6章

 鬼と天女が自分たちを取り囲む。
「昭晶、昭晶!」
 腕の中で横たわっている昭晶を揺さぶるが、昭晶の身体は冷たくなる一方だ。鬼たちも必死に王を呼ぶが、その声は届いていない。
「ヨタカ」
 空から降りてきたのはアルテリアだった。
「もうすぐ夜明けだよ。昼と夜は安定した。だから大丈夫。もう戻りなよ」
「嫌だ、だって、昭晶が……!」
 アルテリアが昭晶の顔を見た瞬間、夜鷹を魔法の風で抱き上げ、昭晶から距離を取った。突然のことに理解が追いつかない。
 風の中でバタバタと暴れる。だが、足にツルが絡まり、拘束されてしまった。アルテリアが夜鷹の肩に手を置く。
「お、おい、何する……」
「星の死に近づいちゃ駄目だ。君まで闇に呑まれて死ぬよ。あの子はもう駄目だ、星が砕け散ってる」
 アルテリアは昭晶を指差す。
 自分の目を疑った。
 昭晶の身体が揺らいだかと思いきや、母の闇を彷彿とさせるどす黒い闇が球となり昭晶を包みこんでしまった。
 アルテリアは鬼たちに離れろと叫ぶ。
 闇は周りのものを破壊しながら吸い込み、ぶくぶくと膨らんでいく。
「なんなんだ、あれは。昭晶はどうなるんだよ。助けられないのか」
「あんな死に方、普通はしないよ。あの子は自ら石を砕いたんだろう。自死を望んだんだと思う。闇を極限まで凝縮して、自分で自分を破壊するつもりだよ」
 このまま見ているしかないのか。
 夜鷹は唇を噛んだ。
 ますます膨らむ闇に、鬼たちは叫び続けている。やっと見つけた王。帰りを待ち続けていた王。鬼たちは昭晶を慕っている。鬼たちはまだ諦めていない。
 昭晶の帰るべき場所がここにある。昭晶はそれを知るべきだ。昭晶を大切に思っているのは夜鷹だけではない。鬼たち、天女たちも、昭晶を大切に思っている。
 夜鷹は刀で魔法のツルを切った。
「ヨタカ、駄目だってば。もう手遅れだよ」
「まだだ。まだ間に合うかもしれない。行かないと。俺が行ってやらないと駄目なんだ」
 父の遺した光を片手に、そして自分の星の石を片手に乗せた。ふたつの光を持ち、闇の前に立つ。
 自分のしようとしていることを理解したのだろう。アルテリアが早まるなと止めるが、夜鷹は聞かなかった。
 光は自分の思いを聞き入れ、全ての力を使い、夜鷹を包み込んだ。この光さえあれば大丈夫だ。
 闇は夜鷹を光ごと飲み込んだ。
 中心に進めば進むほど、強い重力を感じる。全てを飲み込まんとするほどの力を感じる。まるで嵐のように雷が轟き、稲妻が走る。
 この風景は、昭晶が最後に感じた絶望なのかもしれない。真の母にさえ利用されてしまったのだ。希望に満ちた世界だと思って夜の国に行ったのに、待っていたのは母本人による裏切りだ。絶望と、悲しみと、怒りが混ざりあい、その破壊衝動は自分自身へと向いてしまった。
 だが夜鷹は諦めない。彼にはきちんと生きる場所があった。死者を追うことはしないが、まだ可能性があるのなら、最後まで諦めたくない。
 一歩一歩足を進めていく。
 進めば進むほど、何もかも引き寄せようとする力と全てを拒む力の両方を感じるようになる。
 闇に負けそうだ。父が遺してくれた光は一体どこまでもつだろうか。もたもたできない。
「昭晶」
 手を伸ばす。一番深い闇にするりと手が入り込んだ。
「昭晶、俺だ。聞いてくれ」
 冷たい何かを掴んだ。指がある。手だ。闇が何度も振りほどこうと手と手の間に入り込もうとする。負けじと強く握るが、滑って離れてしまった。
 夜鷹は闇に向かって叫んだ。足を踏み出し、闇をかき分け、中心に進む。
「言いたいことがあるんだ。渡したいものもあるんだ」
 思い出すのは、昭晶の手を握って、夜な夜な都に遊びに行く日々だ。丘まで星を見に行った日もあった。一度は散り散りになっても、自分たちは再び出会い、傍にいた。兄弟以上の存在を失いたくない。
 一度は驚きと恐怖にすくみ、拒んでしまった。だが、もう拒む理由はない。
 叫びと共に、光が全ての力を使い、道を開いてくれる。昭晶を包む闇の中心地にたどり着く。
 外の闇とは違い、中心の闇はとても静かだった。ここにあるのは、無だ。
 彼は静かに横たわっていた。夜色の衣が波に揺蕩うように揺らいでいる。
「昭晶。本当に死んだのか」
 膝の上に抱き寄せる。両の手で頬を包んだ。氷のように冷たい。もう遅かったのだろうか。
 夜鷹は目に浮かんだ涙を拭った。
「俺が昼に行こうなんて言わなければよかったんだ。俺一人で行けば良かったんだ。何も知らないくせに、いい場所だ、楽しい場所だなんて言って。お前にとっては地獄のような場所だったのに。騙してしまった。悪かった。ごめん、昭晶」
 昭晶は自分を疑うことがなかった。
 昼はきっといいところだ。楽しいこと、嬉しいこと、自由な空の下で、自由に生きれるんだ。そう語る夜鷹の声を、昭晶はずっと聞いてくれていた。
 星の子の運命を背負い、地上に落ち、夜の柱になることを夜鷹は拒んでいた。それを責めもせず、自分も母から与えられた使命を捨て、共に夜から逃げてくれた。
 昼の国に居場所を持ち、仲間と共に過ごせているのは、昭晶が犠牲となり、自分の背中を押してくれたからだ。
 何度も謝りながら角に自分の額を当てる。凛々しく、おぞましい鬼の象徴。昭晶らしくすらりとしていて、美しさもある。この角を一瞬でも怖いと思ってしまった自分を殴りたい。
 涙が伝い、昭晶の頬を濡らす。
「……謝らないでいい」
 掠れた声に、夜鷹ははっとして顔を上げる。
 目は閉じたままだが、唇が動いていた。砕け散った星が、昭晶の胸で僅かな光を放っている。
「わたしも、憧れたのだ。明るくて、温かくて、幸せになれる場所なのだと、勝手に想像したのはわたしもだ。行くと決めたのもわたし。夜鷹と共にいたかったのもわたし。全てわたしの意思で決めたこと。夜鷹のせいではない。わたしは生まれ落ちる場所を間違えていなかった。わたしが選んだんだ。わたしの星を砕いたのもわたしだ。すべて、夜鷹のせいではない。だから謝るな」
 星のかけら一つ一つが力尽きていく。胸の上でちりちりと光の粒を放ち、闇の中に消えていく。
 伝えたいことを伝えて満足したのか、昭晶は口を閉ざした。
 夜鷹は自分の星の石を手に取った。
「昭晶、死ぬな。まだ昭晶の居場所はある。鬼たちがずっと外で待ってる。お前を必要としている者はたくさんいるんだ」
 昭晶の胸に石を押し当てる。他人の石が身体に入り込むのを拒絶しているのか、バチバチと激しく光を散らす。
「俺の石をもらってくれ。頼む」
 手が灼き尽くされてしまいそうなほど石が熱くなる。昭晶が再びこの世界で生きることができるのなら、手を失っても構わない。胸に石をねじ込む。ゆっくりと、ゆっくりと石は心臓へと近づいていく。
 手のひらが胸を触った瞬間、光は新しい主を見つけたかのように、溶け込むように昭晶の中へと納まった。
 息を呑み、昭晶を見守る。
 しばらくすると、昭晶は深い溜息をついた。頬が赤くなり、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……なんてことを」
 信じられない、という顔をしている。
「これは……、夜鷹の星なのに……、こんなわたしに……」
 夜鷹はいてもたってもいられず、昭晶を抱きしめた。身体が温かくなっている。
「いいんだ。人間の俺が持っていても意味ないだろ。昭晶に使ってもらうほうが、幸せだろうから」
 昭晶はゆっくりと身体を起こし、胸に手を当て、何かを感じ取った。
「……昼の王の記憶が少し混ざっている」
「もしかして、嫌だったか」
「いや……とても心地良い。夜鷹の星は心地良い熱がある。王は生きる者全てを愛していたのだな」
 昭晶の目から涙が落ちる。
「わたしに生きてよいと言ってくれた気がする。夜鷹も死ぬなと言ってくれた」
 二人を包んでいた嵐が落ち着き、遠くから鬼の声が聞こえてくる。
 昭晶はようやく鬼たちの声を耳にした。少し恥ずかしそうな表情をしている。
 こんなにたくさんの者から呼ばれたのは初めてなのだ。昼の国にいた時は孤独だった昭晶が、たくさんの者に必要とされている。それが夜鷹には嬉しく感じた。もう彼は一人ではない。
「母上はどうなった」
「父さんの死を知って、どこかに行ってしまったよ。ひどく悲しんでいる。まだ死を受け入れられないんだ。俺を取り込もうとするほど、父さんと一緒にいたかったんだろうな」
 昭晶は遠くの空を眺めた。夜明けの空に、幻影の城はない。
「王の記憶を持つわたしがいれば、少しでも慰めになるだろうか」
「きっと。頼んでいいか」
「夜鷹の頼みならば」
 昭晶は夜鷹の手を握った。名残惜しいが、空は白くなっている。朝が来る。アルテリアもこれ以上待てないのか、夜鷹の元へと来た。何が起こったのか、賢者は既に分かっているようだ。
「ありがとう、夜鷹。この星は大切に使う」
「ああ。一緒にいた時間は忘れない」
 二人の手が離れる。昭晶は鬼と天女に囲まれた。彼らは王の帰還を喜んでいる。中心で恥ずかしそうに微笑む昭晶は、鬼の王としての顔となっていた。
「じゃあね、人間になった兄弟」
 アルテリアが指を振ると、全てが霧に包まれた。
 目を閉じ、開くと、目前には破壊された星宮があり、全て夢ではなかったことを物語っている。
 太陽が全てを照らしていた。
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