お隣のおともだち

 とりあえず、うちの工場で作っているチョコクロワッサンを食べてみようと、二人で売店に行った。他の従業員も同じことを思っていたのか、数は少なかった。
 しょうがないよね、と言いながら、いつものシンプルなクロワッサンも追加で買う。
「ここで売れてるんだったら、やっぱり外でも売れてるんでしょうね」
「だろうね。売れるのはいいことだよ。私たちの生活も潤うから」
「確かに」
 ほんと、いい会社よね〜、と二人で笑った。
 試食会は、私の部屋で行うことになった。いつものように、クロワッサンをトースターの中にいれる。カフェオレは、豊崎さんが作ってくれることが増えた。豊崎さんはもううちのキッチンを把握している。
 夜勤明けで空っぽの胃にまず入れるのは、チョコクロワッサンだ。
 チョコが溶けない程度に温め、二人でせーので口に入れた。
「……どうですか」
「どうって言われても」
「なんか、チョコ足りないことないですか」
「言われてみれば」
 思ったより甘くない。チョコ自体がそこまで甘くないというのもあるかもしれないが、確かに彼女が言うように、量が少ない気がする。薄っぺらいチョココーティングだった。
 見栄えはいいけれども、味は普通。これだったらいっそ、シンプルなクロワッサンのままで食べたほうがいい。
「チョコはやっぱりたっぷりないと駄目ですよ」
「チョコクリーム、買ってこようか。パンにつけるやつ」
「あ、じゃあ、いっそ自分たちでそれも作ってみませんか?」
 上着をひっつかみ、私たちはスーパーへ向かった。製菓コーナーにたくさんのチョコや生クリームがあったので、どんどんとカゴに入れていく。
 ついでにいちごも載せちゃえ、バナナにもチョコかけちゃえ、とフルーツも増えていた。
 帰って、まずチョコクリームを作った。溶かしたチョコをたっぷりとクリームに入れていく。胃もたれしそうな量だった。でもそれがいい。
 クロワッサンにたっぷりのクリームを塗り、フルーツには竹串をさしてディップできるようにした。
 テーブルのど真ん中にクリームの入ったボウルを置き、その脇にクロワッサンとフルーツを用意する。
 殺風景な私の部屋が、それだけですごく華やかになった。
「わあ、すごい。女子会みたい」
 豊崎さんはぱちぱちと拍手する。その仕草が、とても女の子らしかった。本当に、今を楽しんでいる若い女の子って感じ。
 一方の私は、胃もたれしないか、とか、フルーツが痛む前に食べ切れるか、とか、そういうことを思っていた。豊崎さんの若い感性についていけない、三十の私。
 体に悪いことが幸せに繋がるんだと言いながらも、どこかでやっぱり体のことを心配している。
 写真撮るならどうぞ、と声をかけると、豊崎さんは首を横に振った。
「こういうのは、自分の目で見て、記憶に焼き付けておくタイプなんで」
「そうなんだ」
 それには、同感。
 さっそくクロワッサンにたっぷりのクリームをつけた。思ったよりもクリームは軽い。杞憂だった。これならぱくぱく食べられそうだ。
 いちごのさっぱりとした甘さにもチョコが合うし、バナナの香りと一緒に食べるチョコもとても美味しい。自分が思っている以上に食べられたと思う。
 一方の豊崎さんは、手が止まらなかった。
 私たちは黙々と食べた。本当に美味しいものを食べる時、人間は黙るのだ。
 クロワッサンも、フルーツも、チョコクリームも、すべてなくなった。もう今日一日、何も食べなくて済むくらいには食べた。
「なんか夢みたいな空間ですね。こんなにチョコまみれになるなんて」
 豊崎さんが、お腹をさすりながら笑った。
「お友達とこういうことしてみたかったんですよね、昔から」
「え」
「家が厳しくて。お菓子とかもあんまり食べれなくて。お腹いっぱい、甘いの食べるのが夢だったんです」
「いや、そうじゃなくて……そうじゃないけど」
「え?」
「私って、友達って認識されてたの? ただの隣人で、職場の先輩じゃなくて?」
「ええ、こういうことをするのは友達じゃないんですか? すみません、私。友達の家に行ったこともないし、友達を呼んだこともなくて……違いました? 失礼だったかな」
 慌てる豊崎さんに、私は手を横に振った。
「ごめん、ごめん。なんか。こういうのが友達だっていうの、忘れちゃってたから。それに、ほら。年齢もかなり離れてるし」
「そんなの気にしませんよ。黒渕さんは私の友達です。これからも友達でいてください」
 突然の告白に、私は面食らった。
「そんなのいいよ。また遊ぼう」
 豊崎さんが自分の部屋に戻る時、私は「またね」と言った。
 いつぶりだろう。またね、なんて。
 大人になると、友人というものをかなり失う。
 古い友人は、気がつけばかなり遠いところにいた。職を持ち、結婚し、子を産み、それまであった交流がぱたりと消える。
 社会人になってから、友人をつくることが難しくなった。人との繋がりは消えたりはしないが、それは先輩、後輩、同僚といったものであり、なかなか友人とは呼べないものだった。
 さみしくはないが、でも、埋まらない何かがあった。欠けていた、友情だったのだ。
 豊崎さんは、隣人であり、後輩でもある。でも、それ以上に、友人としてずっと関わっていきたい。
 私たちは何歳になっても、こうやって、楽しく過ごすことができるはずだ。
 
5/5ページ
スキ