6章

 屋敷に夜廻たちが帰って来る。寧子はドロシーを待たずして動いた。彼らに渡さなければならないものがあった。
「みんな、これを」
 武器庫の壁に立てかけていたのはたくさんの弓だった。ドロシーと寧子で急いで作っていたまじないの弓だ。二人で草を潰し、弦に塗っていたのだ。
 だが、まじないの詳細が分かっていない夜廻たちは、受け取ったところでどうしたらいいか分からない。屋敷に集まった夜廻は武器を手にしても、すぐには動けなかった。
「だいたいは帰ってきたか」
 牛目が皆の前に立つ。
「まだだ。宮中の者たちが帰っていない」
 藤六が人数を見ているが、おそらく数十名はいなかった。早くに戻ってきた者から、宮中が壊滅的であることは聞いている。彼らも駄目かもしれないとは思ったが、口にはしなかった。
「しょうがない。帰ってきた者たちだけでいい。その弓を持って屋根に上がれ。門にも、櫓にも。四方の死角をなくせ。ここが砦だと思え。怪異に向かって弦を鳴らすんだ。先生はまだ帰ってこねえ。俺らだけでやるんだ」
 行け、と牛目が言うと、彼らはすぐに高いところへと上がっていった。
 鬼たちは夜廻の屋敷の周りにも集まっている。塀を壊そうとする者もいた。夜廻たちは一斉に弓を鳴らす。音は刃となり、怪異たちに襲いかかる。
 ぎゃっと悲鳴を上げると、耳を塞いで後ろに退く。
「効くぞ。もっとだ」
 矢を放ったわけでもなく、ただ弦を鳴らすだけで怪異たちは苦しんでいる。夜廻たちは休むことなく弦を鳴らした。
 だが、彼らは波のようにやってくる。
 牛目も屋根から様子を見るが、とめどなく襲ってくる鬼たちは、誰かに指揮されているようだった。
 門に立っていた者が叫んだ。
「先生が帰ってきた、道を作れ!」
 嘶きが聞こえてくる。門に立つ夜廻は必死になって鬼たちを追い払う。馬一頭がようやく通れるほどの道ができた。
 門の扉を開けるのと同時に、ドロシーが走り込んだ。
 おお、と夜廻たちが歓喜の声を上げる。
「先生!」
 牛目が屋根の上からドロシーを呼ぶ。
「これはどうなってるんだ。都はどうなってる」
 馬から降りたドロシーは、寧子に短く指示を出したあと、状況を説明する。
「簡単に言うと、異界と混ざってしまいました。都を破壊するよう、誰かが指示を出しています」
「市民たちは」
「都の外へ逃げようとしています。まだ都の外のほうが安全です。夜廻にしていただきたいのは、ここから安全圏を広げていくことです」
 寧子が桶を手にドロシーの元へ戻ってくる。中にはたっぷりの油が入っていた。
「これから魔除けの光を拡げていきます。手が開いている方は松明や燭台にこの油を染み込ませてください」
 牛目と藤六がすかさず指示をし、何人かが屋根から降りてくる。ちょうど屋敷に戻ってきた夜廻たちもその作業に加わる。
 油の臭いを嗅いだ者は、その強烈な臭いに鼻をつまんだ。
 いくつかの香草を漬けた油だった。どれも強い臭いを発するものだった。光は普通の松明とさほど変わらない。
 だが、怪異に向けると、彼らは目を覆った。
「これ、効くぞ!」
「さすが先生」
 夜廻たちは屋敷中の明かりにこのまじないの油を注いだ。
 波のように押し寄せてくる鬼は、徐々に少なくなってきていた。だが、ここだけ守っても意味がない。
 夜廻たちは屋敷の屋根から降り、外へ出て行った。
「先生、あそこに」
 寧子が空を指さす。そこにはアルテリアがいた。何をするわけでもなく、呆然と都を見下ろしている。
「彼は賢者です。ネコ、あなたは屋敷に。弦が切れた者が帰ってくるかもしれません。弓の補充を」
「はい」
 屋根に上がったドロシーはアルテリアの名を叫んだ。
 ドロシーに気付いた彼は、ゆらりと地上に降りてくる。
「まじない師。こんな状況で、諦めないのかい」
 その問いにドロシーは驚いてしまった。自分の知っている賢者が発する言葉ではなかったからだ。
「どうしたのですか、賢者ともあろう方が」
「わたしの法は、お母様に破られた。わたしは、お母様のために法を作ったんだよ。きみたちの国のためでもなく、わたしたちの国でもなく、お母様のためだったんだ。でも、お母様が昼と夜を混ぜてしまった。お母様の意思なんだ、これは」
「夜の女王が望んだのですか」
「そうだよ。ヨタカを求めてね。彼には昼の王の光が宿っている。お母様はそれが欲しいんだ。でもヨタカは人間だ。だったら境界を曖昧にしてしまえばいいって考えたんだろうね。この国の王は何をしているのか知らないけどさ」
 言われて気付く。
 そうだ、この国の王は――、星となり、大地を見守っていると言い伝えられている昼の国の王は、ただ見ているだけなのだろうか。
「……ですが、王を待つ時間はありません。賢者、あなたは、お母様の行いが正しいと認めるのですか」
 その問いを受けたアルテリアは唇を噛んだ。
 彼の中には、彼なりの答えがあるのだろう。だが、それを口にできないのだ。
 まじない師の言い伝えで、彼らがどういう存在なのかは知っている。星の子は母のために生を全うする。母の意思に反することはできないのだ。
「いいのですよ、間違いは間違いだと言って」
 ドロシーの言葉に、アルテリアは瞳を揺らす。
「ワタシも、故郷の人々に散々、反対されました。東の孤島など行くところではないと。文化も言葉も違う国など、滅んでもしょうがないのだと。でも、ワタシは行くと決めました。それがまじない師の使命だと思ったのです。結果として、ワタシの判断は正解でした。ここが潰れれば、この揺らぎは世界中に広まるでしょう。ですから、ここで食い止めなければいけないのです」
 それに、とドロシーは付け足す。
「あなたが作ってくれた法は、この世界に必要なものでした。あなたはずっと、正しいことをしてきているのです。これからの行いも、きっと、正しいことでしょう。あなたは夜の国の賢者なのですから」
 アルテリアは拳を握りしめた。
 手を開くと、いくつかの種が四方に散らばる。
「……しょうがないなあ。面倒だ。なんでわたしは賢者として生まれ落ちたんだろう」
 地面から太いツタが空に向かって成長していく。
 指を鳴らすとツタの間にツルが巻きひげを伸ばしながら網のように広がっていく。ツタとツルは無数に絡まり合い、天蓋となった。
 アルテリアはさらに種を撒き、天蓋を拡げていく。
 その見事な魔法に、ドロシーは拍手を贈った。
「境界を修復する。この中は安全だから、人間もここにいたらいい。お母様の強力な魔法に逆らうんだ。時間がかかるよ」
「どのくらいでしょうか」
「夜が明けるまでには終わらせたい」
「さすがです」
 ドロシーの言葉に、アルテリアはまんざらではない顔になった。本人は顔に出していないつもりなのだろうが。
2/5ページ
スキ