1章 推しを忘れた令嬢

 瓶ビールをジャケットの中に隠し、特急タナバタから下車する。この時間になると、もう人はまばらになってくる。バンドウは改札を出て、すぐにお忘れ物センターに戻った。
 カウンターに誰かがいたのが見えたので、接客中かと思いきや、ジョーだった。ジョーがムゲンを困らせていた。ゲームがしたいのか、それともムゲンを口説いているのか。バンドウは気配を殺してジョーに近づいた。
「ジョーさん。僕の後輩を困らせないでください」
 背後からジョーの頭を叩くと、ジョーは頭を擦りながらバンドウに謝った。ムゲンはほっとして、強ばった顔を緩めた。
「おかえりなさい〜、あれ、お客さんは?」
 ジョーが尋ねると、バンドウは首を横に振った。前世の世界を希望した、という意味である。ジョーは口笛を吹いたが、ムゲンはよく分かっていないような顔をしていた。
 ジョーはゲームがしたいとバンドウに頼んだが、バンドウは断った。バンドウもゲームの続きがしたかったし、確認することもあった。バッテリー残量は残り僅かだった。それをジョーに譲るつもりはなかった。
「ジョーさん、お時間はよろしいのですか?」
「あ、やべ。でもこれだけ伝えときます。ムゲンちゃんを困らせてたキモ勇者なんだけど、結局世界を救えなくて、別の世界に転職に行くらしいっすよ」
 別世界への転職などできるのかとムゲンは怪訝な顔をしていたが、なんでもありなのが異世界たちである。ある世界では普通でないことも、他の世界では普通のことだって大いにある。そういう人もいるのだとバンドウは説明しておいた。前世お忘れ物捜索サービスなど、いい例だ。なんせ、望めば、やり直しができるのだから。
 異世界鉄道を利用する理由など、いくらでもあるのだ。だから、この鉄道会社の利用客は絶えない。この駅は世界と世界を結ぶために存在している。
 ジョーはひらひらと手を振ってお忘れ物センターから去っていった。
 ようやく静かになり、ムゲンがバンドウにおかえりなさいと言った。
「ムゲンさん、大丈夫でした? 変なお客さんとか、来ませんでした?」
「心配してくれてありがとうございます。ジョーさんが来ただけで、他は特に問題ありませんでした。もう一人前だと認めてください」
 バンドウはカウンターに入り、ムゲンの頭にぽんと手を置き、撫でた。
「そうですね。ムゲンさんは優秀ですから」
「……距離が近い」
 やめてくれという声色で、表情も固いままだったが、ムゲンはその手を払うことはしなかったし、頬をじんわりと染めていた。
「まあ、ちょっと、向こうで嫌なのを見てきましたから、癒しがほしいのかもしれません」
 バンドウはジャケットの中から瓶ビールを出し、冷蔵庫の中に入れた。
 椅子に座り、テーブルの上に置きっぱなしだったゲーム機を起動させる。確認したいことがあった。
 嫌なことって何なんですか、とムゲンが聞いてくるので、ゲームをプレイしながら、バンドウは今回の依頼の流れを全て話した。
 話を聞き終わったムゲンは、顔色を悪くしていた。ムゲンにとっては少々刺激的だったのかもしれない。
 前世お忘れ物捜索サービスは、思っていたものと違ったようである。バンドウは近々、もう少しムゲンにこのサービスのことを説明しておこうと決めた。ムゲンが担当することもあるだろう。
「ところでムゲンさんは、恋がしたいって、思いますか?」
 保管室の入り口に立っているムゲンに問う。
 ゲームの中の男たちは、主人公の女に、一生懸命愛の言葉を囁いていた。
「この会社に勤めることになった以上、もう私たちに未来は存在しないと教えてくれたのは、バンドウさんです」
「そうですね、そのとおりです。僕たちは老いることなく、この会社に永遠に勤めるよう定められた者たちです。でも、職員同士の関係は、特に禁止されてはいませんよ」
「何、バンドウさんまで私を口説いているの」
 バンドウはゲーム機から顔を上げて、にこりとした。
「ムゲンちゃんが優秀かつ可愛い後輩だから、ちょっと困らせてみたかっただけですよ。あ、やっぱりさっきの、ジョーさんに口説かれてたんですか? だったら後でもう一発入れとかないといけませんね」
 プレイした内容はセーブせず、バンドウは一度ゲームを終了し、ゲームソフトのタイトルを確認した。
 『夢と共に華に散れ』――古井七瀬の転生先の元となったゲームだった。
 推しに愛されることを夢に見て、推しを弄び、結果その推しに汚された哀れな女だった。本人はそれを望んでいるのかもしれないが、あの女は、愛や恋というものを、本当に知っていたのだろうか。彼女が華やかに散ることができる未来は存在するのだろうか。そこまで考えたところで、ゲーム機本体のバッテリーが切れてしまった。
 保管期間は今日までだった。時計を見る。日付が変わるまであとわずか。もう取りに来る者はいないだろう。バンドウはゲーム機を処分袋の中に投げ入れた。もうこの袋もぱんぱんである。駅の外にあるダストボックスに早く持っていけとムゲンには言われていたが、面倒くさくて放置していた。
「そろそろ冷えたでしょう。ムゲンちゃん、こっちに来てください。お土産、飲みましょう。特急タナバタ限定のビールです。ムゲンちゃんの配属半年記念です」
 ムゲンに声をかけると、ムゲンはすぐに保管室に入ってきた。バンドウは瓶ビールのラベルに印刷された星間ちゃんを気に入っている様子だったが、そこまで可愛くはなかった。星間ちゃんのデザインについては、ムゲンの評価は低い。
「もう、別にいいって言った、私。コンプラは――」
「まあまあ。上司からのお土産なんですから、受け取ってくださいよ。このビール、僕、結構好きなんです」
 そう言われると、ムゲンも逆らえない。
 バンドウがムゲンのマグカップをテーブルに持ってくる。ムゲンのマグカップは花柄だった。瓶ビールの蓋を開け、マグカップに注ぐ。冷蔵庫の中に入っていた保管期限切れのおつまみも出した。塩の効いた豆菓子だった。
「バンドウさんは」
「僕? もう特急の中で飲んできました。え、もらっていいんですか?」
「私、こんなに要らないから。一人で飲むっていうのも、なんだか」
「じゃ、遠慮なくいただきます」
 そそくさと自分の無地のマグカップも出し、ビールを注いだ。豆菓子の袋を開け、テーブルの中央に置く。
 二人で乾杯をして、バンドウは目をきゅっと細めて微笑んだ。
「ムゲンさんがお忘れ物センターに来てから、僕はとても楽しく仕事をさせてもらっています。ムゲンさんは本当に優秀で可愛い後輩です。たった半年でここまで仕事ができるようになって素晴らしいです。これからもよろしくお願いします」
 バンドウに褒められて、ムゲンはかあっと顔を赤くした。
「も、バンドウさん。やめて、さっきからなんなの」
「ああ、これは効くんですね。ムゲンちゃん、もう酔っているんですか? それとも、もしかして、僕のこと意識してるとかですか?」
 顔を寄せると、ムゲンは眉をぎゅっと寄せて叫ぼうとして――我慢した。外に聞こえてしまっては困る。
「なんでそうなるの……っ」
「そうですか。違いましたか。でも、前に言ったのは、本当のことですよ」
 前って何、という顔をするムゲンに、バンドウは苦笑する。
 外からすみませーん、と声がかかる。
 バンドウが返事をして立ち上がる。ムゲンがふらふらしながら着いてこようとするので、バンドウはムゲンの肩を押さえて座らせた。
「ムゲンさん、今すごい酔っているので、ここにいてくださいね。ムゲンさんも休息が必要です。気持ち悪くなったら、ベッドもありますから。あ、安心してください、襲いはしません」
「何、何なの」
 怒りたかったが、酔いが回ってへなへなとテーブルに突っ伏したムゲンは、そのまま寝息を立てる。一日、気を張っていたのだろう。よく頑張ってくれた。バンドウは微笑み、静かにカウンターに向かった。カウンターにはムゲンが作成したお忘れ物リストが置かれていた。今日も様々な車両から忘れ物が届いていた。いつもより字が慌てている。一人で対応するのはやはりきつかったようだ。バンドウはそのリストを片手に持ち、客に声をかけた。
「こんばんは。いらっしゃいませ。今日は何をお忘れですか?」
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