手帳から分かる情報をリストに書き込む。日付と路線、車両名をタグに書き、手帳につける。こういった手帳や本は本棚に保管することになっていた。
減らしても減らしてもお忘れ物は常にやってくる。持ち主が気がついて取りに来る頻度は少なかった。溜息をつき、リスト片手に保管期限が切れているお忘れ物を新しいゴミ袋の中に詰めていった。
腕が痺れて一度袋を下ろした。どっこいしょ、という声が出て、バンドウは一人で笑ってしまった。歳を取ることはもうないのに、老けた気がする。三十五歳で会社に登録されているはずだが、本当はもう少し上なのではないかという疑問がよぎった。
目指すは星の間ホテルとの間だった。駅の外。ここから見えるのは小さく輝く星々と、鈍く光る線路、様々な車両だけだ。宇宙空間に浮かぶようにしてあるのが、この星の間中央駅と、星の間ホテルだった。面白くない光景を一望したあと、大きなダストボックスがある倉庫に来た。『分別!』と赤で印刷されたポスターが壁に貼られている。ホテルとの共同ゴミ捨て場だった。
この分別作業が何より面倒くさい。生ゴミが多い飲食店は楽だろうが、お忘れ物センターから出るゴミは紙に食べ物に金属類に様々だ。バンドウは袋を開けて、一つ一つ確認し、ダストボックスの中に投げ入れる。持ち主に忘れ去られてしまった哀れな物たちはもうゴミでしかない。しかしその中には何か面白いものがあるかもしれないと期待もしてしまう。
保管室に持って帰ったらムゲンに怒られるのは分かっているのだが、そうでもしないと気が狂いそうになる。前の前世お忘れ物捜索サービスで久しぶりに駅の外に出たのはいいが、あれから二週間、また駅に缶詰である。帰る場所はない。生きる場所はここだ。ここで働く職員は皆、この会社に魂を捧げている。いや、会社に魂を握られていた。ジョーやハナビなど息の抜き方を知っている職員はいいが、ムゲンのように息の抜き方を知らず、教えられた通り少ない休憩時間で二十四時間真面目に働いている職員は、初めはいいが、次第に感情を失い、ただ言われた通り働くだけのモノとなってしまう。特に自分と同じ黒髪のっぺり顔はそうなる確率が高かった。北口改札にいる女性駅員など、半年でああなってしまった。
共に働くのなら、ムゲンもある程度は息の抜き方を知ってほしい。だからムゲンに遊びを覚えて欲しかった。
二つ目の袋の中身を分別していると、一つ小さな箱が出てきた。
その表面を見て、バンドウはにっこりとし、ジャケットの中に隠して駅に戻った。
せっかくセンターの外に出たので、ジュースでもムゲンに買って帰ろうと自販機がある職員用の休憩室に向かった。
部屋に入ると、先客がコーラを飲んでいた。
「おっ、バンドーさんじゃん。お疲れっす。何してたんですか?」
「はいお疲れ様です。ゴミ出しをしてきました。二週間放置してたらムゲンさんに怒られてしまいましたよ」
ジョーはムゲンが怒っている様子を想像して笑った。先輩に対して容赦ないところが好きだった。
ジョーはパイプ椅子に座って足を机の上に上げていた。だらしない格好をしているが、休憩室には人が来ないので、安心しきっているようである。
「またコーラですか。好きですね、それ」
「オレ、なんかコーラ飲んでると、懐かしい気分になるんすよね。いつもコーラ選んじゃうんすよ。なんなんですかね、これ。バンドーさんはあります?」
「懐かしいといえば、僕は、ホームに列車が来る時になりますよ。列車の前に身を投げ出したくなります」
「なんすかそれ。自殺?」
ジョーが引きつった笑いをするので、バンドウは目を細めて顔に笑顔を貼り付けた。
「分かりません。確かめるものがありませんから」
はは、と乾いた笑いをして、ジョーはコーラを一気に飲み干した。
バンドウは名札の裏にあるバーコードを自販機のバーコードリーダーにかざし、ミックスジュースを買った。ジョーはバンドウがブラックコーヒーしか飲まないことを知っていたため、ムゲンのお土産かと尋ねる。
「はい。彼女もそろそろ息抜きの仕方を知るべきです。僕はいい上司ですから、教えるべきことを教えなければなりません」
バンドウはジュースをジャケットの中に隠すついでに、見つけた箱をジョーに見せた。
「ジョーさん、時間あります? ちょっとセンターで遊びませんか? ムゲンさんも誘って」
「えっ、行く! まだ時間あるから行きます」
「良かった。ではすぐに行きましょう。ジョーさんの上司は時間に厳しいですからね」
バンドウはジュースと箱が落ちないように上手にジャケットの中に隠し、休憩室から出た。ジョーも一緒についていく。
駅構内に出ると、今日も相変わらずの賑わいを見せていた。
『そうだ、行こう。快適な星間旅行へ』
新作ポスターが天井から吊り下げられている。モデルは鎧を脱ぎ捨てた騎士だった。
ムゲンは床に積み上げられたゴミ袋を黙って見ていた。中には保管期限切れの忘れ物が入っている。ムゲンには重たいので、ゴミ出しはバンドウが担当しているのだが、ここ二週間ほどゴミ出しをしていない。
言い訳は「だって、まだ面白そうなものがあるかもしれないじゃないですか」だった。しかし、バンドウがこのゴミ袋の中身を確認することはなかった。
コーヒーを飲みながら、優雅に新聞を読んでいる。新聞は数日前にお忘れ物として届けられたものだった。人の物を勝手に使うのは、バンドウの悪い癖だ。お忘れ物センターに届けられる物を物色しては、興味があるもので遊んでいる。
ムゲンが業務のほとんどを完璧にこなすようになってから、遊び癖が酷くなる一方だった。
もう我慢ができない。ムゲンはゴミ袋を両手で掴み、バンドウが座っている椅子の前に移動させた。
「そろそろ持って行って。ゴミは毎日増えるんだから」
「分かりました。それより見てくださいムゲンさん。ムゲンさんの書いた原稿が新聞に載ってますよ!」
バンドウが新聞を指差す。そこには、ムゲンの書いたお忘れ物一覧が載っていた。もうすぐ期限が切れ、ゴミになってしまう忘れ物たちである。
「ムゲンさんの言葉が全世界にこうやって伝わるってなんだか凄くないですか?」
「ただの広告。私はお忘れ物を一覧にして宣伝部にメールで送っただけ。あとは会社が勝手に書いた宣伝。前世お忘れ物捜索サービスのことも宣伝部側が書いたんでしょ。それより、ほんと早く持って行って。何回でも言う。早く持って行って」
「はいはい、ムゲンちゃんを怒らせたら怖いですからねえ……、あ、もう怒ってました?」
お忘れ物センターの保管室は整然としていなければならない。いち早くお忘れ物をお客様に返すためにも、整理整頓は絶対なのだ。ゴミが放ったらかしになっているのは我慢ならない。
バンドウは立ち上がり、ムゲンの眉間に人差し指を押し当て、ぐりぐりと皺を伸ばした。
「ムゲンちゃんはそろそろ笑顔というのを身につけた方がよろしいですよ。せっかく綺麗な顔をしているのに」
「やめて。私には必要ない」
ぎっと睨むものの、ムゲンの頬はほんの少し赤らんでいた。
「そうですか。じゃ、お留守番頼みます」
バンドウはゴミ袋を両手で掴みセンターから出ていった。やっと保管室がすっきりする。
バンドウとすれ違うようにして清掃員の男性が袋を持ってカウンターにやってくる。帽子を軽く上げ、挨拶をする。ムゲンはリストとペンを用意し、清掃員を迎えた。
「お忘れ物です。お願いします」
「お疲れ様です。お預かりします」
事務的な会話をし、ムゲンは小さな袋を受け取った。今日は軽い。清掃員を見送り、ムゲンは袋の中を確認した。手帳が入っていた。こういうものは中に名前が書かれていることが多い。ムゲンはページを捲り、中を確認する。どうやら日記のようだ。
『今日は娘の誕生日。気になっていたレストランに行ったが、とても美味しかった』
誕生日ってなんだっけ。その言葉を知っているような気がするのだが、意味が思い出せなかった。
時たまこういうことがある。言葉を聞くと、なんだか懐かしい気持ちになる。日本、という言葉には特に。懐かしい気持ちになるだけで、理由は分からない。思い出そうとしても、思い当たる記憶にたどり着かなかった。自分の中にある記憶は、入社した時に叩きつけられた社訓と、路線図、時刻表、星の間中央駅構内図。あとはバンドウと過ごす日々。なのにどうしてか、関係ない言葉に懐かしさを感じる。ムゲンはモヤモヤとしながら手帳をぱらぱらと捲る。
手帳から分かる情報をリストに書き込む。日付と路線、車両名をタグに書き、手帳につける。こういった手帳や本は本棚に保管することになっていた。
減らしても減らしてもお忘れ物は常にやってくる。持ち主が気がついて取りに来る頻度は少なかった。溜息をつき、リスト片手に保管期限が切れているお忘れ物を新しいゴミ袋の中に詰めていった。
腕が痺れて一度袋を下ろした。どっこいしょ、という声が出て、バンドウは一人で笑ってしまった。歳を取ることはもうないのに、老けた気がする。三十五歳で会社に登録されているはずだが、本当はもう少し上なのではないかという疑問がよぎった。
目指すは星の間ホテルとの間だった。駅の外。ここから見えるのは小さく輝く星々と、鈍く光る線路、様々な車両だけだ。宇宙空間に浮かぶようにしてあるのが、この星の間中央駅と、星の間ホテルだった。面白くない光景を一望したあと、大きなダストボックスがある倉庫に来た。『分別!』と赤で印刷されたポスターが壁に貼られている。ホテルとの共同ゴミ捨て場だった。
この分別作業が何より面倒くさい。生ゴミが多い飲食店は楽だろうが、お忘れ物センターから出るゴミは紙に食べ物に金属類に様々だ。バンドウは袋を開けて、一つ一つ確認し、ダストボックスの中に投げ入れる。持ち主に忘れ去られてしまった哀れな物たちはもうゴミでしかない。しかしその中には何か面白いものがあるかもしれないと期待もしてしまう。
保管室に持って帰ったらムゲンに怒られるのは分かっているのだが、そうでもしないと気が狂いそうになる。前の前世お忘れ物捜索サービスで久しぶりに駅の外に出たのはいいが、あれから二週間、また駅に缶詰である。帰る場所はない。生きる場所はここだ。ここで働く職員は皆、この会社に魂を捧げている。いや、会社に魂を握られていた。ジョーやハナビなど息の抜き方を知っている職員はいいが、ムゲンのように息の抜き方を知らず、教えられた通り少ない休憩時間で二十四時間真面目に働いている職員は、初めはいいが、次第に感情を失い、ただ言われた通り働くだけのモノとなってしまう。特に自分と同じ黒髪のっぺり顔はそうなる確率が高かった。北口改札にいる女性駅員など、半年でああなってしまった。
共に働くのなら、ムゲンもある程度は息の抜き方を知ってほしい。だからムゲンに遊びを覚えて欲しかった。
二つ目の袋の中身を分別していると、一つ小さな箱が出てきた。
その表面を見て、バンドウはにっこりとし、ジャケットの中に隠して駅に戻った。
せっかくセンターの外に出たので、ジュースでもムゲンに買って帰ろうと自販機がある職員用の休憩室に向かった。
部屋に入ると、先客がコーラを飲んでいた。
「おっ、バンドーさんじゃん。お疲れっす。何してたんですか?」
「はいお疲れ様です。ゴミ出しをしてきました。二週間放置してたらムゲンさんに怒られてしまいましたよ」
ジョーはムゲンが怒っている様子を想像して笑った。先輩に対して容赦ないところが好きだった。
ジョーはパイプ椅子に座って足を机の上に上げていた。だらしない格好をしているが、休憩室には人が来ないので、安心しきっているようである。
「またコーラですか。好きですね、それ」
「オレ、なんかコーラ飲んでると、懐かしい気分になるんすよね。いつもコーラ選んじゃうんすよ。なんなんですかね、これ。バンドーさんはあります?」
「懐かしいといえば、僕は、ホームに列車が来る時になりますよ。列車の前に身を投げ出したくなります」
「なんすかそれ。自殺?」
ジョーが引きつった笑いをするので、バンドウは目を細めて顔に笑顔を貼り付けた。
「分かりません。確かめるものがありませんから」
はは、と乾いた笑いをして、ジョーはコーラを一気に飲み干した。
バンドウは名札の裏にあるバーコードを自販機のバーコードリーダーにかざし、ミックスジュースを買った。ジョーはバンドウがブラックコーヒーしか飲まないことを知っていたため、ムゲンのお土産かと尋ねる。
「はい。彼女もそろそろ息抜きの仕方を知るべきです。僕はいい上司ですから、教えるべきことを教えなければなりません」
バンドウはジュースをジャケットの中に隠すついでに、見つけた箱をジョーに見せた。
「ジョーさん、時間あります? ちょっとセンターで遊びませんか? ムゲンさんも誘って」
「えっ、行く! まだ時間あるから行きます」
「良かった。ではすぐに行きましょう。ジョーさんの上司は時間に厳しいですからね」
バンドウはジュースと箱が落ちないように上手にジャケットの中に隠し、休憩室から出た。ジョーも一緒についていく。
駅構内に出ると、今日も相変わらずの賑わいを見せていた。
『そうだ、行こう。快適な星間旅行へ』
新作ポスターが天井から吊り下げられている。モデルは鎧を脱ぎ捨てた騎士だった。