4章
夜鷹の身体が回復するのと同時に、夜廻の屋敷の中に小さな小屋が建てられた。
ドロシーの研究室である。
彼女を守るためにも住まいを夜廻に移したほうがいいという話になった。
ここに越す際に、ドロシーは山程の草や花を持ってきた。海向こうから取り寄せたものもあれば、この国で採れるものもあるようだ。
夜鷹の治療が終われば、彼女はこの研究室と武器庫を往復するようになった。夜廻が使う武器にまじないを施したいということだった。だが、まだまじないの構想を練り、試作品を作る段階で、完成には至っていない。
藤六との稽古は続けているが、まだ外に出ることは許されていない夜鷹は、毎晩、屋敷の屋根に登り、周辺の見守りをしていた。
月が満ち欠けていくのを、黙ってここから見ていると、焦りが出てくる。昭晶は一体どうなっているのか。アルテリアはどうしているのだろうか。
「ヨタカ」
下から声をかけられ、屋根から見下ろした。ドロシーが矢を手にしている。
「少し、試してもらいたいものが」
「降ります」
飛び降りると、ドロシーがすごい、と手を叩いた。
「弦に魔よけの草の汁を塗りマシた。通常の弓と同じように矢を放てるかどうか、確かめてもらえませんか」
「やってみます」
弦をはじいてみる。少し張りが強い。矢筒から一本取り出し、稽古用の的に向けて一本打った。
矢は中心からやや外れたところに突き刺さる。
もう一本打ってみて、夜鷹はドロシーに矢を返した。
「特に問題はないと思います。いつもより張りがあるな、くらいですかね。慣れていない先生が自分で張ったからだと思います。俺たちが自分でやれば、普通の弓です」
「そうですか。では、もう少し強いまじないに変えてみます。邪魔をしました。ありがとうございます」
ドロシーから草の青臭さを感じる。あの小屋の中でたくさんの草を潰しているのだろう。
彼女曰く、人によって、得意とするまじないが違うのだという。
石を使うのが得意な者、言葉を使うのが得意な者、楽器を使うのが得意な者。それぞれ、得意分野でのまじないを生み出し、活用するのがまじない師なのだという。
ドロシーは草花のまじないを得意とするまじない師だった。前にドロシーから受け取った石は、故郷で石を得意とする者に教わっていたものだという。教え合いながらまじない師たちはまじないを増やしているのだそうだ。
一つのことを極めるのはすごいことだ。尊敬に値する。
屋根の上に戻った夜鷹は、空を見上げた。今日は新月。星がひときわ強く輝く。
いつまでも、ここで守ってもらっているだけではいけない。藤六ほど強くなって、自分の身は自分で守れるようにしたかった。
瓦の上で寝そべり、天を仰いだ。
北極星が瞬いたと思ったその時、目に強い光が突き刺さる。
視界が元に戻るには、少し時間がかかった。急いで屋根から降り、夜廻たちに声をかけるが、皆その場に倒れている。近くの夜廻の肩を揺さぶったが、返事がない。意識を失うというより、眠っているようだ。
あの強い光は――。
夜鷹は急いでドロシーの元に向かった。だが、彼女も例外ではなく、その場で眠ってしまっている。手には潰しかけている草があった。
「寧子、寧子!」
屋敷の中にいた寧子を揺さぶっても、まったく起きない。
夜鷹は屋敷の外へと出た。向かうのは、星宮だ。
あの強い光を知っている。あれは夜の国の住民が放つ、魔の光だ。ならば、昭晶が共にいるかもしれない。
都は静かだった。誰も、今起こったことで騒いでいない。それもそうだ。誰もが倒れている。眠っていた。この都が眠らされていたのだ。
宮へは簡単に侵入できた。そのまま、星宮へ走る。
「昭晶!」
人が立っていた。あれは絶対に、昭晶だ。纏っている夜色の衣も、風になびく艶やかな髪も。夜鷹は彼に駆け寄ろうとしたが、その足が止まる。
彼の足元に、誰かが倒れている。
香花だ。
「夜鷹」
その声を聞いて、夜鷹は泣きそうになる。だが、目の前で起きていることを信じられない自分がいた。
「これでわたしたちは自由だ。目を潰したから」
香花はぴくりとも動かない。だが、瞼から涙のように血が流れている。昭晶は彼女の腹を蹴り、満足そうに笑みを浮かべた。
「昭晶、それは」
昭晶は自分の額に手を伸ばした。慈しむように撫でる。その手には、香花の血がついていた。
「わたしは言ったな。ここの者たちは、皆、わたしを鬼のように扱っていたと。それは、本当だった。わたしは、もとから、向こうの住民だった。正しい姿に戻っただけだ」
「それは……鬼たちに騙されているんじゃ……」
「夜鷹まで、わたしのことを信じないと言うのか。この角を見てもなお、信じてくれないのか」
その覇気に、夜鷹は一歩後ずさった。昭晶が静かに歩み寄ってくる。
「夜鷹にも見せにきた。夜鷹が夜の子だというのを。見れば信じる。見てほしい。共に向こうへ行こう」
まばゆい光と共に天女が昭晶の元へ降りてくる。都を眠りにつかせた魔の光は彼女のものだった。
彼女から大きな鏡を受け取った昭晶が、夜鷹に鏡面を向けようとした瞬間、聞き慣れた音が響いた。
弦を弾く音だ。昭晶は顔を歪める。
「それ以上近寄るな、夜の者ども」
夜鷹と昭晶の間に躍り出たのは、ドロシーだ。
手には、先程の弓がある。矢は持っていないが、昭晶に向かって弓を引いていた。
「あなたが、ヨタカの言っているアキラですか」
天女が昭晶を庇おうと出ようとするが、彼はそれを止めた。
「そうだ。お前は、寧子の師だな」
天女が顔を歪ませる。
「王、彼女はまじない師です。術が効きません」
「魔よけの草を手に持っていてよかったです。すぐ目覚めることができました。あなたの術は相当強い。草を噛まなければ立っていられません」
ドロシーは弓を引いたまま質問する。
「一つ尋ねてよいですか。エルフの王は、あなたを夜の者とみなしたのですか」
「アルテリアはわたしの兄弟だ。快く迎えてくれたよ。次はわたしが夜鷹を迎え入れる番。弓を降ろせ」
昭晶が一歩踏み出した瞬間、ドロシーは弦を離す。
驚いた昭晶は自分の頬を触った。見えない矢が掠めたのか、一筋の傷ができている。
「夜鷹は人間です。連れて行くことは許せません。賢者が作った法でそのように定められているはず」
「そんなはずない。一度でいい。一度でいいから、見てほしい。夜鷹は今ここに立っている。眠っていないのが証拠だ。きっと夜鷹にも角が――」
ドロシーがもう一度弦をはじくと、昭晶は顔をしかめた。不快な音に身体が退こうとする。
昭晶は地を蹴り、一瞬にして夜鷹の目の前に立った。ドロシーが振り返るより早く、鏡を夜鷹に見せた。
夜鷹は鏡をじっと見る。そして、首を横に振った。
「俺に、同じような角はないよ」
「そんなはず……」
ドロシーが昭晶の背に向けて弦を弾く前に、天女が動く。昭晶を抱きかかえて空を飛んだ。
「鏡がそう映すのなら、そうなのでしょう。彼は人間です」
「だが!」
天女の手を振りほどき、もう一度、鏡を見せてくる。
夜鷹は思わず鏡を手に取った。
「わたしと共に空を飛んだのは夜鷹だ。見ろ、わたしと共に、母の空から落ちたのを。夜鷹は絶対に、星の子なのだ。夜鷹が人間なのは、何かの間違いだ!」
鏡の中に映し出されるのは、二つ寄り添いながら落ちてくる流星。
この国の上空を通った時、星は勢いをなくし、真っ逆さまに落ちていく。一つは宮中へ、もう一つは暗い道端へと落ちていく。
拾ったのは、宮中で祈祷している女と、夜廻となったばかりの牛目。
昭晶は鏡を持ったまま立ち尽くす夜鷹を揺さぶる。
「夜鷹、思い出せ。わたしたちは、元は兄弟だった。元は母の空で瞬く星だった。わたしたちは隣り合って輝いていたじゃないか。わたしたちは、落ちる場所を間違えたのだ!」
ドロシーが弦を弾いた瞬間、天女が鏡を奪い取り、昭晶を抱えて高く飛び立った。
天女の散らす光の粒が夜鷹とドロシーに降り注ぐ。彼らはそのまま国へと帰っていった。
「ヨタカ。しっかり」
呆然とする夜鷹の肩をドロシーが揺さぶる。
「先生。昭晶は嘘は言ってなかった。俺は……」
「落ち着いて。一度帰りましょう。皆を目覚めさせなければ」
ドロシーに肩を抱かれながら、夜鷹は歩き始めた。
香花も意識を取り戻したのか、目を押さえて雄叫びを上げた。
だが、夜鷹が彼女に手を差し伸べることはなかった。
ドロシーの研究室である。
彼女を守るためにも住まいを夜廻に移したほうがいいという話になった。
ここに越す際に、ドロシーは山程の草や花を持ってきた。海向こうから取り寄せたものもあれば、この国で採れるものもあるようだ。
夜鷹の治療が終われば、彼女はこの研究室と武器庫を往復するようになった。夜廻が使う武器にまじないを施したいということだった。だが、まだまじないの構想を練り、試作品を作る段階で、完成には至っていない。
藤六との稽古は続けているが、まだ外に出ることは許されていない夜鷹は、毎晩、屋敷の屋根に登り、周辺の見守りをしていた。
月が満ち欠けていくのを、黙ってここから見ていると、焦りが出てくる。昭晶は一体どうなっているのか。アルテリアはどうしているのだろうか。
「ヨタカ」
下から声をかけられ、屋根から見下ろした。ドロシーが矢を手にしている。
「少し、試してもらいたいものが」
「降ります」
飛び降りると、ドロシーがすごい、と手を叩いた。
「弦に魔よけの草の汁を塗りマシた。通常の弓と同じように矢を放てるかどうか、確かめてもらえませんか」
「やってみます」
弦をはじいてみる。少し張りが強い。矢筒から一本取り出し、稽古用の的に向けて一本打った。
矢は中心からやや外れたところに突き刺さる。
もう一本打ってみて、夜鷹はドロシーに矢を返した。
「特に問題はないと思います。いつもより張りがあるな、くらいですかね。慣れていない先生が自分で張ったからだと思います。俺たちが自分でやれば、普通の弓です」
「そうですか。では、もう少し強いまじないに変えてみます。邪魔をしました。ありがとうございます」
ドロシーから草の青臭さを感じる。あの小屋の中でたくさんの草を潰しているのだろう。
彼女曰く、人によって、得意とするまじないが違うのだという。
石を使うのが得意な者、言葉を使うのが得意な者、楽器を使うのが得意な者。それぞれ、得意分野でのまじないを生み出し、活用するのがまじない師なのだという。
ドロシーは草花のまじないを得意とするまじない師だった。前にドロシーから受け取った石は、故郷で石を得意とする者に教わっていたものだという。教え合いながらまじない師たちはまじないを増やしているのだそうだ。
一つのことを極めるのはすごいことだ。尊敬に値する。
屋根の上に戻った夜鷹は、空を見上げた。今日は新月。星がひときわ強く輝く。
いつまでも、ここで守ってもらっているだけではいけない。藤六ほど強くなって、自分の身は自分で守れるようにしたかった。
瓦の上で寝そべり、天を仰いだ。
北極星が瞬いたと思ったその時、目に強い光が突き刺さる。
視界が元に戻るには、少し時間がかかった。急いで屋根から降り、夜廻たちに声をかけるが、皆その場に倒れている。近くの夜廻の肩を揺さぶったが、返事がない。意識を失うというより、眠っているようだ。
あの強い光は――。
夜鷹は急いでドロシーの元に向かった。だが、彼女も例外ではなく、その場で眠ってしまっている。手には潰しかけている草があった。
「寧子、寧子!」
屋敷の中にいた寧子を揺さぶっても、まったく起きない。
夜鷹は屋敷の外へと出た。向かうのは、星宮だ。
あの強い光を知っている。あれは夜の国の住民が放つ、魔の光だ。ならば、昭晶が共にいるかもしれない。
都は静かだった。誰も、今起こったことで騒いでいない。それもそうだ。誰もが倒れている。眠っていた。この都が眠らされていたのだ。
宮へは簡単に侵入できた。そのまま、星宮へ走る。
「昭晶!」
人が立っていた。あれは絶対に、昭晶だ。纏っている夜色の衣も、風になびく艶やかな髪も。夜鷹は彼に駆け寄ろうとしたが、その足が止まる。
彼の足元に、誰かが倒れている。
香花だ。
「夜鷹」
その声を聞いて、夜鷹は泣きそうになる。だが、目の前で起きていることを信じられない自分がいた。
「これでわたしたちは自由だ。目を潰したから」
香花はぴくりとも動かない。だが、瞼から涙のように血が流れている。昭晶は彼女の腹を蹴り、満足そうに笑みを浮かべた。
「昭晶、それは」
昭晶は自分の額に手を伸ばした。慈しむように撫でる。その手には、香花の血がついていた。
「わたしは言ったな。ここの者たちは、皆、わたしを鬼のように扱っていたと。それは、本当だった。わたしは、もとから、向こうの住民だった。正しい姿に戻っただけだ」
「それは……鬼たちに騙されているんじゃ……」
「夜鷹まで、わたしのことを信じないと言うのか。この角を見てもなお、信じてくれないのか」
その覇気に、夜鷹は一歩後ずさった。昭晶が静かに歩み寄ってくる。
「夜鷹にも見せにきた。夜鷹が夜の子だというのを。見れば信じる。見てほしい。共に向こうへ行こう」
まばゆい光と共に天女が昭晶の元へ降りてくる。都を眠りにつかせた魔の光は彼女のものだった。
彼女から大きな鏡を受け取った昭晶が、夜鷹に鏡面を向けようとした瞬間、聞き慣れた音が響いた。
弦を弾く音だ。昭晶は顔を歪める。
「それ以上近寄るな、夜の者ども」
夜鷹と昭晶の間に躍り出たのは、ドロシーだ。
手には、先程の弓がある。矢は持っていないが、昭晶に向かって弓を引いていた。
「あなたが、ヨタカの言っているアキラですか」
天女が昭晶を庇おうと出ようとするが、彼はそれを止めた。
「そうだ。お前は、寧子の師だな」
天女が顔を歪ませる。
「王、彼女はまじない師です。術が効きません」
「魔よけの草を手に持っていてよかったです。すぐ目覚めることができました。あなたの術は相当強い。草を噛まなければ立っていられません」
ドロシーは弓を引いたまま質問する。
「一つ尋ねてよいですか。エルフの王は、あなたを夜の者とみなしたのですか」
「アルテリアはわたしの兄弟だ。快く迎えてくれたよ。次はわたしが夜鷹を迎え入れる番。弓を降ろせ」
昭晶が一歩踏み出した瞬間、ドロシーは弦を離す。
驚いた昭晶は自分の頬を触った。見えない矢が掠めたのか、一筋の傷ができている。
「夜鷹は人間です。連れて行くことは許せません。賢者が作った法でそのように定められているはず」
「そんなはずない。一度でいい。一度でいいから、見てほしい。夜鷹は今ここに立っている。眠っていないのが証拠だ。きっと夜鷹にも角が――」
ドロシーがもう一度弦をはじくと、昭晶は顔をしかめた。不快な音に身体が退こうとする。
昭晶は地を蹴り、一瞬にして夜鷹の目の前に立った。ドロシーが振り返るより早く、鏡を夜鷹に見せた。
夜鷹は鏡をじっと見る。そして、首を横に振った。
「俺に、同じような角はないよ」
「そんなはず……」
ドロシーが昭晶の背に向けて弦を弾く前に、天女が動く。昭晶を抱きかかえて空を飛んだ。
「鏡がそう映すのなら、そうなのでしょう。彼は人間です」
「だが!」
天女の手を振りほどき、もう一度、鏡を見せてくる。
夜鷹は思わず鏡を手に取った。
「わたしと共に空を飛んだのは夜鷹だ。見ろ、わたしと共に、母の空から落ちたのを。夜鷹は絶対に、星の子なのだ。夜鷹が人間なのは、何かの間違いだ!」
鏡の中に映し出されるのは、二つ寄り添いながら落ちてくる流星。
この国の上空を通った時、星は勢いをなくし、真っ逆さまに落ちていく。一つは宮中へ、もう一つは暗い道端へと落ちていく。
拾ったのは、宮中で祈祷している女と、夜廻となったばかりの牛目。
昭晶は鏡を持ったまま立ち尽くす夜鷹を揺さぶる。
「夜鷹、思い出せ。わたしたちは、元は兄弟だった。元は母の空で瞬く星だった。わたしたちは隣り合って輝いていたじゃないか。わたしたちは、落ちる場所を間違えたのだ!」
ドロシーが弦を弾いた瞬間、天女が鏡を奪い取り、昭晶を抱えて高く飛び立った。
天女の散らす光の粒が夜鷹とドロシーに降り注ぐ。彼らはそのまま国へと帰っていった。
「ヨタカ。しっかり」
呆然とする夜鷹の肩をドロシーが揺さぶる。
「先生。昭晶は嘘は言ってなかった。俺は……」
「落ち着いて。一度帰りましょう。皆を目覚めさせなければ」
ドロシーに肩を抱かれながら、夜鷹は歩き始めた。
香花も意識を取り戻したのか、目を押さえて雄叫びを上げた。
だが、夜鷹が彼女に手を差し伸べることはなかった。