2章
「わたしたちは生まれる場所を間違えているのかもな」
それが昭晶の感想だった。
住宅の少ない都の端までやってきた二人は、物置の影に隠れていた。出勤前に夜廻の動きを見て、ここなら誰も来ないことを確認した。
もし子供がいれば、夜鷹が動き、昭晶がそれを見守ることにしたのだ。物陰に隠れていれば、強い光からも多少は守られるだろうと思ってのことだ。
待っている間はもちろん暇で、夜鷹は日中にあったことを昭晶に喋った。
「香花様って、そういう人だったんだなって。なんか……がっかり。うん。がっかりした」
もちろん、恩はある。
目的が何であれ、自分を孤児院に入れてくれて、ここまで育ててくれたのだ。彼女がいなければ、自分はこの世から既に去っていたに違いない。
香花は優しい人。そう思っていたからこそ、裏切られたと思ってしまう。自分たちを兵士として育てるのなら、最初から優しくしないでほしかった。
「夜鷹とはずいぶん印象の感じ方が違うなとは思っていたよ。あの人に対して、わたしは優しいなんて一度も思ったことがない。わたしはあの人にとって何の利益ももたらさないからだったんだな」
あの人「たち」と昭晶は言い直した。
王族のことだろう。どれだけの人数がいるのかは知らないが。
「つまり、わたしの元に来ていた女官のなかには、夜鷹の姉もいたということか」
「そうだろうね」
「夜鷹の兄弟はわたしの兄弟でもある……、ああ、嫌だ。兄弟に世話されていたのか、わたしは。やはり、わたしたちは生まれる場所を間違えたんだ。そう思いたい」
生まれる場所なんて選べない。親を選ぶこともできない。それは昭晶も分かっている。自分を慰めるためにそう言っているだけだ。
兄たちは、自分の境遇に満足しているのだろうか。たとえ、孤児院が兵を育てる施設で、自分の将来が最初から決められていたと知っても、不満はなかったのだろうか。
夜廻のほうが良かったな、という兄の呟きからすると、満足はしていないようだ。だが、最初から諦めているかのような呟きでもあった。
寧子と同じなのだ。今の大人たちはそうしてきた。だから、自分もそうするしかない。いつかそれが普通になって、不満も忘れるだろう――そんな諦め。
自分たちがそうだったから、お前たちもそうであれ。大人たちからは、そう言われているような感じもするのだ。果たしてそれでいいのか。
夜鷹はなんとなく、弓の弦を弾いた。びぃん……と振動する。
「それ、やめてくれ」
昭晶が弦を握った。
「あ、ごめん。嫌だった」
「なんだかざわざわする。好きではない」
そういう人もいるか、と思って、弓を下ろした。
夜廻は、歩きながら弓を鳴らすことがある。夜廻がいることを、闇に潜む者たちに知らせるためだ。一定の抑止力になっていることは確かなのだと教えられた。
弓を鳴らすということは、自分が今、巡回に出ている状態なのだと身体が感じているのだろう。癖を身体が思い出したのだ。
「昭晶も夜廻に入ればいいのに」
「わたしが? このひょろひょろにできることなんて、何もないぞ」
「それはこれから鍛えればいいんだよ」
「一体何年かかることか……」
「昭晶と一緒なら、毎晩、楽しく仕事ができると思ったんだけどな」
そこまで言って、夜鷹は視線を表の道に向けた。物音がする。一瞬のうちに緊張感が漂い、昭晶は夜鷹の後ろから覗き見た。
誰か来た、と夜鷹が昭晶に視線を送る。昭晶が唾を飲み込む音が聞こえてくる。
小さな人影がやってくる。それは一つではなく、二つあった。
子供だ。それも小さな。夜鷹の腰ほどしか背丈がない子供が二人歩いている。
昭晶が息を飲んだ。
それもそのはずだ。片方の子供は足が地に着いていなかった。女のほうだ。長い髪をゆるく束ね、ふわふわと揺らしている。白く清らかな薄い衣を纏っていた。手首や足首は色とりどりの石を束ねた輪で飾られている。
一方は男だ。短く刈り上げられた髪は炎のように赤い。額からは鋭い角が一本伸びている。ボロの端切れを縫い合わせたような薄汚い格好をしていた。
顔をよくよく見れば、子供とも言い切れなかった。妙に大人びているのだ。子供特有の幼さのない顔立ちをしているし、かなり落ち着いている。
怪異なのか。目を疑った。何度か瞬きを繰り返しても、この世ならざる風貌をしている子供は確かにそこにいた。
二人は何か話している。だがその内容はここでは聞き取れない。
打ち合わせ通り、彼らの目の前に飛び出して行きそうな夜鷹を昭晶は止めた。このまま尾行してみようと彼は言いたいようだ。
尾行自体は簡単にできた。昭晶の手を引き、距離を詰めていく。かなり近づいても、気付かれることはなかった。このまま最後まで追えそうだ。
「今日は月の光が弱いから、一回で帰ろう」
女の声が聞こえた。
「それじゃ、せっかくこっちに来たのに、あんまり意味がないじゃないか」
「じゃあ、二回で」
彼らが話し合っているのは、今晩、人を襲う回数のことだろうか。
都の地理は把握しているようで、彼らは迷うことなく、港のある方角へと向かっていく。寧子の記録によれば、場所はまちまちだったが、どれも夜間でも人通りが多少はある場所だった。どこに行けば人がいるのか、彼らは分かっている。
海向こうから運ばれてきた品を売る店の多い商店通りへと差し掛かる。珍しい酒を売る飲み屋は、今もまだ営業中だろう。何度かこのあたりで喧嘩が勃発しており、夜廻が必ず見回る場所でもあった。その夜廻は今は別の場所を見回っているようで、姿が見えない。
「あ、いたいた」
男が標的を見つけた。夜鷹は昭晶の手を引き、建物の影に隠れる。
手に瓢箪を持った男だ。千鳥足で、鼻歌を歌っている。かなり酔っているが、それでもまだ飲み足りず、何度も瓢箪に口をつけている。
女がふわりと漂い、男の目の前に躍り出る。突然、小さな女が現れたことに、男はまだ気付いていない。
女は浮いたまましゃがむ格好をした。しくしくと泣き真似をしている。
「おん?」
酔っ払いはようやくそこで女に気が付いた。足を止め、女の顔を覗き込む。
「じょっちゃん。どったの」
酒混じりの息が吹きかかるほど酔っ払いが女に近づく。
「おじさんち来る?」
「行くわけないだろ、馬鹿め」
その清らかな見た目からは想像できない言葉を発した女は、両手を酔っ払いに突き出した。その瞬間、閃光が走る。
夜鷹は瞬時に、振り返って昭晶の顔を覆い、自分も目を瞑った。
その間、鈍い音と、どさりと何かが崩れ落ちる音がする。
「これ、もらっていくな〜」
けらけらと笑い、二人はその場から走って去っていく。
「行くぞ」
なんとか強い光から目を守れた夜鷹は、昭晶を引っ張る。
「倒れている」
「何かで殴られたんだろうな。男のほうがやったんだろう」
大人を殴り倒すことのできる力があるとは思えないが、聞こえてきた音は、そう考えざるを得ないものだった。
二人はあまり遠くまでは逃げておらず、少し走った先で、戦利品を口にしていた。
「やっぱこっちの酒のほうがうめえ」
「ちょっとちょっと。私のほうが多く飲んでいいでしょ。あのくっせえ息を我慢したんだから」
「織、おめえ、ほんとに天女族かよ」
「天女だよ」
がはは、と笑う二人は、明らかに子供ではない。
「南河。誰かいる」
織と呼ばれた女が、瓢箪を押し付けた。
低木の影に身を潜めていた夜鷹と昭晶は、息を潜める。ばれてしまったか。弓を握る手に力が入る。
ここはやりすごそう――そう思った時だった。
突然、昭晶が身体を起こした。
「あ、おい」
夜鷹の呼び止めにも応じず、昭晶は影から飛び出し、そのまま女の元へと歩いた。
「なんだ、おまえ」
女は首を鳴らし、昭晶の顔をよく見た。
「いや……どっかで見たな。知っている顔だ」
「わたしもお前を知っている。一度、わたしの屋敷へ来たはずだ。お前はどこから来た」
さっと風が吹く。気付けば、周囲には霧が立ち込めていた。それも、かなり濃い霧だ。その霧の向こうへ飛び去ろうとする織の足を南河が握る。
「答える義理はない。お前は何も見なかった」
織の手のひらが昭晶に向けられる。その動作は先ほど見たばかりだ。
「昭晶!」
夜鷹は昭晶に飛びつき、覆いかぶさった。それは眩い光が二人を襲ったのと同時だった。
静寂が二人を包み込む。しばらく地面に伏せていたが、昭晶が夜鷹を押しのけた。
突然の霧は何事もなかったかのように消えていた。
「また逃げられてしまった……」
座り込んだまま空を見上げた昭晶が呟く。
どこか寂しげな彼の背中を、夜鷹は後ろから見ていた。
それが昭晶の感想だった。
住宅の少ない都の端までやってきた二人は、物置の影に隠れていた。出勤前に夜廻の動きを見て、ここなら誰も来ないことを確認した。
もし子供がいれば、夜鷹が動き、昭晶がそれを見守ることにしたのだ。物陰に隠れていれば、強い光からも多少は守られるだろうと思ってのことだ。
待っている間はもちろん暇で、夜鷹は日中にあったことを昭晶に喋った。
「香花様って、そういう人だったんだなって。なんか……がっかり。うん。がっかりした」
もちろん、恩はある。
目的が何であれ、自分を孤児院に入れてくれて、ここまで育ててくれたのだ。彼女がいなければ、自分はこの世から既に去っていたに違いない。
香花は優しい人。そう思っていたからこそ、裏切られたと思ってしまう。自分たちを兵士として育てるのなら、最初から優しくしないでほしかった。
「夜鷹とはずいぶん印象の感じ方が違うなとは思っていたよ。あの人に対して、わたしは優しいなんて一度も思ったことがない。わたしはあの人にとって何の利益ももたらさないからだったんだな」
あの人「たち」と昭晶は言い直した。
王族のことだろう。どれだけの人数がいるのかは知らないが。
「つまり、わたしの元に来ていた女官のなかには、夜鷹の姉もいたということか」
「そうだろうね」
「夜鷹の兄弟はわたしの兄弟でもある……、ああ、嫌だ。兄弟に世話されていたのか、わたしは。やはり、わたしたちは生まれる場所を間違えたんだ。そう思いたい」
生まれる場所なんて選べない。親を選ぶこともできない。それは昭晶も分かっている。自分を慰めるためにそう言っているだけだ。
兄たちは、自分の境遇に満足しているのだろうか。たとえ、孤児院が兵を育てる施設で、自分の将来が最初から決められていたと知っても、不満はなかったのだろうか。
夜廻のほうが良かったな、という兄の呟きからすると、満足はしていないようだ。だが、最初から諦めているかのような呟きでもあった。
寧子と同じなのだ。今の大人たちはそうしてきた。だから、自分もそうするしかない。いつかそれが普通になって、不満も忘れるだろう――そんな諦め。
自分たちがそうだったから、お前たちもそうであれ。大人たちからは、そう言われているような感じもするのだ。果たしてそれでいいのか。
夜鷹はなんとなく、弓の弦を弾いた。びぃん……と振動する。
「それ、やめてくれ」
昭晶が弦を握った。
「あ、ごめん。嫌だった」
「なんだかざわざわする。好きではない」
そういう人もいるか、と思って、弓を下ろした。
夜廻は、歩きながら弓を鳴らすことがある。夜廻がいることを、闇に潜む者たちに知らせるためだ。一定の抑止力になっていることは確かなのだと教えられた。
弓を鳴らすということは、自分が今、巡回に出ている状態なのだと身体が感じているのだろう。癖を身体が思い出したのだ。
「昭晶も夜廻に入ればいいのに」
「わたしが? このひょろひょろにできることなんて、何もないぞ」
「それはこれから鍛えればいいんだよ」
「一体何年かかることか……」
「昭晶と一緒なら、毎晩、楽しく仕事ができると思ったんだけどな」
そこまで言って、夜鷹は視線を表の道に向けた。物音がする。一瞬のうちに緊張感が漂い、昭晶は夜鷹の後ろから覗き見た。
誰か来た、と夜鷹が昭晶に視線を送る。昭晶が唾を飲み込む音が聞こえてくる。
小さな人影がやってくる。それは一つではなく、二つあった。
子供だ。それも小さな。夜鷹の腰ほどしか背丈がない子供が二人歩いている。
昭晶が息を飲んだ。
それもそのはずだ。片方の子供は足が地に着いていなかった。女のほうだ。長い髪をゆるく束ね、ふわふわと揺らしている。白く清らかな薄い衣を纏っていた。手首や足首は色とりどりの石を束ねた輪で飾られている。
一方は男だ。短く刈り上げられた髪は炎のように赤い。額からは鋭い角が一本伸びている。ボロの端切れを縫い合わせたような薄汚い格好をしていた。
顔をよくよく見れば、子供とも言い切れなかった。妙に大人びているのだ。子供特有の幼さのない顔立ちをしているし、かなり落ち着いている。
怪異なのか。目を疑った。何度か瞬きを繰り返しても、この世ならざる風貌をしている子供は確かにそこにいた。
二人は何か話している。だがその内容はここでは聞き取れない。
打ち合わせ通り、彼らの目の前に飛び出して行きそうな夜鷹を昭晶は止めた。このまま尾行してみようと彼は言いたいようだ。
尾行自体は簡単にできた。昭晶の手を引き、距離を詰めていく。かなり近づいても、気付かれることはなかった。このまま最後まで追えそうだ。
「今日は月の光が弱いから、一回で帰ろう」
女の声が聞こえた。
「それじゃ、せっかくこっちに来たのに、あんまり意味がないじゃないか」
「じゃあ、二回で」
彼らが話し合っているのは、今晩、人を襲う回数のことだろうか。
都の地理は把握しているようで、彼らは迷うことなく、港のある方角へと向かっていく。寧子の記録によれば、場所はまちまちだったが、どれも夜間でも人通りが多少はある場所だった。どこに行けば人がいるのか、彼らは分かっている。
海向こうから運ばれてきた品を売る店の多い商店通りへと差し掛かる。珍しい酒を売る飲み屋は、今もまだ営業中だろう。何度かこのあたりで喧嘩が勃発しており、夜廻が必ず見回る場所でもあった。その夜廻は今は別の場所を見回っているようで、姿が見えない。
「あ、いたいた」
男が標的を見つけた。夜鷹は昭晶の手を引き、建物の影に隠れる。
手に瓢箪を持った男だ。千鳥足で、鼻歌を歌っている。かなり酔っているが、それでもまだ飲み足りず、何度も瓢箪に口をつけている。
女がふわりと漂い、男の目の前に躍り出る。突然、小さな女が現れたことに、男はまだ気付いていない。
女は浮いたまましゃがむ格好をした。しくしくと泣き真似をしている。
「おん?」
酔っ払いはようやくそこで女に気が付いた。足を止め、女の顔を覗き込む。
「じょっちゃん。どったの」
酒混じりの息が吹きかかるほど酔っ払いが女に近づく。
「おじさんち来る?」
「行くわけないだろ、馬鹿め」
その清らかな見た目からは想像できない言葉を発した女は、両手を酔っ払いに突き出した。その瞬間、閃光が走る。
夜鷹は瞬時に、振り返って昭晶の顔を覆い、自分も目を瞑った。
その間、鈍い音と、どさりと何かが崩れ落ちる音がする。
「これ、もらっていくな〜」
けらけらと笑い、二人はその場から走って去っていく。
「行くぞ」
なんとか強い光から目を守れた夜鷹は、昭晶を引っ張る。
「倒れている」
「何かで殴られたんだろうな。男のほうがやったんだろう」
大人を殴り倒すことのできる力があるとは思えないが、聞こえてきた音は、そう考えざるを得ないものだった。
二人はあまり遠くまでは逃げておらず、少し走った先で、戦利品を口にしていた。
「やっぱこっちの酒のほうがうめえ」
「ちょっとちょっと。私のほうが多く飲んでいいでしょ。あのくっせえ息を我慢したんだから」
「織、おめえ、ほんとに天女族かよ」
「天女だよ」
がはは、と笑う二人は、明らかに子供ではない。
「南河。誰かいる」
織と呼ばれた女が、瓢箪を押し付けた。
低木の影に身を潜めていた夜鷹と昭晶は、息を潜める。ばれてしまったか。弓を握る手に力が入る。
ここはやりすごそう――そう思った時だった。
突然、昭晶が身体を起こした。
「あ、おい」
夜鷹の呼び止めにも応じず、昭晶は影から飛び出し、そのまま女の元へと歩いた。
「なんだ、おまえ」
女は首を鳴らし、昭晶の顔をよく見た。
「いや……どっかで見たな。知っている顔だ」
「わたしもお前を知っている。一度、わたしの屋敷へ来たはずだ。お前はどこから来た」
さっと風が吹く。気付けば、周囲には霧が立ち込めていた。それも、かなり濃い霧だ。その霧の向こうへ飛び去ろうとする織の足を南河が握る。
「答える義理はない。お前は何も見なかった」
織の手のひらが昭晶に向けられる。その動作は先ほど見たばかりだ。
「昭晶!」
夜鷹は昭晶に飛びつき、覆いかぶさった。それは眩い光が二人を襲ったのと同時だった。
静寂が二人を包み込む。しばらく地面に伏せていたが、昭晶が夜鷹を押しのけた。
突然の霧は何事もなかったかのように消えていた。
「また逃げられてしまった……」
座り込んだまま空を見上げた昭晶が呟く。
どこか寂しげな彼の背中を、夜鷹は後ろから見ていた。