2章

 それから数日、昭晶と夜鷹は毎晩あの二人を探したが、一度も会えずにいた。
 ドロシーから言われたことを、夜鷹は昭晶には伝えていない。これが唯一の、彼の気晴らしになっていることを分かっているからだ。
 刻一刻と、彼の出国の日が近づく。話によると、夏の終わりには船に乗るのだという。
「今日も行くの」
 昭晶の元へ向かっている途中で、寧子が尋ねる。
「行くけど」
「気をつけなさいよ。夜も暑くて、港近くは深酒して荒れている人が多くなっているって報告を受けてるから。あなたたちが何をしているのかは知らないけど」
「ただの散歩だよ、散歩。昭晶様に気晴らししてもらわないと」
「そう。あまり遠くには行かないことね」
 あ、そうだ、と寧子は懐から何かを取り出す。巾着袋のようだ。
「あなたに渡してほしいと頼まれたの。いつの間に知り合いになっていたの」
「こないだ、たまたま、道端で会ったんだよ。眠れないって言うと、薬をもらったんだ」
 受け取ると、少しだけ重さを感じる。握ってみると、硬いものが一つだけ入っていた。
「あ、開けたらだめ」
 巾着の口を開けようとすると、すぐに止められた。
「それは、本当に困った時に開けてって、先生が言ってたわ。だから」
 巾着は懐に入れておくことにした。安心する重さだった。
「また行くよって、先生に言っておいてくれないか。薬の瓶を返さないといけない」
「私が渡しておくけど」
「いや、いいよ。自分で行く」
 いい先生だったなと言うと、寧子は誇らしげに笑った。
 昭晶と合流し、まずは寧子の語りを聞きながら夜が更けるのを待つ。
 海向こうの話はどれも面白いが、稀に怖い物語もあった。今日の話は特に怖かった。
 人間の中に、人間のふりをした怪異がいるという話だ。人間の赤子をさらい、怪異の赤子をすり替える。すり替えられたことに気付かず、怪異はそのまま人間に育てられるという。
 その怪異は、背が小さいこと以外は人間と姿が変わらず、人間社会に溶け込み、悪いことはしないと言う。とはいえ、人間のなかに怪異が混ざり込んでいるのを想像すると、ぞっとした。
 だが、昭晶の反応は夜鷹の逆だった。
「本当にそのようなことがあるのなら、怪異は故郷に戻るべきだ。その怪異は捨てられたということだろう。あまりにもかわいそうだ」
 自分は鬼だ。どこから来たのかも分からない、薄気味悪い存在だ。周りからそう思われているからこそ、そういう感想が出てきたのだろう。
「故郷がどこなのかは、分からないが……」
「先生の話だと、遠くて近い場所、だそうです。でも、私たち人間は、行くことができないのだそうです」
「なぜ?」
「私たちは非力だからです」
 身体が冷えたような気がする。今度、怪談はよしてくれと寧子にお願いしないといけない。
 寧子に見送られながら、二人は星宮から出る。
 あの二人の好物は酒だということは前の様子から分かっている。だから、あれから港付近に目星をつけている。
 深酒をして、意識が朦朧としている人が増えているのなら、なおさら狙い目だろう。彼らは堂々としていた。なぜなら、一度も失敗していないからだ。人が多い場所だろうがなんだろうが、あの強い光があれば確実に逃げられる。
 夜廻ですら見落としがちな裏道に潜み、夜鷹と昭晶はあの二人を待っていた。
「さっきの話、おとぎ話だとも思えない。寧子はおとぎ話のように語っていたが。小さき者を、わたしも夜鷹も見たぞ。寧子の師は何を知っているんだ。夜鷹は会ったことがあるのか」
「あ、えっと」
 嘘をついても追求されるような気がする。
「この前会ったんだ。俺たちがあの怪異に出会ったあと。それについて何か知っているらしいんだけど、詳しくは教えてくれなかった。知らないでいいって。俺たちが知りたいことは……その」
「何だ」
「悪い方向へ導くって言っていた」
 そう言うと、昭晶は鼻で笑った。
「大人は都合が悪いことはすぐ隠す」
 夜鷹がドロシーに抱いたあの安心感は、なかなか伝わらない。やはり、一度、ドロシーを紹介すべきだ。
「そういう人ではなさそうなんだけどな。一度、連れて行ってあげる。いつでも歓迎するって言ってたから」
 そう言うと、どこか不貞腐れたような顔をした。
「大人を頼るつもりはない」
 昭晶は大人を全く信用していなかった。まあ、そうだよな、と夜鷹は返す。それほどのことを、昭晶は大人たちにされてきたのだから。やっぱり黙っておけばよかった。
 しばらく物陰で待ってみたが、あの二人は姿を現さなかった。今日も収穫なしだ。他のところにいるのではないかと昭晶は言うが、夜鷹は帰ることにした。さっきの話を終えたあとから、ずっと昭晶の機嫌が悪い。
 早めの帰りに、寧子はやや驚いていた。
「朝まで帰らないのかと思った」
「わたしは、もう少し外にいたかった」
 むすっとした顔で、御簾を降ろされる。今日はもう一人でいたいようだ。
「この調子だから、帰ってきたんだよ。喧嘩したわけじゃないんだけど」
 占いの結果を伝えたからだろうか。それとも、自分が大人の言う事を素直に信じたからだろうか。
 どっちもだろうな、と腰を下ろしながら思う。
「昭晶、悪かったよ。もうあの話はしないから。また明日、一緒に行こう」
 返事はなかった。
 溜息をつきながら空を見上げたその時だった。
 星の一つが瞬いたかと思えば、強い光が目を突き刺してきた。隣で、どさりと音がする。
「寧子」
 周りがすべて白く見える。その中で、寧子が倒れているのを確認する。意識がない。
「寧子! おい、寧子!」
 揺すっても身動きしない。
 背後に何か気配を感じた。寧子を庇いながら振り返る。
 そこには、この前見たような女が浮いていた。だが、顔が違う。似ているが、まったくの別人だ。
「なぜ、おまえは意識を失わない。まあよい。その後ろにいる者を出せ」
 凛とした声が響く。身体にはたくさんの宝石があり、高貴さが感じられた。
「寧子のことか」
「違う。その御簾の後ろにいる者だ」
 弓を引く。
「何者だ。前から悪さをしているのは知っている」
 女は馬鹿にするかのように笑った。手のひらを向けられる。咄嗟に目を庇った。
 その間に女は自分の懐に入っていた。刀を抜き払い打つ。
 確実に女の腹を切ったはずなのだが、女の身体が揺らめくだけだった。まるで煙のようだ。
「おまえたちには何もできない」
 驚きのあまり、夜鷹はそれ以上のことができなかった。
 女が指をすっと動かすと、御簾がすべて上がった。
 女は昭晶の前で地に足をつけ、膝を折った。その様子を、昭晶は驚きと期待の混ざった目で見ている。
「そちらから来てくれるとは……」
「あなた様を迎えに参りました」
 その言葉に、昭晶の瞳が揺らぐ。
「わたしは何も知らない。教えてほしい。お前たちはどこから来ているのか。何者なのか」
「夜の国から参りました。我ら天女族と鬼族は、東の孤島に住まう夜の住民の一つでございます」
 女は昭晶の手を取った。昭晶はされるがままだ。動こうとしても、夜鷹の足はまるで地に張り付いたかのように動かせない。声も出せなかった。
「そのような者たちが、なぜ」
「我らの王を探しているのです。あなた様がそうなのではないかと」
 さあ、と女は昭晶の手を引く。
 昭晶は、一度、夜鷹の目を見た。夜鷹も昭晶の目を見る。昭晶の瞳には、喜びの色が浮かんでいた。頬が興奮で赤くなっている。
「夜鷹。やはり、あったんだ。わたしの言う通りだ。ここではないどこかが、あったんだ」
 行くな、と目で訴えかける。だが、昭晶は笑った。
「夜鷹。わたしは行く。もうこんなところは、うんざりだ」
 女の足元には雲ができていた。昭晶をその雲に乗せ、宙に浮いた。またあの深い霧が出てくる。霧は周りの景色をほとんど消した。
 女は笑う。昭晶は何も言うことなく、夜鷹を一瞥し、霧の向こうへ消えていった。
「う……」
 寧子が呻く。
「寧子!」
 身体が動く。そのことに気付き、夜鷹が寧子を揺すると、寧子ははっと目を覚まし、身体を起こした。
「何これ、何があったの」
 周囲の霧に驚いている。揺らぐ水の粒が二人の頬を濡らす。これは幻ではなかった。
「昭晶が攫われた」
「誰に、なんで」
「分からない。でも、まだ間に合う」
 まだ霧は出ている。この霧の先に行けば、追いかけられるのではないかと夜鷹は考えた。今、追いかけないと、もう二度と行けない気がしたのだ。この霧は自然に出た霧だとは考えにくい。
「寧子、俺、昭晶を探してくる。連れ戻さないと」
 待って、と寧子に手を握られるが、その手を振りほどいた。
 急がねば。昭晶がどこか遠いところに行ってしまうような気がする。夜鷹は霧の中へと走っていった。
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