妊娠・出産レポ

 三月。
 妊娠三ヶ月目にあたる。カレンダーと月数が同じなのは分かりやすくていいなあと、めまいと戦いながら思っていた。
 この時期は食塩入りトマトジュースを飲み、いつもの食事をほんのちょっぴり食べていた。家事は基本、休職中の夫がしてくれていたので、彼が作ってくれたものを食べていた。吐くことはなく、たまにえずく程度の吐き気だった。空腹になるとちょっとムカムカするので、夜、寝る前におにぎりを食べたりもしていた。
 食に関しては、量が少なくなっただけで、とりわけ困ったことはなかった。
 幼稚園からの依頼で、卒園式のピアノを担当することになった。めまいはあるものの、動けはするので、仕事も引き続き行っていた。
 昨年の夏から関わっていた園児たちが一生懸命練習している様子には、感慨深いものがあった。伴奏そのものはそこまで難易度が高いものではなかったので緊張もしておらず、本番をとても楽しみにしていた。
 本番から五日前の月曜日、夫が突然、嘔吐下痢症を発症する。恐らく、義実家でもらってきたのだろう。この時期、感染性胃腸炎が流行っていた。彼も恐らくそれだった。
 病院で点滴をしてもらうレベルだったので、自分は実家に避難することにした。卒園式もあるし、そもそも妊娠中だし、感染は避けたかった。
 日中、一度だけアパートに帰り、飲み物やゼリーを補充していたのだが、それがよくなかったのだろう。
 卒園式前日の夜、自分も見事に発症した。
 母が唐揚げを作ってくれていたのだが、唐揚げ一つしか食べられなかった。直前におやつを食べていたので、そのせいかなと思っていたのだが、その後、猛烈な腹痛に襲われる。
 十九時頃、お腹を温めたら治るかなと思って風呂に入ってみるものの、治らなかった。その二時間後、つわりでは絶対に吐かなかったのに、ついに吐いた。
 一度きりなら良かったのだが、それから朝まで一時間に一回は嘔吐することになる。涙と鼻水で顔面崩壊しながら便器に爪を立て、顔を突っ込んでいた。
 両親は青森に旅行に行く予定で、もしノロウイルスなら移してはいけないと思い、既に回復済みの夫を呼んで迎えに来てもらった。
 二十三時頃、半泣きで幼稚園の主任に連絡をし、卒園式は行けないことを伝えた。本当に悔しかった。実家に礼服、靴、化粧道具などをきっちり運んで準備していたのに、この結果である。何回も練習もしたのに、この結果である。先生から「無念だと思いますが、体調を優先してください」と優しい返事をもらい、余計に悔しかった。多分、一生忘れられないと思う。
 とにかく胃が痛い。下痢症状はなく、嘔吐が続く。OS1を飲んでも吐いてしまう。一時間寝ては吐き、一時間寝ては吐きを繰り返しているうちに、胃液だけが出るようになった。
 あまりにもしんどいので、深夜に産科に電話をし、指示をもらった。先に内科に行ってくれとのことだった。
 めまいはするし、吐くし、胃は痛いし、熱は出るし、もう散々である。
 翌朝、パジャマのまま、近所のかかりつけ医の元に行った。夫と同じ胃腸炎で、プラス便秘。妊娠しているということで、先生が直接産科に電話をし、処方する薬を決めてもらった。耳鼻科にかかった時もそうなのだが、病院と病院が連携してくれるってありがたいなと思った。
 点滴をしてもらったのと、下剤を処方してもらった。人生初の下剤である。この下剤とは、今後、長い付き合いになる。
 一日二日も経てば嘔吐は止まった。下剤は一回だけ使った。
 でも胃痛が良くならなかった。波のない胃痛で、ずっと痛い。胃というか、みぞおち辺りがキリキリしてどうしようもなかった。泣きたいくらい痛かった。波がないから休憩時間がない。泣かなかったけど。強い倦怠感もあり、三月後半の勤務はなしにしてもらった。
 産科に行くと、やっぱり便秘が原因と言われる。とにかく下剤で出してと言われ、胃薬も処方してもらった。
 ここから、だいたい三日おきに下剤を飲むことになる。泣きたくなるレベルの胃痛も収まった。
 この胃腸炎と、三月後半の強い倦怠感が最もしんどかった。めまいと合わさって大変だった。妊娠初期で最もしんどかった時期である。
 母子手帳をもらった。表紙はディズニーのイラストで可愛らしい。中を見てみると「妊娠中の様子を書き残しておきましょう」みたいなページがあった。母子手帳はいずれ、子どもに渡すことになる。子どもに見られるのはちょっと恥ずかしくて、このページは未記入にしておくことにした。
 妊娠中どうだったかと聞かれたら、この記録でも読ませようかと思う。そのつもりで書いている。
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