1章

 門を出るなり、寧子にこっぴどく怒られた。
「朝まで帰ってこないとは思わなかった! どこまで行ってたの」
 尻を思いっきり叩かれる。寧子もそれなりに力があるので、結構痛かった。
「だから言いたくないんだよ。てか、どこに行ったって怒るだろ」
「散歩でもして帰ってくるのかと思ってたけど、違うのね?」
「言わない」
 頑なに教えようとしない夜鷹に、寧子は溜息をついた。
「昭晶様も昭晶様よ。自分のご身分を分かってないのかしら」
 分かっているから、外に出たかったんだろ――とは思ったものの、口にはしなかった。分かっているから、外に出るという発想がなかったのだ。外に出られるのだと分かれば、出たくもなる。
 納得がいかないような顔をしていた寧子だが、諦めたのか、それから黙って屋敷へと帰っていった。
 長屋に戻った夜鷹は、眠りにつく前に、今度はどこへ行こうかと考えた。
 もちろん、場所は限られている。その中でも、昭晶が喜びそうな場所。思い浮かべると、いくつか候補があがった。どんな反応をするかが楽しみだった。
 頻繁に外に出ると、それはそれで寧子から怒られそうだったので、週に数回に留めておくことにした。
 それから昭晶の元へ通ううちに、寧子が語り聞かせをする曜日、夜鷹と外へ出る曜日と、だいたいが決まっていった。
 ただ、二人で静かに歩くだけの日もあった。他の夜廻とすれ違うと困るので、寧子に夜廻の動きをあらかじめ決めてもらい、散歩したらすぐに帰るという方法をとった。
 また、ある日は、都の近くにある港まで行った。港まで行けば、夜もそこそこ賑わっている屋台通りがあるからだ。
 昭晶には髪を自分と同じように、うなじで一つにまとめてもらった。服も寧子に黙って一着持ってきている。懐に隠し入れていたのを差し出した。
 そこまですれば、兄弟に見える。なんなら、双子にも見えるほど似ている。夜鷹は昭晶ほどの美少年というわけではないのだが、体格が似ているので、髪型も似せれば結構似るのだ。昭晶はもともと滅多に庶民に顔を見せない。だから昭晶が昭晶と分かる者は少ない。このくらいの変装でも騙せる。
 昭晶は嫌がることはなかった。むしろ、この変装を楽しんでいた。
 寧子にも変装していると気付かれないように羽織を頭からかぶる。二人して、笑いを噛み殺しながら宮中から出る。誰もいないところまで出たら、我慢ができず笑いが吹き出した。
 港の屋台は夜間に漁に出る者たちのためでもあるが、酒飲みがよく来る場所でもある。酒の匂いが磯の匂いと混ざり、昭晶は鼻をつまんでいた。それを夜鷹が笑っても、昭晶は怒らない。
 夜鷹が銭を出すと、物珍しそうに見つめた。
「それで何か買うのか」
「夜ってお腹すくだろ。俺は食べてからの出勤だけど、昭晶はそうじゃないだろうし」
「言われてみれば」
 自分で頼んでみたいと言ったので、財布を握らせる。貴人は自分で買わずとも勝手に物が出てくるから、この体験も新鮮なのだろう。
 昭晶が選んだのは、卵の入った粥だった。おそらく、見知った料理がそれくらいしかなかったからだろう。食での冒険はしない性格のようだ。半分は夜鷹の腹に入った。
 歩いていると海の外から来た者ともすれ違う。鼻が高く、目が青い。髪は茶色や金色をしていた。貿易で潤っているのか、装いはとても派手だった。服の留め具はほとんどが金や銀だし、金の装飾がたくさん施された剣を腰に下げている。首や腕には赤や青の宝石がはめられた装飾品があった。この国にはないものばかりである。
「寧子は誰から海の向こうの物語を教わっているのだろう。夜鷹は知っているのか」
「さあ。俺も知らない。毎日どこかに出かけてはいるらしいけど。わざわざ聞くほどでもないし」
 もし仮に、海の向こうの人に物語を聞いているとしたら、寧子はしょっちゅう港に来ているのだろうか。それとも、都に海の向こうから来た人が住んでいるのだろうか。
「わたしはずっと、海の向こうに別の国があるのを知らなかった。海がずっと果てしなくあるものだと思っていたんだ。でも、ここに来て、海の向こうにも陸があり、人間がいるのだと実感したよ」
 空になった椀を両手で包み、昭晶は溜息をついた。
「こういうことが普段からできるのが羨ましいし、こういうものを普段から見られるのが羨ましい」
「でもさ、全くできないよりは、ましだと思う」
「夜鷹は、そういう考え方をするのだな」
「どうせなら、そう考えたほうが、気分がいいと思うから」
 屋台の親父に椀を返し、帰ることにする。
 宮中に続く道を歩いていると、ふと昭晶が夜鷹を呼び止めた。
「何、まだ何かしたかった?」
「そうではない。聞きたいことがある」
 わざわざ、そのように言うのだから、よっぽど大切な話なのだろう。夜鷹は足を止めた。
「いや、知っているかどうかだけ知りたい。夜廻なら知っていそうだから。寝ぼけたわたしの見間違いかもしれない。だから聞きたい。幼い頃、庭に、光る少女がいるのを見た。話しかけると、ただ、微笑み返されただけだった。どうして庭にいたのかも分からないが、きっと、迷い込んだんだと思う。気付いたらわたしは部屋の真ん中で眠っていて、少女は消えていた」
 不思議な話だ。まるで寧子が語り聞かせている物語のようだった。
「これはわたしの夢なのだろうか。似たような話はないだろうか」
「聞いたことないな。寧子なら何か知っていそうだけど……。寧子に聞いてみようか」
「いや、それはいい。その不思議に、もう一度会ってみたいという気持ちがある。もし似たようなことがあれば、教えてほしい」
「分かった。けどあまり期待しないでほしい」
 怪異か何かだろうか。
 夜鷹はそういった類の話には疎い。
 この時はまだ、昭晶がそういう話に興味があるのだなと思っただけだった。ただの雑談、ただの興味。夜鷹にはそう感じたのである。
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