1章

 挨拶を終えたあとは、そのまま部屋の前で待機となる。空が白くなるまでが夜廻の時間だ。それ以降は近衛兵に代わることになっている。
 貴人の護衛の際は、弓を常に立て、座って待機となる。これがしんどかった。じっとするのが難しい。
「なんで寧子と一緒なんだよ」
 耐えられず、横に座っている寧子にひそひそ声で尋ねる。
「お父さんがそうしろって言ったから。それだけよ。私が私の考えだけで動くわけないじゃない」
 寧子もひそひそ声で応じる。
「お前、女だろ」
「でも、夜廻ではあるわ」
「なんだそれ」
 寧子の仕事は事務である。現場に出ることは今までなかったはずなのだが。
「じゃあなんで一緒に来なかった。地図にも名札がなかった」
「私は武士ではないから名札はないの。必要になりそうなものの準備をしていたら、遅くなっちゃった。それだけよ」
「必要な物?」
「道具や武器ではないわ。それはここにある」
 頭をとんとんと叩く。その仕草の意味がよく分からず、夜鷹は深い溜息をついた。
 空を見上げる。今日は月がないので、いつも以上に暗い。そしていつも以上に星がよく見える。
 こういう日こそ、巡回をしたかった。星空の下、都を歩くのが好きだった。組となった夜廻と一緒に話をしながら歩いていると、あっという間に時間が過ぎる。長い夜を過ごすには、ちょうど良かった。
 星の動きが遅く感じる。隣では、寧子があくびを噛み殺していた。ばれないようにしているのだろうが、夜鷹に暗闇は通じない。夜鷹の目は、暗闇の中でも、なんでも見えてしまう。
 話し相手を所望するのなら、話しかけたほうがいいのだろうかと、夜鷹は話題をひねり出した。
「王子様は、香花様にお会いしたことはありますか。俺は、香花様に育てられたのですが」
「ちょっと、やめなさいよ」
 寧子に肘で突かれるが、夜鷹は気にせず続けた。
「香花様は、優しい母でした。そのような方に育てていただけたのは、嬉しく思います」
 王族にできる、唯一の話だった。
 しばらく返事を待っていると、御簾が揺れる気配がした。
「――その人はわたしの母だ」
「え」
「正しく言えば、わたしの義理の母だ」
 振り返ると、白い月のような顔が御簾の間に見えた。夜鷹をまじまじと見つめていた。
「名をもう一度教えてほしい」
「夜鷹です。夜の鷹と書いて夜鷹。この名も香花様にいただきました」
「義理の母が共なら、夜鷹は、わたしとは義理の兄弟になるのだろうか」
「どうでしょう。そうだとしたら、王子様には、たくさんの兄弟がいますよ。孤児院には、いつも子供がいますから」
 ふふ、と笑った。
「そんなに兄弟はいらない。会いもしないのに。母からは何も聞いたことがない。孤児院の話など一切しなかった」
「それは孤児院でも同じですよ。香花様は宮のことは何も話しませんでした。それぞれの子供を思ってのことだったのかもしれませんね」
 御簾が上げられた。夜空の色と同じ衣をまとっている、美しい少年だった。細い眉に、ふっくらとした頬。女かと見間違えてしまうほどだ。
 うなじで簡単に一つに結っている夜鷹とは違い、彼は両耳の前で結っている。たいていの貴人は輪にして結っているのだが、簡単に結んでいるだけだった。
「私の名はいくつかあるけれど、昭晶あきらと呼んでほしい」
 思いがけない提案だった。貴人の名を呼んでよいとされるのは、身分が近い者だけのはずだ。そのくらい夜鷹でも知っている。
 裸足で歩いているような身分の低い自分には恐れ多い提案なのだが、それを拒むわけにもいかず、夜鷹は一礼し「昭晶様」と呼ぶ。すると、彼は嬉しそうに微笑んだ。その上品な笑みが貴人らしい。
 昭晶は視線を寧子に移す。
「そっちの……」
「寧子です」
「猫?」
「違います。安寧の寧に、子です」
 寧子の反応が面白かったのか、ふふ、とまた笑う。
「女官は他にいるのだが」
「私は女官ではなく、夜廻として来ています。基本、夜廻は二人で一組なので。不要ならば、夜鷹だけにしますが」
「いや、いい。けれど、女官ではないのなら、何をしてくれるのか」
「夜鷹の補佐の他に、語り聞かせができます。この国に伝わるものだけでなく、海向こうの国の物語も、お望みならば。夜は長いので」
 先程の、頭を叩く仕草はそれだったのかと夜鷹は納得した。貴人に対して話すようなことがない夜鷹にはうってつけの補佐だった。
 夜鷹は気になることを一つ尋ねた。
「あの、昭晶様は夜に眠らないのですか」
「眠らないんじゃない。眠れないんだ。空が白くなりはじめた頃に、ようやく眠くなる。幼い頃からずっとそう。夜鷹と寧子なら退屈せずに済みそうだ」
「では、今日は、ご挨拶代わりに物語をお一つお聞かせします。語り終わる頃には、空が白くなり始めるでしょう」
 昭晶は寧子を部屋に招いた。御簾は上げられたままで、部屋の外に座る夜鷹にも話は聞こえてくる。
 寧子がいて助かったと心底思った。
 彼女が最初に選んだのは、星の物語だった。
「星の一つ一つには命があり、物語があることを、ご存知ですか」
 その問いから物語は始まった。昭晶は首を横に振る。その反応を見た寧子はどこか楽しそうな表情をした。
「全てを語ろうとすると、どれだけの夜があっても足りません」
 今日は空の中心で輝く、父神の話だった。この世界を作ってくれた父神の目なのだという。
「この世界は、父が一人の手で作りました。大きな手で土を捏ね、髪の毛ひとつひとつ丁寧に植えて植物にしました。髪の毛を抜く時に出た涙が雨になり、水たまりから生命が誕生しました。父は私たちが暗闇に怯えないようにと、空には強く輝く珠と、優しく輝く珠を飾り、それが太陽と月になりました。それでもまだ空がさみしいと思った父は、物語の星を散りばめたのです。最後に父も星になり、そこからずっと私たちを見守っているのです」
 本当かどうかは定かではないが、物語としては面白い。
 寧子の語りは上手かった。どこかで習っているのだろうか。先程、準備をしていたと言っていたから、それなりに練習はしているのだろう。都にはいろんな人がいる。きっと師となる人物がいるのだ。
 毎日、出勤時間に顔を合わせる寧子だが、彼女のことについても、夜鷹はあまり知らなかった。ただ、頭領の娘として、夜廻の事務仕事をしているのかと思っていたが、それだけではなさそうだ。
 夜鷹も昭晶も、寧子の語る話に耳を傾ける。そうしているうちに、星は大きく動き、話が終わる頃には空が白くなっていた。
 挨拶を終えると、昭晶は二人に言った。
「明日も明後日も、それ以降も、二人が良い。今日の夜はとても良かった」
 その王子の言葉に、二人は頭を下げた。
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