1章

「その調子だと、うまくいったようだな」
 弓を片付けていると、両肩を叩かれた。隻眼の屈強な男が後ろにいた。
「頭領」
 寧子の父、牛目だ。顔にいくつか傷跡がある。牛目は都に来るまでは様々な村を転々としてきたと聞いている。顔の傷は彼のこれまでの人生を物語っていた。
 わはは、と朗らかに笑う牛目に、夜鷹は声を上げた。
「最初にちゃんと詳しく話をしてくださいよ。寧子からの説明も何もなかったし。困ります」
 大きな手で頭をわしゃわしゃと撫でられる。藤六もそうだが、牛目も夜鷹をひどく子供扱いしてくる。
 自分を拾ってくれた張本人だし、夜廻の中で一番若いせいなのだろうが、そろそろやめてほしい。
「寧子から聞いたぞ。若様が顔を見せてくれたそうだな。お前と寧子が初めてだぞ」
「あの方はどうしてこれまで誰とも話してこなかったのでしょう。何か理由でもあるんですか。恨まれたりするような人には思いませんでしたが」
 夜に眠らないことを除けば、普通の少年のように見えた。何か病があるようにも思えないし、普通に会話もできていた。人嫌いというわけでもなさそうだ。
「宮も離れにありますよね。他は皆近くにあるのに」
「それについては俺も知らん。星宮様の護衛を頼んできたのは香花様だが、あの方こそ、何も教えてくれんからな」
 それだけで納得した。だったら仕方がない。昭晶の話でもそうだったし、相手が誰であろうと、母は深く語らないのだろう。
「藤六も言っていたじゃないか。若様から頼んできたんだ。もっと若い人がいいとな。話し相手が欲しいんだろう」
「そうだとして、寧子は何かあっても戦えません」
「大丈夫、寧子には自分の身は守れるようには教えている」
 そういうことじゃないんだけどな、と思ったが、もう何を言っても無駄のような気がして、そこで会話を終えた。
 牛目は子煩悩で有名だった。寧子が着る服は貴人が着るような高級そうなものだし、肌艶もよく、食べているものもいいことが伺える。
 そんな一人娘をわざわざ夜間に現場へ派遣した。危険な目にあうかもしれないのに。そのことを考えると、よっぽど重要な任務だったのだろう。
 お守りする方がどのような方なのかを知る必要がある。寧子と夜鷹はあの御簾の向こうにいる昭晶を外へ誘い出す役だったのかもしれない。
 蔵から出ると、朝日が夜鷹の目を突き刺した。
 自分も昭晶と同じ部分がある。夜に眠りにつくよりも、日が出ているうちに眠ったほうが、深く眠れる気がするのだ。
 孤児院にいた時は無理矢理にでも夜に眠っていたが、何も注意されなければ昼夜逆転した生活を送っていただろう。
 そういうこともあり、夜間に働くことになる夜廻は、夜鷹にとっては都合のいい職だった。
 本当に自分は恵まれているよな、と夜鷹は思う。運がなければ、夜廻に拾われることもなく、道端で死んでいただろう。夜廻に拾われていなければ、職に困っていたかもしれない。
 今、生きていること自体が、幸運なことなのだとつくづく思う。この仕事をしている限り、死はいつも隣にある。
 夜はすっきりとしているのだが、朝になると、徐々にぼんやりとしてくる。
 長屋には他にもたくさんの夜廻が住んでいて、食事は他の者と共にすることになっている。給料の一部は食材になっているからだ。だが、眠気が強いので、夜鷹は食事当番でない限り、朝食はいつも抜く。
 長い夜だった。いつもよりも疲労を感じている。だが、昭晶のことが少しでも分かってしまえば、明日からの仕事が嫌というわけでもなかった。
 一眠りしたあとは、昼を過ぎている。食事を済ませたあとはしばらく散歩をしたのち、夜廻の屋敷で稽古となる。
 いつもなら事務室に寧子がいて、算盤を弾いているのだが、今日はその姿がなかった。
「寧子は?」
 既に身体が温まっている藤六に聞いてみる。
「さあ。今日はまだ見てないが」
「そっか」
 突如、視界が回転した。背中に強い衝撃が加わる。
「はい、一回死んだ。刀はうまいのに、隙が大きいのがお前の悪いところ」
「ってえ……」
 藤六の言っていることに間違いはない。たまにこうして、抜き打ちで投げ飛ばされる。そのたびに、自分はまだまだだと痛感する。
 孤児院でぬくぬくと生活していたからだろう。他の男たちは皆、厳しい環境の中過ごしていたのもあってか、どこか野生っぽさがある。気配を察知するのも早い。夜鷹にはそれが欠けていた。
「夜目が利くのも、いいのか悪いのか」
「どっちかというと、悪い気がします」
 夜は勘も必要だ。目ばかりに頼るわけにもいかない。
 立ち上がり、土埃を払ったのち、木刀を握った。
「今日もよろしくお願いします」
「おう」
 果敢に挑んだものの、いつものように徹底的に打ちのめされた。藤六は夜鷹を褒めてくれるが、それでも藤六の足元にも及ばない。
 なぜそこまで強いのか聞いたことがある。
 藤六はもともとは小さな村に住んでおり、そこの子供たちと毎日取っ組み合いの喧嘩をしていたそうだ。そういう風土なのか、子供たちは喧嘩っ早く、何かあればすぐに殴り合いになったらしい。恵まれた身体つきをしており、力もあった藤六は、いつの間にか大将と呼ばれるまで実力をつけていた。
 その力を存分に活かせる場を探し求めた結果、ここの夜廻にたどり着いたのだという。
 自分に足りないのは、そういう経験なのかもしれない。土と泥にまみれながら遊ぶという経験をしたことがなかった。
 ここにいる者は、皆、地を這いつくばるように生きてきた者たちだ。孤児院で手厚く育てられた夜鷹とは育ちが違う。その分の努力が必要なことは、毎日の稽古で思い知らされている。
 中庭の端にある井戸で痣を冷やしていると、寧子が隣にやってきた。
「あーあ、またぼろぼろにやられてる」
 ふふふ、と意地悪く笑われる。
「っせえな」
「なんだか心配だわ。夜鷹と組むの」
 言い返せなかった。
 寧子は力こそないが、昭晶の退屈を紛らわせることができる。
「だったらお前一人でいいんじゃないか」
 拗ねたような言い方になってしまった。
 そんな夜鷹に、寧子は呆れたように首を横に振った。
「それは駄目よ。私は自分の身しか守れない。それに、夜鷹は気付いてないかもしれないけど、昭晶様は、私より夜鷹のほうと仲良くしたいみたいよ」
「どういうことだよ。昨晩、ずっと話をしていたのは寧子じゃないか」
「そうね。だけど、昭晶様は最初、夜鷹にだけ話しかけてた。私の存在はなかったかのように」
 思い返せばそうだったかもしれない。昭晶が御簾から顔を出したのは、夜鷹の話に反応したからだ。
 だが、それだけが理由にはならない。
「夜鷹は背を向けていたから分からないのだろうけど、昭晶様は私の語りを聞きながらも、ずっと夜鷹の背中を見ていたわよ。本当は私の話より、夜鷹と話すほうがいいのかもね」
 気が付かなかった。
 いや、そこまで見つめられているのなら、気が付かなければならない。自分の鈍さを呪いたくなる。
「そうはいっても、俺は寧子と違ってあの方が喜ぶような話題は持ってない」
 自分の生活を振り返ってみる。特に代わり映えのしない毎日。今日だって藤六に痣をつけられたことくらいしか話題がない。
「なんでもいいんじゃないの。あちらから夜鷹に何か話しかけるかもしれないし。のんびりやりましょ」
 手をひらひらさせて、寧子は事務室に戻っていった。
 日が傾きはじめ、ちらほらと今日の配置を見に来る者が増えてきた。
 相変わらず、夜鷹の名札は星宮にある。そしてその隣には新しく作られた寧子の名札があった。
 昨日は武士ではないからなどと言っていたが、正式に夜廻として現場に行く覚悟をしたのかもしれない。
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