2章
まるで、初めてここに来た時のようだ。沈黙が長い時間続く。久しぶりに足を痺れさせた。
「なあ、寧子」
「何」
「今日、どこに行ってたんだよ」
「先生のところへ」
寧子のことだから、はぐらかされるかと思った。
月を見上げていた。今日は満月だった。
「もし不安なことがあるなら、胸に手を当てて、三度、円を描くように撫でたらよいと教えてもらった。それから考えたらよいと。もし涙が出るようなことがあれば、湯で流せばよいとも教えてもらったわ。水では駄目なのですって」
「なんで」
「まじないだから、儀式の過程が必要なんだって。湯を準備するのが、その過程ってやつらしいわ」
思っていたまじないと、少し違った。
もっとよく分からない術でも使うのかと思ったが、現実的なものだった。
あのドロシーという女性、夜廻で看病もしていたし、案外、怪しい人物ではないのかもしれない。黒い衣装が怪しさを醸し出していたが。
「寧子はそのまじないを習っているのか」
「習いたいって思ってる。でも、先生は、こちらの国の人に合うまじないがまだ仕上がってないって言って、まだあまり教えてくれないの。その代わりじゃないけど、海向こうの物語を教えてもらってたの」
寧子とドロシーが出会ったのは、今から五年前、十歳の頃だった。
屋敷の近くを散歩していると、たまたま、見慣れない風貌の女性を見かけ、道に迷っているようだったから夜廻に連れて行ったのだという。
牛目が不在で、屋敷で待っている間、ドロシーは海向こうの物語を聞かせてくれた。もっと教えてほしいと頼み、寧子からドロシーを先生と呼ぶようになった。
聞いてもいないのに、寧子はそこまで教えてくれた。
「夜鷹も何かあれば、先生を頼るといいわ。先生は夜廻はとても大切な組織だと言うの。夜は危ないからって。だから、色々教えてもらえるの。今度、紹介してあげる」
夜鷹が次の頭領になることを知ってのことだろうか。
牛目の娘なのだから、知っていても当然かとも思う。そのことについて、寧子はどう思っているのかまでは聞けなかった。
師を紹介するというほどだから、寧子はもう受け入れているのかもしれない。
夜鷹はまだ、そこまでの気持ちの整理はできていない。
「今日は昭晶様、ずっとこうなんだろうか」
「どうかしら」
御簾の前で正座し、静かに目を伏せている。月の光に照らされた寧子の肌はいつになく透き通っている気がして、夜鷹はそっと視線をそらす。
こうやって静かに座っている寧子は、まるで貴人のようだ。牛目の教育あってのことだろう。初めて夜鷹の中に「綺麗」という言葉が出てくる。
昭晶も大人びた雰囲気を出していたし、寧子もそうだ。
自分だけ、永遠に子供な気がしてならない。
寧子がもう今日の話を受け入れているのだとしたら、寧子は自分よりずっと大人だと思う。
月を見ながらもぞもぞとしていると、急に寧子が立ち上がる。えっ、と声が出た。
「昭晶様。今日は何か語りましょうか」
反応がなかったので、寧子は黙って御簾を上げはじめた。突然のことに、夜鷹は腰を浮かせる。
「お、おい」
寧子を止めようとしたのだが、手を振り払われてしまった。
「昭晶様……あっ」
小さな悲鳴が響く。夜鷹も寧子と一緒に部屋の中を見た。
そこにいると思っていた昭晶がいないのだ。姿がどこにもない。わけが分からず、呆然としていると、寧子の手が尻を思いっきり叩いた。
「すぐ! すぐ探すのよ!」
探して来なさいと言われ、宮を飛び出した。
「なあ、寧子」
「何」
「今日、どこに行ってたんだよ」
「先生のところへ」
寧子のことだから、はぐらかされるかと思った。
月を見上げていた。今日は満月だった。
「もし不安なことがあるなら、胸に手を当てて、三度、円を描くように撫でたらよいと教えてもらった。それから考えたらよいと。もし涙が出るようなことがあれば、湯で流せばよいとも教えてもらったわ。水では駄目なのですって」
「なんで」
「まじないだから、儀式の過程が必要なんだって。湯を準備するのが、その過程ってやつらしいわ」
思っていたまじないと、少し違った。
もっとよく分からない術でも使うのかと思ったが、現実的なものだった。
あのドロシーという女性、夜廻で看病もしていたし、案外、怪しい人物ではないのかもしれない。黒い衣装が怪しさを醸し出していたが。
「寧子はそのまじないを習っているのか」
「習いたいって思ってる。でも、先生は、こちらの国の人に合うまじないがまだ仕上がってないって言って、まだあまり教えてくれないの。その代わりじゃないけど、海向こうの物語を教えてもらってたの」
寧子とドロシーが出会ったのは、今から五年前、十歳の頃だった。
屋敷の近くを散歩していると、たまたま、見慣れない風貌の女性を見かけ、道に迷っているようだったから夜廻に連れて行ったのだという。
牛目が不在で、屋敷で待っている間、ドロシーは海向こうの物語を聞かせてくれた。もっと教えてほしいと頼み、寧子からドロシーを先生と呼ぶようになった。
聞いてもいないのに、寧子はそこまで教えてくれた。
「夜鷹も何かあれば、先生を頼るといいわ。先生は夜廻はとても大切な組織だと言うの。夜は危ないからって。だから、色々教えてもらえるの。今度、紹介してあげる」
夜鷹が次の頭領になることを知ってのことだろうか。
牛目の娘なのだから、知っていても当然かとも思う。そのことについて、寧子はどう思っているのかまでは聞けなかった。
師を紹介するというほどだから、寧子はもう受け入れているのかもしれない。
夜鷹はまだ、そこまでの気持ちの整理はできていない。
「今日は昭晶様、ずっとこうなんだろうか」
「どうかしら」
御簾の前で正座し、静かに目を伏せている。月の光に照らされた寧子の肌はいつになく透き通っている気がして、夜鷹はそっと視線をそらす。
こうやって静かに座っている寧子は、まるで貴人のようだ。牛目の教育あってのことだろう。初めて夜鷹の中に「綺麗」という言葉が出てくる。
昭晶も大人びた雰囲気を出していたし、寧子もそうだ。
自分だけ、永遠に子供な気がしてならない。
寧子がもう今日の話を受け入れているのだとしたら、寧子は自分よりずっと大人だと思う。
月を見ながらもぞもぞとしていると、急に寧子が立ち上がる。えっ、と声が出た。
「昭晶様。今日は何か語りましょうか」
反応がなかったので、寧子は黙って御簾を上げはじめた。突然のことに、夜鷹は腰を浮かせる。
「お、おい」
寧子を止めようとしたのだが、手を振り払われてしまった。
「昭晶様……あっ」
小さな悲鳴が響く。夜鷹も寧子と一緒に部屋の中を見た。
そこにいると思っていた昭晶がいないのだ。姿がどこにもない。わけが分からず、呆然としていると、寧子の手が尻を思いっきり叩いた。
「すぐ! すぐ探すのよ!」
探して来なさいと言われ、宮を飛び出した。