3章
昭晶は目の前に広がる景色に感嘆の息を漏らしていた。
濃い霧を抜けると、大きな都が姿を現した。
大小の家が軒を連ね、不揃いな町並みをしている。しかし、その広さは都の倍はあるだろう。そしてこの都を、この世のものとは思えない星空が包み込んでいる。
ここが、別世界であることは、霧の中でも分かっていた。昭晶もまた、妖精と出会っていたからだ。
「やだあ、人間を連れてきてる。天女ってほんと、悪女が多いよね」
「理由もなく人間を連れてくるわけない。霧の妖精は頭が悪すぎる」
そのような会話をしているのを、昭晶は黙って聞いていた。天女はどうも、自分を人間ではないと思っているようだ。だから迎えに来たと言っていたようだが、理由はまだ聞かされていない。
「素晴らしいでしょう。鬼が作った都です」
女が誇らしげに言う。
「我ら天女は、鬼と共に暮らす妖精の一種です。ここに住ませてもらう代わりに、鬼に力を貸しているのです」
「その鬼というのは、あの角の生えた小さき者か」
「そうです。鬼は小人の一種と言われていますが、巨人の一種とも言われています。巨体を持つ鬼もおりますよ」
小人もいれば巨人もいる。だから、あの不揃いな町並みなのかもしれない。
「小人と違い、彼らは怪力で、自分のことは基本自分でします。ですが、彼らは火、光、風、水を操ることができません。それに、彼らは空を飛ぶこともできません。その部分を、天女が補っているのです」
都の中央には大きな城がそびえ立っている。壁も瓦も黒く光っていた。
「あなた様のお住まいとなる予定です。あなた様が、本当に、夜の子ならの話ですが。これから確かめます」
地上に降りる前になって、女はようやく名を告げた。
「私のことは珠とお呼びください」
珠の手に引かれるまま、地上に降り立つ。
城の門前に立っていた門番らしき鬼二人が頭を垂れた。手には鋭い刃のついた槍があった。あれで一突きされればすぐ死に至るだろう。
城の中は広々としていた。たくさんの部屋があるようだ。階段が上へ続いている。
何階あるのだろう。このような高さのある建物に入るのは初めてだ。長い階段を自分の足で上っていく。最上階の一室に通された。
御簾はなく、障子が窓として使われている。
「道具をお持ちします。しばらくここでお待ちください」
珠が部屋から出ようとすると、入口を何者かが塞いでいた。
「待ちくたびれた。やっと来たか!」
珠が驚きの声を上げるが、男はずかずかと遠慮なしに入ってくる。皮膚が真っ赤な大男だ。額には短い角が二本生えている。目は一つしかなかった。ぎょろりとした目玉が昭晶を見ている。
にこりと笑った。
「よく来られました。おかえりなさい、我が王!」
驚く間もなく、手を強く握られ、昭晶は顔を歪める。なんて力だ。骨が折れそうだ。
「まだ分からない。占い師が言ったのを信じて連れて来ただけ」
「天女の占いは、いつも当たるじゃないか」
溜息をついた珠は、黙って去っていった。
「あの」
「分かっていますよ。突然のことに、驚かれているのでしょう。私は狼星。仮の王として鬼をまとめておりました。ですが、それは真の王が帰ってくるまでの話です。ずっと探していたのですよ」
「わたしは何も知らない。このような場所があることも、この国の民のことも何も。わたしがあなたたちの言う通り、ここの民だとして、どうしてわたしは向こうにいたのだ」
「それを、これから、天女の道具で確かめるのですよ。それで思い出すこともたくさんあるでしょう。それから、あなたに謝りたいという者がいます」
狼星の後ろに何かいる。そっと顔を出す。見たことのある顔だ。織だ。
それから南河もいる。都でいたずらをしていた二人だ。
「ごめんなさい、あなたが、王様だとは思わなくて」
「もっと謝れ、クソども」
狼星に頭を鷲掴みにされた二人は、床に額をこすりつけた。
「そこまでしなくても」
「私からも」
狼星も深々と頭を下げる。
「こいつらは牢にぶち込んでおきますから。掟を破って、昼の者にちょっかいかけていたみたいですね」
「でも、二人がいなければ、わたしは、こちらのことを知ることができなかった。だから、許してあげてほしい」
「そうだとしても、罪は罪です。そのような赦しは不要ですよ、王」
織と南河は首を掴まれ、どこかへ連れて行かれてしまった。
どうやら、この国の者は、人間の世界に行くことは許されていないようだ。だったら、どうして自分は昼の世界にいたのだろう。
何も覚えていない。幼少の記憶で残っている一番古いものは、香花が本当の母は死に、自分が義理の母だと言った時のことだ。死というものを理解していなかった昭晶は、香花に、母を返してほしいと泣いた。香花が母をどこかに連れ去ったと勘違いしたからだ。泣きながら、香花を小さな拳で叩いた。
その時の香花が見せた表情は、拒絶だった。それから、昭晶は大人を頼るのをやめた。
苦い思い出に、顔を歪ませ、記憶を頭から追い出すかのように咳払いをする。こんなところで思い出すようなものではない。
「どうされました」
ふわりと飛んできた珠が昭晶の背中を擦ろうとする。
「なんでもない。思い出したくないことを、思い出しただけ」
「ご気分が優れないようです。今日はおやめになりますか」
珠の手には、大きな鏡がある。銅鏡だ。このような古い道具は、祭事でしか見たことがない。
「それは」
「この国の宝、真の姿を映し出す魔鏡です」
いかがなさいますか。珠が尋ねる。
「見よう。早い方が、そっちも助かるのだろう」
「感謝します。では、お好きなときに、この鏡を覗いてください。私は席を外します」
台に置かれた鏡は、灯火を鈍く反射していた。これを見れば、自分のことが何か分かる。
自分はもとより、周囲から鬼だと思われてきた子供だ。今更、何になったって、誰も驚きやしない。自分でも驚かない。
ふと、夜鷹の顔が脳裏に浮かぶ。彼だけは別の反応を見せるだろうか。
鏡を手に取った。ずしりとした重さのある鏡だった。両手でしっかりと支えながら、膝の上に置く。
視線をゆっくりと下ろす。
そこに映る自分の顔を見て、そして、額にあるものを見た。
角だった。すらりとした二本の長い角には、血が通っている。
瞬間、鏡を落とした。目の奥、いや、頭の奥が痛い。あまりの痛さに、頭を両腕で抱き、倒れこむ。床の上で身をよじった。うめき声が部屋に虚しく響く。
心臓が激しく動き、それに合わせて血が身体を貫きそうだ。
「……か」
自然と声がこぼれ出る
「……よたか」
手が何かを掴もうとするが、何もなく、床に落ちる。
涙が一つ落ちたのと同時に、意識が途絶えた。
濃い霧を抜けると、大きな都が姿を現した。
大小の家が軒を連ね、不揃いな町並みをしている。しかし、その広さは都の倍はあるだろう。そしてこの都を、この世のものとは思えない星空が包み込んでいる。
ここが、別世界であることは、霧の中でも分かっていた。昭晶もまた、妖精と出会っていたからだ。
「やだあ、人間を連れてきてる。天女ってほんと、悪女が多いよね」
「理由もなく人間を連れてくるわけない。霧の妖精は頭が悪すぎる」
そのような会話をしているのを、昭晶は黙って聞いていた。天女はどうも、自分を人間ではないと思っているようだ。だから迎えに来たと言っていたようだが、理由はまだ聞かされていない。
「素晴らしいでしょう。鬼が作った都です」
女が誇らしげに言う。
「我ら天女は、鬼と共に暮らす妖精の一種です。ここに住ませてもらう代わりに、鬼に力を貸しているのです」
「その鬼というのは、あの角の生えた小さき者か」
「そうです。鬼は小人の一種と言われていますが、巨人の一種とも言われています。巨体を持つ鬼もおりますよ」
小人もいれば巨人もいる。だから、あの不揃いな町並みなのかもしれない。
「小人と違い、彼らは怪力で、自分のことは基本自分でします。ですが、彼らは火、光、風、水を操ることができません。それに、彼らは空を飛ぶこともできません。その部分を、天女が補っているのです」
都の中央には大きな城がそびえ立っている。壁も瓦も黒く光っていた。
「あなた様のお住まいとなる予定です。あなた様が、本当に、夜の子ならの話ですが。これから確かめます」
地上に降りる前になって、女はようやく名を告げた。
「私のことは珠とお呼びください」
珠の手に引かれるまま、地上に降り立つ。
城の門前に立っていた門番らしき鬼二人が頭を垂れた。手には鋭い刃のついた槍があった。あれで一突きされればすぐ死に至るだろう。
城の中は広々としていた。たくさんの部屋があるようだ。階段が上へ続いている。
何階あるのだろう。このような高さのある建物に入るのは初めてだ。長い階段を自分の足で上っていく。最上階の一室に通された。
御簾はなく、障子が窓として使われている。
「道具をお持ちします。しばらくここでお待ちください」
珠が部屋から出ようとすると、入口を何者かが塞いでいた。
「待ちくたびれた。やっと来たか!」
珠が驚きの声を上げるが、男はずかずかと遠慮なしに入ってくる。皮膚が真っ赤な大男だ。額には短い角が二本生えている。目は一つしかなかった。ぎょろりとした目玉が昭晶を見ている。
にこりと笑った。
「よく来られました。おかえりなさい、我が王!」
驚く間もなく、手を強く握られ、昭晶は顔を歪める。なんて力だ。骨が折れそうだ。
「まだ分からない。占い師が言ったのを信じて連れて来ただけ」
「天女の占いは、いつも当たるじゃないか」
溜息をついた珠は、黙って去っていった。
「あの」
「分かっていますよ。突然のことに、驚かれているのでしょう。私は狼星。仮の王として鬼をまとめておりました。ですが、それは真の王が帰ってくるまでの話です。ずっと探していたのですよ」
「わたしは何も知らない。このような場所があることも、この国の民のことも何も。わたしがあなたたちの言う通り、ここの民だとして、どうしてわたしは向こうにいたのだ」
「それを、これから、天女の道具で確かめるのですよ。それで思い出すこともたくさんあるでしょう。それから、あなたに謝りたいという者がいます」
狼星の後ろに何かいる。そっと顔を出す。見たことのある顔だ。織だ。
それから南河もいる。都でいたずらをしていた二人だ。
「ごめんなさい、あなたが、王様だとは思わなくて」
「もっと謝れ、クソども」
狼星に頭を鷲掴みにされた二人は、床に額をこすりつけた。
「そこまでしなくても」
「私からも」
狼星も深々と頭を下げる。
「こいつらは牢にぶち込んでおきますから。掟を破って、昼の者にちょっかいかけていたみたいですね」
「でも、二人がいなければ、わたしは、こちらのことを知ることができなかった。だから、許してあげてほしい」
「そうだとしても、罪は罪です。そのような赦しは不要ですよ、王」
織と南河は首を掴まれ、どこかへ連れて行かれてしまった。
どうやら、この国の者は、人間の世界に行くことは許されていないようだ。だったら、どうして自分は昼の世界にいたのだろう。
何も覚えていない。幼少の記憶で残っている一番古いものは、香花が本当の母は死に、自分が義理の母だと言った時のことだ。死というものを理解していなかった昭晶は、香花に、母を返してほしいと泣いた。香花が母をどこかに連れ去ったと勘違いしたからだ。泣きながら、香花を小さな拳で叩いた。
その時の香花が見せた表情は、拒絶だった。それから、昭晶は大人を頼るのをやめた。
苦い思い出に、顔を歪ませ、記憶を頭から追い出すかのように咳払いをする。こんなところで思い出すようなものではない。
「どうされました」
ふわりと飛んできた珠が昭晶の背中を擦ろうとする。
「なんでもない。思い出したくないことを、思い出しただけ」
「ご気分が優れないようです。今日はおやめになりますか」
珠の手には、大きな鏡がある。銅鏡だ。このような古い道具は、祭事でしか見たことがない。
「それは」
「この国の宝、真の姿を映し出す魔鏡です」
いかがなさいますか。珠が尋ねる。
「見よう。早い方が、そっちも助かるのだろう」
「感謝します。では、お好きなときに、この鏡を覗いてください。私は席を外します」
台に置かれた鏡は、灯火を鈍く反射していた。これを見れば、自分のことが何か分かる。
自分はもとより、周囲から鬼だと思われてきた子供だ。今更、何になったって、誰も驚きやしない。自分でも驚かない。
ふと、夜鷹の顔が脳裏に浮かぶ。彼だけは別の反応を見せるだろうか。
鏡を手に取った。ずしりとした重さのある鏡だった。両手でしっかりと支えながら、膝の上に置く。
視線をゆっくりと下ろす。
そこに映る自分の顔を見て、そして、額にあるものを見た。
角だった。すらりとした二本の長い角には、血が通っている。
瞬間、鏡を落とした。目の奥、いや、頭の奥が痛い。あまりの痛さに、頭を両腕で抱き、倒れこむ。床の上で身をよじった。うめき声が部屋に虚しく響く。
心臓が激しく動き、それに合わせて血が身体を貫きそうだ。
「……か」
自然と声がこぼれ出る
「……よたか」
手が何かを掴もうとするが、何もなく、床に落ちる。
涙が一つ落ちたのと同時に、意識が途絶えた。