2章
「何か考え事でもしているのか」
星空から視線を落とす。昭晶が心配そうに夜鷹を見つめていた。
「いや」
「分かった。気になる女ができたんだ。違うか」
「違う。暑くてぼうっとしていただけだよ」
「わたしがいるのに?」
その言葉にはっとした。慣れというのは怖い。貴人が隣にいるのに、呆けていたなんて。
そろそろ戻ろうかと提案してみたが、昭晶は横に首を振った。もう少し、丘にいたいようだ。
昭晶の下についてから数ヶ月が経ち、季節は夏へと変わった。夜鷹の着ているものは特に変わらないが、昭晶は薄手で手触りのよい布を使った着物に変わっている。
この丘は心地よい風がよく吹く。暑苦しい日は決まってここに来ていた。
昭晶はあれから、探し人の話は何もしなかった。そこまで重要な話ではなかったのだと思って、夜鷹もあまり本気になって探していない。
出会ったときはやや幼い印象を受けたのだが、ここ最近になって、昭晶からはどこか大人びた雰囲気を感じる。着ているものが変わったのもあるだろうし、少し背が伸びたような気がしたのだ。
それは夜鷹も同じなのだが、自分のことに関しては鈍感だった。
「昭晶から女の話をしてくるとは思ってなかった」
「今までしたことなかったから。でも、そろそろ、そういう話があってもいい頃ではないのか。わたしは夜鷹のそういう話を聞いてみたいのだが」
夜鷹はつい笑ってしまった。何を期待されているのだろう。
「あのな。寝て起きたら稽古、夜は昭晶のお守り。そんなことができる時間なんてあるか」
「夜廻には寧子以外にはいないのか」
「いないよ。寧子は例外だし。いたとしても、俺はまだそんな気分じゃないなあ」
「なんだ。つまらないな」
そろそろ帰ろう、と言おうとしたところで、昭晶は他愛のない話を切り出してくる。
今日の食事はいつもよりも質素だったとか、庭に咲いている花がどうのこうのだったとか、いまいち髪のまとまりが悪かったとか。
じりじりと焦りが出てきて、話を遮ろうとした時だった。
「今日は帰りたくない気分なんだ」
「とは言ってもなあ」
「分かっている。無理な話だって」
よっぽど帰りたくないのか、昭晶は草の上に腰を下ろしてしまった。夜が明けるまでもう時間がない。
「何かあるのか」
「父上からお呼びがかかった。なんとなく予想はしている。わたしの元服と、結婚の話だ」
膝の上に顎を乗せ、ゆっくりと打ち明けた。
「そろそろだとは思っていた。兄上たちも十五の時に元服し、結婚もしていたから」
「喜ばしい話じゃないのか」
「喜ばしい話なのだろう。普通は。でも、わたしはそうは思わない。夜鷹と共にここに来ることもなくなってしまうし、寧子の語りも聞けなくなる。なぜ見知らぬ女と一緒にならなければならないのか。それが嫌だ」
たった数ヶ月、夜を共に過ごしただけなのに、ここまで慕われているとは思わなかった。
身分が違うがゆえに、慰めの言葉はかけてやれなかった。昭晶よりは自由な人生を送れる自分が何を言っても嫌味にしか聞こえないだろうと思ったからだ。
夜鷹はしゃがみこむ昭晶の肩に手を置いた。
「また今晩、話を聞くよ。ここに来よう。今日これからすぐ結婚するってわけじゃないんだろう?」
立ち上がった昭晶は名残惜しそうに夜空を見上げた。もう星の数は少なくなってきている。
「星と共にここではないどこかに行きたくなる」
「昭晶」
「分かった。帰ろう」
星宮に着いた頃には、すっかり空は明るくなっていた。寧子は腰に手を当て、二人を待ち構えていた。
夜鷹の尻を叩く寧子の力も、ますます強くなっている。一体、彼女は父親から何を教わっているのだろう。護身術を身につけているとは聞いているのだが。
「なあ、寧子。急に結婚しろって言われたらどう思う?」
帰り際、突然そう聞いた夜鷹に、寧子はぎょっとした。
「何よ、急に」
「いや。昭晶様が、このあと、そういう話があるって言ってたんだ」
「喜ばしい話じゃないの。私は嫌だけどね。自分では選べないとは分かっているけれど、少なくとも、顔見知りの人がいいわ」
「寧子もか。だったら、嫌な人のほうが多いんじゃないか。昭晶様も嫌って言ってた」
「それもそうかもね。でも、嫌でも、皆そうしてきたわ。私も、いざお父様にそうしろって言われたら、怒ったり泣いたりするかもしれないけど、そのうち受け入れちゃうと思う。これまでもずっと、大人たちはそうしてきたのだから」
それは諦めなのではないだろうか。
そう言おうとしたが、やはり、何も言えなかった。
自分には血のつながる親はいないからだ。だから寧子の気持ちのすべてを理解することはできない。夜鷹には諦めのように思えるが、寧子は諦めとはまた何か違うものなのかもしれなかった。
自分はどのように元服するのかすら、夜鷹は分かっていなかった。一体、誰に決められ、誰の元で大人になるのだろう。
孤児院にいた姉や兄たちは、どうしていたのだろうか。それすら夜鷹は知らなかった。
星空から視線を落とす。昭晶が心配そうに夜鷹を見つめていた。
「いや」
「分かった。気になる女ができたんだ。違うか」
「違う。暑くてぼうっとしていただけだよ」
「わたしがいるのに?」
その言葉にはっとした。慣れというのは怖い。貴人が隣にいるのに、呆けていたなんて。
そろそろ戻ろうかと提案してみたが、昭晶は横に首を振った。もう少し、丘にいたいようだ。
昭晶の下についてから数ヶ月が経ち、季節は夏へと変わった。夜鷹の着ているものは特に変わらないが、昭晶は薄手で手触りのよい布を使った着物に変わっている。
この丘は心地よい風がよく吹く。暑苦しい日は決まってここに来ていた。
昭晶はあれから、探し人の話は何もしなかった。そこまで重要な話ではなかったのだと思って、夜鷹もあまり本気になって探していない。
出会ったときはやや幼い印象を受けたのだが、ここ最近になって、昭晶からはどこか大人びた雰囲気を感じる。着ているものが変わったのもあるだろうし、少し背が伸びたような気がしたのだ。
それは夜鷹も同じなのだが、自分のことに関しては鈍感だった。
「昭晶から女の話をしてくるとは思ってなかった」
「今までしたことなかったから。でも、そろそろ、そういう話があってもいい頃ではないのか。わたしは夜鷹のそういう話を聞いてみたいのだが」
夜鷹はつい笑ってしまった。何を期待されているのだろう。
「あのな。寝て起きたら稽古、夜は昭晶のお守り。そんなことができる時間なんてあるか」
「夜廻には寧子以外にはいないのか」
「いないよ。寧子は例外だし。いたとしても、俺はまだそんな気分じゃないなあ」
「なんだ。つまらないな」
そろそろ帰ろう、と言おうとしたところで、昭晶は他愛のない話を切り出してくる。
今日の食事はいつもよりも質素だったとか、庭に咲いている花がどうのこうのだったとか、いまいち髪のまとまりが悪かったとか。
じりじりと焦りが出てきて、話を遮ろうとした時だった。
「今日は帰りたくない気分なんだ」
「とは言ってもなあ」
「分かっている。無理な話だって」
よっぽど帰りたくないのか、昭晶は草の上に腰を下ろしてしまった。夜が明けるまでもう時間がない。
「何かあるのか」
「父上からお呼びがかかった。なんとなく予想はしている。わたしの元服と、結婚の話だ」
膝の上に顎を乗せ、ゆっくりと打ち明けた。
「そろそろだとは思っていた。兄上たちも十五の時に元服し、結婚もしていたから」
「喜ばしい話じゃないのか」
「喜ばしい話なのだろう。普通は。でも、わたしはそうは思わない。夜鷹と共にここに来ることもなくなってしまうし、寧子の語りも聞けなくなる。なぜ見知らぬ女と一緒にならなければならないのか。それが嫌だ」
たった数ヶ月、夜を共に過ごしただけなのに、ここまで慕われているとは思わなかった。
身分が違うがゆえに、慰めの言葉はかけてやれなかった。昭晶よりは自由な人生を送れる自分が何を言っても嫌味にしか聞こえないだろうと思ったからだ。
夜鷹はしゃがみこむ昭晶の肩に手を置いた。
「また今晩、話を聞くよ。ここに来よう。今日これからすぐ結婚するってわけじゃないんだろう?」
立ち上がった昭晶は名残惜しそうに夜空を見上げた。もう星の数は少なくなってきている。
「星と共にここではないどこかに行きたくなる」
「昭晶」
「分かった。帰ろう」
星宮に着いた頃には、すっかり空は明るくなっていた。寧子は腰に手を当て、二人を待ち構えていた。
夜鷹の尻を叩く寧子の力も、ますます強くなっている。一体、彼女は父親から何を教わっているのだろう。護身術を身につけているとは聞いているのだが。
「なあ、寧子。急に結婚しろって言われたらどう思う?」
帰り際、突然そう聞いた夜鷹に、寧子はぎょっとした。
「何よ、急に」
「いや。昭晶様が、このあと、そういう話があるって言ってたんだ」
「喜ばしい話じゃないの。私は嫌だけどね。自分では選べないとは分かっているけれど、少なくとも、顔見知りの人がいいわ」
「寧子もか。だったら、嫌な人のほうが多いんじゃないか。昭晶様も嫌って言ってた」
「それもそうかもね。でも、嫌でも、皆そうしてきたわ。私も、いざお父様にそうしろって言われたら、怒ったり泣いたりするかもしれないけど、そのうち受け入れちゃうと思う。これまでもずっと、大人たちはそうしてきたのだから」
それは諦めなのではないだろうか。
そう言おうとしたが、やはり、何も言えなかった。
自分には血のつながる親はいないからだ。だから寧子の気持ちのすべてを理解することはできない。夜鷹には諦めのように思えるが、寧子は諦めとはまた何か違うものなのかもしれなかった。
自分はどのように元服するのかすら、夜鷹は分かっていなかった。一体、誰に決められ、誰の元で大人になるのだろう。
孤児院にいた姉や兄たちは、どうしていたのだろうか。それすら夜鷹は知らなかった。