5章

「夜の国と昼の国を混ぜてしまえばいいのです」
 夜の国の女王は、昭晶の耳にそう囁いた。甘美なその囁きに、昭晶はすぐに頷きそうになってしまう。
 だが、それが禁忌であることは分かっている。人間を連れてきてはいけない理由も、昼の国に行ってはいけない理由も、すべては国の維持のためだ。
 だが、その母本人が、禁忌を望んでいる。そこまでする理由が昭晶には分からなかった。
「あの子は人間だったのでしょう。私の可愛い子でいながら、人間になってしまった。ならば、昼の国をこちらに混ぜてしまえばいい。あなたの願いも叶います」
「でも。そうしたら」
 人間は無力だ。地上を這いつくばり、生きていくことしかできない。
 鬼になって、自分でも驚くほどの力を手に入れた。エルフの強力な魔法も目の前で見た。
 天女の怪しげな術も見た。どれも、人間にはない力だ。
 彼らの前に晒された人間はどうなるだろう。自分たち夜の国の住民に蹂躙されてもおかしくない。
 自分の民は怪力なだけで、もともとは温厚な民だ。東の孤島で自分たちの国を築き、天女と共存しながら穏やかに暮らしている。だが、力があることに驕り高ぶる者がいるのも事実だ。今は囚われの身となっている南河や織のように、昼の国で人間にいたずらをしている者もいた。戻ってきたばかり、王となったばかりの自分が彼らをまとめられる自信もない。
 宮中の人間に特別な思いはないが、夜鷹が宮中から自分を連れ出し、少しだけ見せてくれた。
 仕事を終え楽しそうに酒を煽っている大人たち。夜鷹と食べた簡単な粥。星空の見える丘。
 夜鷹が好きな場所ばかりだった。彼が好きだと思うところに自分は連れて行ってもらっていた。
 夜鷹は人間として、夜廻として、あの世界で生きている。
 女王の望むままにすれば、夜鷹の好きなものも、人も、場所も、失ってしまうかもしれない。それは昭晶の望むことではなかった。
 どうしても連れてきたい気持ちはあった。だが、冷静になればなるほど、それが夜鷹の思いを無視した、あまりにも自分勝手な行動だったということに気付く。星に戻してしまおうとしたアルテリアのほうが正しいのだと今なら思う。
「母上。わたしは……そこまでして、夜鷹と共にいることは願いません」
「なぜ。あの子はあなたの兄弟。双子と言ってもいいほど、近くで輝いていた星です。一緒にいたくはないのですか」
「共にいたいです。彼はわたしの心の支えでした。孤独だったわたしに外の世界を見せてくれた恩人です。ずっとそばにいてほしかった。でもそれはわたしだけの気持ち。彼に押し付けるものではありません。母上のしようとしていることは、間違いです」
 はっきりそう言うと、女王の身体が大きく膨らんだ。顔を背け、背を丸め、肩を震わせている。
 空に輝く星々が徐々に赤く光り始めた。
「なぜです。なぜ我が子は、私を否定するのですか。なぜ私の元から去ろうとするのです」
 昭晶の足が一歩下がった。
「嫌です。私は嫌です。嫌だ。認めません。皆、私の空の中にいるべきです」
 はち切れんばかりの身体を捻じ曲げ、女王は昭晶の顔を見た。
 怒りに歪んだ仮面の顔が昭晶に向かって飛んでくる。その顔を受け止めようとするものの、昭晶の腕にどろどろの闇が巻き付いてくる。
「私はあの子がほしい」
 仮面が割れ、巨大な口が開いた。昭晶はその口にまるごと食われてしまう。
 母の体内は、懐かしい空のようだった。
 薄れゆく意識の中で、昭晶は思い出す。
 夜鷹はずっと昼の国に憧れていた。生まれた時から、夜鷹は昼の国ばかりを夢見ていた。
 ずっと昼の国に一緒に行こうと誘われていた。その誘いに乗ったのは、自分の意思だった。
 生まれ落ちる場所を間違えたのではない。自分も昼の国に憧れ、自分の意思で行ったのだ。
 全ては自分の行いが招いたこと。自分も行くだなんて言わなければ夜鷹は昼の国に一人で行こうなんて思わなかったのかもしれない。自分が夜の国に残って、夜鷹を失った母をそばで慰めていれば、こうはならなかったのかもしれない。王宮もこんな怪異を養う必要はなかったかもしれない。
 そもそも、最初から自分なんていなければよかったのだ。
 そう思った瞬間、女王の闇が体内に入り込んでくる感覚に襲われた。
 最後は母に利用されて終わるのだろう。
 胸の中にある星の石が砕けた音が、虚しく闇の中で響いた。
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