1章
「今日から、星宮 で王子の護衛をすることになるから、よろしく」
「は?」
日が傾き始めた頃、部屋の中央に座る少女に突然そのように言われた。中庭からも見えるその部屋は、事務室として使われている。
机の上には大きな地図がある。都の地図だ。美津穂国の王都である。碁盤の目のように道が張り巡らされ、南には大きな港を構えた都だ。
各所には名札が置かれている。夜鷹 の名札は、地図のほぼ中央に置かれていた。中央には、王やその家族が住まう立派な屋敷が並んでいる。ここを人々は宮と呼んだ。
「夜鷹が、星宮の警備につくの」
「ちょっと待ってくれよ寧子 。頭領はなんて言ってんの?」
筆を置き、寧子は立ち上がった。緋色の袴を蹴って、ずいずいと夜鷹の方へとやってくる。中庭に吹き込んだ風が、背中まである長い黒髪を巻き上げた。
「お父様が、そのように決めたの。私が決めたわけじゃない。文句があるなら、お父様に言ってよ」
手をひらひらと振り、寧子は部屋を後にしてしまった。
「いや、文句があるわけじゃないんだけど」
納得ができないだけだ。困ったように、頬を掻いた。
夜鷹の仕事は夜の警備である。武士の集団である夜廻に所属している。
夜廻は、王都で生活をしている貴族たちが、自衛のために武士を雇ったところからはじまる。
もともと王都には浮浪者が多くいたのだが、治安維持のために貴族が彼らを安価で雇い、武器を与え、武士として育てた。最初は各々の家で雇われていた武士だが、次第に力をつけ、いくつかの集団を作っていった。夜廻はその名の通り、夜の警備を専門とする組織である。一応は自警団としての集団だ。貴人からの依頼にも、市民からの依頼にも応える。
そういう歴史があり、夜廻に所属する男たちは、基本的に家庭を持っていない。その日をなんとか生きるためにここで働くという者も多かった。
夜鷹も家族を持たない。夜廻に来る前は、王家が運営する孤児院にいた。
赤子の頃、王都の道端に捨てられていたらしい。夜鷹を拾ってくれたのは夜廻なのだと育ての母から教えられている。夜鷹の名前もそこからつけられたらしい。運よく夜廻に拾われ、夜目が利く、夜の子なのだと母から言われていた。
孤児院にはいつまでもいられない。成人すれば出て行かなければならなかった。将来を考えたとき、思い出したのは夜廻のことだった。自分を拾ってくれた夜廻に恩を返そうと考え、十四で住まいを夜廻が住む長屋に変え、ここで働くことにしたのである。
それから一年、ここで稽古をつけてもらった。戦う術を身につけ、夜廻として都を巡回するようになったのは数ヶ月前のことである。
「随分と早い出世だなあ」
後ろからがっと頭を掴まれる。それからわしゃわしゃと撫でられた。
振り返ると、朗らかに笑う先輩がいた。藤六である。二十代後半の屈強な男で、夜廻の中で一番に武器の扱いが上手い。夜鷹に武術を教え込んだのも彼だ。
「訳が分からないです。俺より強い人は他にいますよね。先輩こそ適任じゃないんですか」
「俺もな、何日か行ったんだよ。星宮。でも駄目だ。別に人がいいと言われてしまったよ。もっと若い人がいいってな。話し相手が欲しいんじゃないか?」
「それ、夜廻である必要は」
「ないと言えばないが。まあいいじゃないか。お前は夜目が利く。身のこなしもいいし、何の問題もない。牛目もそう考えたから、そうなったんじゃないか」
夜廻の頭であり、寧子の父である牛目は、赤子だった夜鷹を拾った本人だ。そういう事情があり、彼が言う事には何があっても逆らえない。
もう一度、地図を見る。何度見直しても、自分の名札は、宮中にあった。行くしかない。
他の夜廻たちも寧子が準備した地図を見て、今晩の動きを確認したのち、順に持ち場へと行く。
一応、頭領の場所も見る。やはり宮殿の中央、王の寝室前にいるようだ。彼は藤六と番をするようだ。
これから夜鷹が向かう星宮は、王の住まいから一番離れていた。他の王子たちが住まう宮はもっとまとまっているのに、星宮だけがぽつんと離れている。まるで、家族を避けるかのように。
夜鷹は王族のことは何も知らない。知っているのは、育ての母である香花だけである。王の兄弟の一人のようだが、それ以外のことは何も知らない。何番目なのかも知らないし、どうして孤児院を経営しているのかも知らない。聞いてはならないのだという雰囲気があった。
母のことはよく知らないが、それでも母は子供たちに優しかった。王族という身分ゆえに常に孤児院にいたわけではないが、院に顔を出したときは分け隔てなく接してくれたし、母と思えるだけのことはしてもらえた。笑えば笑い返してくれたし、いたずらをすれば怒りもしてくれた。愛情というものを教えてくれた。
そういう人がいる一族なのに、これから自分が向かう先にいる王子は、地図上では孤立していた。それが不思議だった。
不思議に思うことといえば、あと二つある。
夜に眠りについているのならば、話し相手はいらないはずだ。寝ているだけなのだから。
王子は夜に眠らないのだろうか。
そして、もう一人、組となる夜廻がいないのも不思議だった。基本は二人一組で番をすることになっている。一人でやれということなのだろうか。夜廻としてまともに働けるようになったのは数ヶ月前だというのに。
考えながら歩いていると、宮の前の門で足止めされた。夜鷹の顔を見た門番は怪訝な顔をしている。
「用は」
「夜廻です。星宮の警備で来ました。夜鷹と申します」
夜廻の基本装備である弓と刀を見せた。
「若いな。いくつだ」
「十五」
「成人すらしてないじゃないか」
「疑うなら、頭領を呼んでください。頭領からの指名です」
一瞬悩んだ門番だったが、すぐに通してくれた。これが別の宮だったら、そうはいかなかっただろう。離れにある星宮だから入れてくれた可能性がある。
門を入ると、ふわりと花の香りがした。庭から香ってくる。春になり、様々な花が蕾を開かせていた。
女官たちが回廊の燭台に火を灯して回っている。ここは明るい。夜廻も要らないほどに。
だが、奥に入れば入るほど、明かりは減っていった。
星宮と呼ばれる所以はそこにあった。明かりがないから、星空がよく見える。意図的に灯火を少なくしているのだろうか。
建物自体も他と比べると小さかった。最低限のものしかなさそうな宮である。
夜鷹は王子のいる部屋の前に膝をついた。
御簾が降ろされていて、中が見えない。
「今晩、こちらの警備を担当します、夜廻の夜鷹です」
貴人につく際の挨拶を教えられた通りにしたものの、反応がない。困っていると、隣に誰かが腰をおろした。
「同じく、夜廻の寧子です。夜鷹も私も、星宮様と同じ十五です。私たち、こちらにおりますので、何かございましたら、声をかけてくださいませ」
「ね、」
驚いた夜鷹が口を開こうとすると、寧子はシッと人差し指を口に当てた。
「それでは、よろしくお願いします」
聞きたいことは色々とあるが、先に挨拶は終わらせなければならない。二人そろって頭を下げた。
「は?」
日が傾き始めた頃、部屋の中央に座る少女に突然そのように言われた。中庭からも見えるその部屋は、事務室として使われている。
机の上には大きな地図がある。都の地図だ。美津穂国の王都である。碁盤の目のように道が張り巡らされ、南には大きな港を構えた都だ。
各所には名札が置かれている。
「夜鷹が、星宮の警備につくの」
「ちょっと待ってくれよ
筆を置き、寧子は立ち上がった。緋色の袴を蹴って、ずいずいと夜鷹の方へとやってくる。中庭に吹き込んだ風が、背中まである長い黒髪を巻き上げた。
「お父様が、そのように決めたの。私が決めたわけじゃない。文句があるなら、お父様に言ってよ」
手をひらひらと振り、寧子は部屋を後にしてしまった。
「いや、文句があるわけじゃないんだけど」
納得ができないだけだ。困ったように、頬を掻いた。
夜鷹の仕事は夜の警備である。武士の集団である夜廻に所属している。
夜廻は、王都で生活をしている貴族たちが、自衛のために武士を雇ったところからはじまる。
もともと王都には浮浪者が多くいたのだが、治安維持のために貴族が彼らを安価で雇い、武器を与え、武士として育てた。最初は各々の家で雇われていた武士だが、次第に力をつけ、いくつかの集団を作っていった。夜廻はその名の通り、夜の警備を専門とする組織である。一応は自警団としての集団だ。貴人からの依頼にも、市民からの依頼にも応える。
そういう歴史があり、夜廻に所属する男たちは、基本的に家庭を持っていない。その日をなんとか生きるためにここで働くという者も多かった。
夜鷹も家族を持たない。夜廻に来る前は、王家が運営する孤児院にいた。
赤子の頃、王都の道端に捨てられていたらしい。夜鷹を拾ってくれたのは夜廻なのだと育ての母から教えられている。夜鷹の名前もそこからつけられたらしい。運よく夜廻に拾われ、夜目が利く、夜の子なのだと母から言われていた。
孤児院にはいつまでもいられない。成人すれば出て行かなければならなかった。将来を考えたとき、思い出したのは夜廻のことだった。自分を拾ってくれた夜廻に恩を返そうと考え、十四で住まいを夜廻が住む長屋に変え、ここで働くことにしたのである。
それから一年、ここで稽古をつけてもらった。戦う術を身につけ、夜廻として都を巡回するようになったのは数ヶ月前のことである。
「随分と早い出世だなあ」
後ろからがっと頭を掴まれる。それからわしゃわしゃと撫でられた。
振り返ると、朗らかに笑う先輩がいた。藤六である。二十代後半の屈強な男で、夜廻の中で一番に武器の扱いが上手い。夜鷹に武術を教え込んだのも彼だ。
「訳が分からないです。俺より強い人は他にいますよね。先輩こそ適任じゃないんですか」
「俺もな、何日か行ったんだよ。星宮。でも駄目だ。別に人がいいと言われてしまったよ。もっと若い人がいいってな。話し相手が欲しいんじゃないか?」
「それ、夜廻である必要は」
「ないと言えばないが。まあいいじゃないか。お前は夜目が利く。身のこなしもいいし、何の問題もない。牛目もそう考えたから、そうなったんじゃないか」
夜廻の頭であり、寧子の父である牛目は、赤子だった夜鷹を拾った本人だ。そういう事情があり、彼が言う事には何があっても逆らえない。
もう一度、地図を見る。何度見直しても、自分の名札は、宮中にあった。行くしかない。
他の夜廻たちも寧子が準備した地図を見て、今晩の動きを確認したのち、順に持ち場へと行く。
一応、頭領の場所も見る。やはり宮殿の中央、王の寝室前にいるようだ。彼は藤六と番をするようだ。
これから夜鷹が向かう星宮は、王の住まいから一番離れていた。他の王子たちが住まう宮はもっとまとまっているのに、星宮だけがぽつんと離れている。まるで、家族を避けるかのように。
夜鷹は王族のことは何も知らない。知っているのは、育ての母である香花だけである。王の兄弟の一人のようだが、それ以外のことは何も知らない。何番目なのかも知らないし、どうして孤児院を経営しているのかも知らない。聞いてはならないのだという雰囲気があった。
母のことはよく知らないが、それでも母は子供たちに優しかった。王族という身分ゆえに常に孤児院にいたわけではないが、院に顔を出したときは分け隔てなく接してくれたし、母と思えるだけのことはしてもらえた。笑えば笑い返してくれたし、いたずらをすれば怒りもしてくれた。愛情というものを教えてくれた。
そういう人がいる一族なのに、これから自分が向かう先にいる王子は、地図上では孤立していた。それが不思議だった。
不思議に思うことといえば、あと二つある。
夜に眠りについているのならば、話し相手はいらないはずだ。寝ているだけなのだから。
王子は夜に眠らないのだろうか。
そして、もう一人、組となる夜廻がいないのも不思議だった。基本は二人一組で番をすることになっている。一人でやれということなのだろうか。夜廻としてまともに働けるようになったのは数ヶ月前だというのに。
考えながら歩いていると、宮の前の門で足止めされた。夜鷹の顔を見た門番は怪訝な顔をしている。
「用は」
「夜廻です。星宮の警備で来ました。夜鷹と申します」
夜廻の基本装備である弓と刀を見せた。
「若いな。いくつだ」
「十五」
「成人すらしてないじゃないか」
「疑うなら、頭領を呼んでください。頭領からの指名です」
一瞬悩んだ門番だったが、すぐに通してくれた。これが別の宮だったら、そうはいかなかっただろう。離れにある星宮だから入れてくれた可能性がある。
門を入ると、ふわりと花の香りがした。庭から香ってくる。春になり、様々な花が蕾を開かせていた。
女官たちが回廊の燭台に火を灯して回っている。ここは明るい。夜廻も要らないほどに。
だが、奥に入れば入るほど、明かりは減っていった。
星宮と呼ばれる所以はそこにあった。明かりがないから、星空がよく見える。意図的に灯火を少なくしているのだろうか。
建物自体も他と比べると小さかった。最低限のものしかなさそうな宮である。
夜鷹は王子のいる部屋の前に膝をついた。
御簾が降ろされていて、中が見えない。
「今晩、こちらの警備を担当します、夜廻の夜鷹です」
貴人につく際の挨拶を教えられた通りにしたものの、反応がない。困っていると、隣に誰かが腰をおろした。
「同じく、夜廻の寧子です。夜鷹も私も、星宮様と同じ十五です。私たち、こちらにおりますので、何かございましたら、声をかけてくださいませ」
「ね、」
驚いた夜鷹が口を開こうとすると、寧子はシッと人差し指を口に当てた。
「それでは、よろしくお願いします」
聞きたいことは色々とあるが、先に挨拶は終わらせなければならない。二人そろって頭を下げた。