2章

 屋敷に戻ると、牛目と、美しい着物に身を包んだ女性が一人いた。その後ろ姿で、すぐに誰なのか分かった。
 育ての親である香花だ。飾りの多いかんざしは昔から変わらない。
 突然のことで驚き、声が出なかった。こんなところに来ていいような人ではない。
 夜鷹の姿を見るなり、香花が駆け寄ってくる。
「まあ!」
 華奢な手が夜鷹の頬を包んだ。昔と変わらない、ひんやりとした手だった。
「院を出てから一年とちょっとかしら。随分と大きくなって」
 顔が随分と近いな、と思った。それでようやく、自分の背丈がそれなりにあることを知った。
「あの、なぜ」
「なぜって。元服の話をしに来たのですよ。わたくしは育ての母ですが、あなたを見つけたのは牛目ですからね。牛目の考えを聞こうと思って」
 牛目のほうを見ると、困ったような顔をして頭を引っ掻いていた。香花には頭が上がらないのだろう。
 昭晶の話にも少し驚いていたが、まさか自分も、今日この話があるとは思っていなかった。
「今日は、昭晶様のほうにいなければならないのでは……」
「あの子には血の繋がる父親がいますから」
 簡単に言われてしまった。彼女にとっては些細なことなのかもしれない。やはりこの人のことはよく分からないなと思ってしまう。
「院の子どもたちが院を出ても無事にやっていけているのか、こうやって見て回ることもあるのです。特にあなたは……」
 視線が持っている武器にいく。
 危険と隣り合わせの夜廻に所属しているから、心配なのだと言いたいのだろう。
「先程、牛目と少しだけ話をしたのですが。あなたの元服は、この夏のうちにと考えているそうです。寧子が夏生まれなので、寧子の裳着と一緒にするそうですね」
「え」
 反応したのは、近くにいた寧子だった。そんなの聞いていない、という顔をしている。
「わたくしは出席できないのですが、お祝いはまた持ってこさせます。欲しいものがあれば言うのですよ」
「いえ、いいです」
 夜鷹はきっぱりと言った。もうこれ以上、香花に世話になるつもりはない。
「それより、昭晶様の元へ行ってやってくれませんか。今日は王様から大切な話があると聞いています」
「あなたがそう言うのなら、そうしましょう。では、牛目。夜廻には期待しておりますよ」
 一礼した牛目は、頭を上げるなり、寧子に謝った。
「すまん、もう少し早めに話しておくべきだった」
「そうね。そうすべきだと思うわ。夏って言うけど、もう夏は始まってしまっているし。突然すぎるのはよくないわよ」
 それだけ言って、寧子はどこかに駆けていってしまった。
 怒っていたのか、泣いていたのか、夜鷹には分からなかった。そのことを藤六に話すと、ぽりぽりと頭をかきながら溜息をついた。
「牛目も上手くやりゃあいいのに。明日から大人で、大人と同じように生きていけ、と言われりゃあなあ。気持ちの準備ってのもいるだろ」
「俺は特に何も変わらないから、ぴんとこないです」
「そうだな、夜鷹はそうかもしれん。そもそも、貴人ではない夜鷹には式はいらないんだ。そこを香花様と頭領がやるって話だろ」
 そうだったのか。
 だが、自分の式をする理由が分からない。特別扱いしてほしくて、夜廻に入ったのではないのだから。
 牛目から直接話を聞こうと思い、屋敷の中に入った。
 広い部屋の中、彼は一人、うなだれていた。
「あの」
「あ、ああ。夜鷹か。ここは居心地悪いだろう」
「ここでいいです。俺にそこまでしてくれなくてもいいって言いたくて」
「俺は次のことを考えているんだよ」
 牛目は小さく溜息をついた。
「夜廻の仕事をしている以上、いつ死ぬか分からない。俺が死んだあとのことを思って、そうするんだ。夜鷹だからとか、そういう理由でするのではない。夜鷹を次の頭領に考えているから、そうするんだ」
「え、あの、それはどういう」
 こういうことを、寝耳に水というのだろう。
「こちらの都合で申し訳ないが、次の頭領は夜鷹がいいと思っているんだ。これは俺だけの意見ではない。藤六たちも含めた意見だ。王族である香花様、昭晶様と繋がりが深く、若いからこれからの経験も多くなるだろう。お前が一番適していると思っている」
「でも、もっと強い人って、いますよね」
「ただ強いだけでは駄目なんだ。俺は力だけでここにいるが、これからはそうはいかない。この組織も、随分と大きくなった。この都にとって、なくてはならないほどにな。香花様は、俺たちにもっと強力な組織になることをお求めになられている。だから期待されているんだ」
 後ろ盾は大きいほうがいいということだろうか。
 今の話で、牛目は自分のために式をしてくれようとしているのではなく、組織のこれからのためにしようとしていることが分かった。
 自警組織としてではなく、国の組織へと変わろうとしているのだ。
 なるほど、と思う。
 だから昭晶は嫌がっていたのだ。元服、お祝いだと言いながら、全部、大人の都合でやっているんじゃないかと。
 星と共にここではないどこかに行きたい――そう言う昭晶の気持ちが、今やっと分かった。
 長屋に戻ってもいい気持ちで眠ることはできず、早めに布団から抜け出し、ぶらぶらと外を歩いていると、寧子の姿を見かけた。
 話しかけようと思ったのだが、寧子の目元が赤くなっているような気がして、ただ見送ることしかできなかった。
 出勤の際も、二人は道中、ずっと黙っていた。
 この日は珍しく、昭晶も御簾を下ろしたままにしていて、夜は沈黙から始まった。
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