1章

 翌日、夜廻たちがざわついていた。
 屋敷に顔を出してすぐに、いつもと様子が違うことに気付く。矢が的に当たる音も聞こえてこないし、木刀を打ち込む音も聞こえてこない。男たちがざわざわと話をしていたのだ。
 中庭の中央には輪ができていた。
「あ、夜鷹」
 廊から寧子に手招きされた。
「あれ、なんかあったの」
「私も今帰ってきたところだから。とりあえず、あの塊をどうにかしないと」
 寧子が「あ」と声を出した時、怒号が響いた。
 牛目が人を散らしたのである。皆、いつも通りの稽古に戻っていった。
 人が散り、輪の中央から出てきたのは、うずくまっている男だった。頭を両手で抱えて、首を垂れていた。
 牛目が中庭に降り、男の腕を取って立ち上がらせた。
「中に入れ」
 それだけ言って、ずるずると引きずるように、男を屋敷に入れたのだった。まるで、以前も同じようなことがあったかのような冷静さである。
「おい、やるぞ」
 藤六から声をかけられ、夜鷹も打ち込みの稽古を始める。
 しかし、牛目が戻って来るなり、藤六は彼のところへと行ってしまった。夜鷹も藤六の後ろをついていく。
「またか」
「まただ。まあ、一眠りすりゃ元に戻るだろ。他の奴もそうだった。寧子とドロシー先生に任せてる」
 会話を終えた藤六が踵を返すと、背後に夜鷹がいることに驚く。気配を消しているつもりは全くなかったのだが、気付かれていなかったようだ。
「盗み聞きか?」
「いえ、そういうつもりでは」
「お前、たまに、消えたかと思うくらい気配がなくなるよな。察知するのは苦手なのに」
「それより、さっきの話、前にも同じようなことがあったんですか」
「ん? あ、まあ。お前には関係ない話だよ」
 そういうことを言われると、余計に気になってしまう。あれだけざわついていたのだ。何が起こったのか、夜鷹も知りたい。
 寧子が様子を見ていると聞いたので、その寧子を探しに屋敷の中に入った。ここは夜廻の拠点であると同時に、寧子と牛目の住まいでもある。看護室もあるので、先程の男はそこで寝かされているのだろう。
 夜鷹が看護室に行くと、ちょうど寧子が出てきた。そして、その後ろから、背の高い女性が出てくる。咄嗟に夜鷹は柱の裏に隠れた。
 知らない人だった。それに、髪が明るい。甘栗色をしている。鼻は高く、目は青かった。装いも滅多に見ないものを着ている。真っ黒で、筒のような服だった。なんと言えばいいのか分からないような服である。寧子が履いている袴のようでもあるが、似て非なるものだった。
 海の向こうから来た人だというのがはっきりと分かる。
 年齢はよく分からない。夜鷹の感覚からすれば二十歳くらいに見えるのだが。もしかしたら、もっと上かもしれない。
「ありがとうございます」
「イエ。まじないで良くなるのなら、いくらデモ」
 この国の言葉が少し喋れるようだ。だが、まだ拙い。まじないと言ったのがはっきりと聞こえたが、それが一体何を指すのか分からない。
「今度は、イツ、練習しましょう」
「明日行きます。先生、私にもはやく、まじないを教えてください」
「まだデス。まだ、この国に合ったまじないが、開発できていまセン。今日のまじないも、祖国のものを使った応急処置デス。この国の人に合うかどうかも怪しいし、まじないをしたからといってすぐ良くなるとも限らない。完成を待ってほしいのデス」
 先生と呼ばれた女性は、寧子の頬を撫でた。顔を上げた寧子は、いつになく不安そうな表情をしていた。いつも強気な彼女があのような表情をするのを、夜鷹は初めて見て、動揺してしまう。
「ネコは人の為になろうという気持ちが強い。まじないができたら、必ず、うまく使えるデショウ。ドロシーに任せてください。必ず、完成させマスから」
「はい。待ってます」
 ドロシーと自分を呼んでいた女性がこちらに向かってくる。夜鷹は息を殺して襖の裏に隠れる。長い髪を後ろで三つ編みにして束ねていた。
 見送りを終えた寧子が戻ってきて、ちょうど廊に出た夜鷹とばっちり目が合う。
「何やってんの、そこで」
「いや」
「盗み聞き?」
「そういうわけじゃないんだけど。さっきの人、誰?」
「ほら、盗み聞きしてたんじゃない。夜鷹は知らなくていいの。さっさと庭に戻って。藤六が探してたわよ」
 寧子も藤六も何も教えてくれなかった。ただ知りたいだけなのに、どうしてそこまではぐらかされてしまうのだろう。
 事の発端である男から直接話を聞いたほうが早い。
 彼が復帰したのは、それから一週間ほど経ったあとだった。井戸端で休憩していたところを狙って、何があったのか聞いたのだ。
「目の前が突然光ってなあ」
「はあ」
「小さな女の子が道端にいたんだよ。いや、男の子と一緒だったかな。とにかく、子供が出歩くような時間じゃないから、家まで送るぞと声をかけた。すると、突然光ってな」
 男は身震いをした。
「思い出したくもないもんが、目の前に現れたんだよ。見たくないものを直接見させられてる、そんな心地がした。なんか不思議な術でもかけられたのかと思った。それでちょっと調子崩してた」
「不思議な話ですね、なんか」
「俺も何が起こったかよく分からん。夜鷹も気をつけろよ」
 気をつけろと言ったって、何に気をつければいいのか分からない。子供がいれば、必ず声はかけるだろう。
 それに、子供が光るというのは、どこかで聞いたことがある話だ。
 昭晶の言っていた、光る少女。気が付いたら眠っていた。ただそれだけで、昭晶は何か悪さをされたというわけではない。似ているようで、似ていない話だ。
「そういえば、海向こうの人に何してもらったんですか?」
「寝てたから覚えてねえなあ。俺はてっきり、寧子ちゃんが看病してくれたと思ってたけど、違うのか?」
「違わないんですけど……、覚えてないのなら、いいです。すみません、余計なことを聞きました」
 それから、藤六に彼が言う”思い出したくないもん”を教えてもらった。
 どうも彼は、幼い頃に、目の前で両親が強盗に殺されたらしい。そういう過去を持つ夜廻は他にも多くいる。彼だけが特別というわけではない。
「昔のことを思い出して病む者はいる。あいつだけの話じゃない。今までも何度かそういうことがあったんだ。気にすんな。というか、必要以上に聞いて回るな。失礼だぞ。だから俺も寧子も牛目も話さないんだ。お前だって、お前のことを他人にべらべら喋られたら困るだろ」
 頭にげんこつを食らって、目の前がチカチカする。
 目の前が光るというのは、こういうことなのだろうか。不思議な術をかけられたのではなく、何か強い衝撃がきただけ。昔の嫌な記憶がその衝撃だった。夜鷹はそう解釈した。
 藤六が言っていることは尤もである。悪いことをしたと反省をした。
 きっと昭晶も、驚きという衝撃で、庭に紛れ込んだと思われる少女が光って見えたのだ。月の光にでも照らされていたのだろう。少女が光るなんて、おかしな話だ。それを本人に直接言えないのだが、夜鷹はそう思う。
 今回のことで一つ分かったことは、寧子が海向こうの人を師としていることだ。ドロシーという人物から物語を学んでおり、語り聞かせの練習をしているのだろう。
 一体どういう経緯で知り合ったのだろう。
 一つ知れば、また知りたいことが増える。好奇心というのは厄介だった。藤六の言うように、必要以上に聞き回ることは失礼にあたる。人との関わり方も学んでいかなければならない。そういうことを教えてくれる藤六はありがたい存在だった。
 好奇心を押し殺すかのように、矢を射る。だが、集中できていないのか、矢は的外れな方向へと飛んでいった。
7/7ページ
スキ