6章

 穏やかな星空は、恐怖の空へと変わっている。夜鷹もドロシーも、足をすくませた。
「俺が行ったからですか」
「いえ、それはないです。ヨタカが一番最初に夜の国に行った時に既にこうなっていないと説明がつきません。まじないで道を繋いだ時も大丈夫でした。あなたが帰ってくるまでは、普通の空でしたよ。誰かが意図的に引き起こしたと考えたほうがいいでしょう」
 空気が震えた。都を見ると、砕かれた木の柱が土埃と一緒に舞い上がっている。その埃の中に大きな影があった。空に頭がつきそうなほど巨大な何かがいる。夜の国の何者かに都が破壊されているのだ。
 すぐに戻ろうとドロシーに言うが、ドロシーはまず夜鷹が手にしているものを確認した。
 カンテラの光はあるかと尋ねられる。夜鷹は手にしていたカンテラを掲げた。蝋燭は少し短くなっているが、一晩はもつだろう。弓も問題ない。
「ヨタカはアキラを探すのでしょう。これはアキラがやったことだと考えていますよね」
「……はい」
「ワタシは夜廻に戻ります。夜廻たちにまじないを渡さなければなりません」
 走って都の門まで行くと、馬が暴れていた。大きな音に驚いて、ここまで逃げてきたのだ。鞍が取り付けられている。金の装飾が施されているあたり、宮中から逃げ出してきた馬のようだ。
 ドロシーは暴れる馬の手綱を取り、軽々と背に乗った。
「何かあれば、すぐまじないを使うのですよ!」
 馬を宥め、颯爽と走って行った。
 ドロシーを見送った後、すぐに宮中に向かった。まずは星宮だ。
 街の中は夜の国の住民たちで溢れていた。鬼や天女たちだ。彼らも何が起こっているのか理解できていないようで、人間に驚いて暴れていた。建物は彼らの爪で破壊され、人々は叫びながら逃げ回っている。
 その中には夜廻もいた。まじないを持たずに都の見回りに出ていたのだろう。鬼たちに刀を向け、人々の盾となっていた。
「夜鷹、なんだこれは!」
「屋敷に戻って、ドロシー先生からまじないをもらってください。今までの弓と刀では無理です」
「分かった。夜鷹はどうするんだ」
「宮へ行きます」
 そう答えると、夜廻は夜鷹を止めた。
「さっき、巨大な何かに潰されてたぞ。見なかったのか。木っ端微塵だぞ」
 彼が指さす方には、確かに巨大な何かがいる。山のような、岩の塊のような何かがゆっくりと動いている。腕が振り落とされるたびに、激しい音と共に土埃が舞っている。地面が揺れるほどの衝撃だ。
 あそこに昭晶がいるような気がする。
「行きます。俺はまじないを持ってるから」
 夜廻が自分を引き止めようと叫んだ。だが、夜鷹はもう足を止めない。
 逃げ惑う人々、暴れる鬼たちの間を掻い潜り、星宮の裏までたどり着く。
 まず最初に破壊されたのだろうか。あの厳かな星宮は破壊され、残骸が散らばっていた。地面がえぐれている。あの巨大な何かの足跡だ。
 火災も発生している。風が煙を運び、喉を焦がそうとしてくる。
 だが、その熱を孕んだ風が急に冷気へと変わった。夜鷹の背中を撫でた瞬間、ぞっと鳥肌が立つ。はっとして振り返る。そこには、あの地下牢の入口があった。
 風が次第に幼い子供の声へと変わっていく。すすり泣く声が耳にまとわりつく。飢えに苦しむ声、暴力に抗う声、自由を求める声が地下から溢れ出る。
 その声に乗り、ゆらりと現れたのは亡霊たちだった。
 どの顔も知っている。夜鷹の兄、姉、弟、妹――自由を夢見た同胞たち。地下で骨となってしまった兄弟たちだった。皮と骨だけになっても、ちゃんと分かる。共に孤児院で過ごした仲間たちだ。
「夜鷹」
 兄弟たちがゆらゆらと夜鷹を囲む。一人が夜鷹の手を掴んだ。その手は骨だけだった。あまりにも冷たく、硬い手だった。驚いた拍子にカンテラを地面に落としてしまう。蝋燭の光が消えると、兄弟たちは夜鷹にまとわりつく。
 髪にも、頬にも、腕にも足にも全てを掴み、ガクガクと揺らす。
「どうしておまえだけが」
「どうしておまえだけが」
 兄弟たちはその骨の手で、地下へ引きずり込もうとする。夜鷹は彼らの悲しみと恨みを全身に浴びていた。
 自分だけが助かって申し訳なかった。
 自分だけが夜廻の皆と幸せに暮らしていて申し訳なかった。
 彼らの言うとおりだ、自分は地下にいるべきだ。
 光を失った夜鷹は我を失っていた。
 夜鷹を引き止めるものはなく、足は自然と地下牢に向かっていた。
「おまえも共に死に、永遠にここで泣けばいい」
 香花の子供たちに自由はない。亡霊たちは泣き続けた。
 地下牢に入ろうとした時、夜鷹の足は階段を踏み外してしまった。転がり落ちる際、弓の弦が何度も鳴った。
 その音に夜鷹ははっとし、弓をしっかり握り、受け身を取った。一番下まで転がり落ちたのち、蹲ったまま大きく弦を弾いた。
 兄弟たちはぎゃっと悲鳴を上げ、夜鷹から距離を取る。
「ごめん、俺ばっかり」
 冷たく濡れた地面に額を擦り付けた。わずかに血のにおいがする。
 ここに響いた全ての音が反響して夜鷹に押し寄せてくる。亡霊たちは納得しない。どれだけ苦しかったか、どれだけ悲しかったか、口々に叫んでいる。
 夜鷹は叫んだ。
「俺だけ助かって、悪いと思ってる!」
 胸に温かい光が灯る。アルテリアに引っ張り出された時の強い光とは違い、穏やかな光だった。
 その光を握りしめ、顔を上げた。
「でも、行かせてほしい。行かないといけないんだ!」
 夜鷹の叫びと共に、光は段々と大きくなる。その眩しさに亡霊たちは怯んだ。
 もう一度、弦を弾くと、兄弟たちは泣きながら消えた。静かな地下牢へと戻っている。
 痛む身体に顔を歪ませながら立ち上がる。
 先程のは何だったのだろうか。夜と昼の境界が曖昧になっているから、生と死の境界も曖昧になっているのかもしれない。
 兄弟たちは死んでもなお、この地下に閉じ込められているのだろう。
「また来るよ」
 一度も弔ってもらっていない兄弟たちに、そう声をかけ、階段を駆け上がる。
 地上に戻り、宮中の状況を確認するが、大体が破壊されていた。瓦礫の下で息絶えている者もいた。助けを求める声も至る所から聞こえてくる。きっとその中には自分の兄弟たちもいるのだろう。
 昭晶がやったことだとは思いたくない。他の誰かであってほしいと願いながら、破壊を続けるものの元へと走る。
 それは巨人だった。岩の肌を持ち、背中は苔むしていた。額には小さな角があった。
 肩に何かが乗っている。夜色の衣がなびいていた。
 彼の前に夜鷹は躍り出る。弓を引き、叫ぶ。
「止まれ!」
 拳を振り上げた鬼がぴたりと動きを止めた。その拳が地面につくと、地面が揺れる。
 彼は鬼の肩に立っていた。
「夜鷹」
 歪んだ笑みを浮かべた昭晶が軽々と肩から飛び降りる。
「ここにいた。探したよ」
「探すだけなら、こんなに壊さなくてもいいはずだ」
 昭晶が一歩足を踏み出す。夜鷹はより強く弓を引く。
「世界を混ぜれば、新しい国になるだろう。だから、ここは壊した。新たな宮を造ればいいからね」
「違う。ただの八つ当たりだ」
 昭晶の歩みが止まった。笑みが消える。
「お前は誰だ。昭晶じゃないな」
 そう告げた瞬間、昭晶は腹を抱えて笑った。
 その笑い声は徐々に甲高い女のものへと変わる。だが、夜鷹は動じない。
「わたしを忘れたのか。ならば思い出させてあげよう!」
 夜色の衣が大きく膨れ上がり、夜鷹を飲み込んだ。
 闇に飲まれる瞬間、夜鷹は昭晶に手を伸ばしたが、その手は闇だけを掴んだ。
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