お隣のおともだち
お隣さんとの交流は、突然始まった。
ある秋の日。仕事から帰ると、私の部屋の前に見知らぬ女の人が立っていた。その人が隣に住んでいる住人であることを知らず、私は瞬時に警戒モードに入った。
派手な容姿をしていた。ピンク色の髪、短いスカート、ばさばさのまつ毛、真っ赤な唇。若々しく見えるし、童顔だし、背も低いから、大学生のようにも見えるし、高校生のようにも見える。要するに、初見では年齢がはっきりしなかった。
その人は、私を見るなり、部屋の中を指さした。ネイルしてある長い爪がとてもよく目立っていた。
「あの、この部屋の人ですか? 目覚まし、ずうっと鳴ってて……、うるさくて」
「あっ、すみません!」
バタバタと慌てて部屋に入り、ベッドの脇にあった目覚まし時計を止める。夕方出勤の日のための目覚ましで、オフにするのを忘れていたのだ。けたたましい音で「ジリリリリ」と鳴るタイプのものだった。
止めたあとに、ふと思った。
防音がしっかりしているアパートにも関わらず、この目覚まし時計がうるさいと言ったということは、隣が上の階に住んでいる可能性がある。ここは一階だから、範囲は絞られる。
申し訳なく思い、すぐに外に出てみたが、彼女はもういなかった。
その次に会ったのは、それから数日後のことである。彼女はまた玄関ドアの前にいた。
「どうしましたか?」
声をかけると、少し戸惑った様子をしていた。焦っているようにも見える。
「あ、あの。その。庭に男の人がいたから」
「え」
またしてもバタバタと部屋に入り、外に干していた衣類を確認する。
まんまと盗まれていた。男性用の下着もダミーで干していたにも関わらずだ。私のお洒落っ気のないパンツが盗まれていた。
このマンション、塀はあるものの、とても低く、侵入しようと思えばできるところだった。可能性はゼロではないと思ってはいたが、それでもショックなものはショックだ。
庭先でうなだれていると、彼女が玄関から話しかけてくる。
「彼氏かと思ったんで、声かけることができなくて……、外から覗いたら、バレちゃって、逃げられました」
すみません、と謝る彼女に、私は両手を振った。
「いえ、ありがとうございます。すみません、わざわざ。怖かったでしょ。またお礼しに行きます」
「いえ、わたし、何もできなかったし」
「お部屋はどこですか?」
「……隣です。102号室」
あまりにもしつこいから、渋々答えた、みたいな感じだった。
豊崎海さんというらしい。海と書いて、まりんと読むんだそうだ。成人したての社会人なのだと言った。何の仕事をしているのかは分からないけど、見た目で想像するようなことではない。
彼女が自分の部屋に戻る間際に、私は付け足しておいた。
「私、彼氏いませんから」
「え、あ……すみませんでした」
見た目の派手さとは裏腹に、人見知りなのかもしれない。ぺこ、と頭を下げる。
「違う違う。そうじゃなくて。男がいたら、警戒しなさいよってこと。確か、103の人も独身の女性だったと思う。つまり、一階には男はいないのが普通なのよ。管理人と警察には言っておくけど、豊崎さんも気を付けてね」
「はい」
思ったよりも、素直でいい子なのかもしれない。少しだけ会話しただけでも、そう思った。
お礼は、職場で作っているパンの詰め合わせにした。
三十路の独身、工場勤め。正社員ではあるけれど、これだけだと、あんまり自慢できないプロフィールである。けれども、私が勤めている工場のパンは美味しい、これだけは自慢できる。だから私はこの仕事を辞められない。
濃厚なバターの香りがするクロワッサン。これがたまらなく美味しいのだ。
だから、すぐに決まった。お礼はこれにしようと。
夜勤のあと、工場の隣にある直売所でギフト用の箱にクロワッサンといちごジャムを詰めてもらい、帰宅してすぐに豊崎さんの部屋に向かった。
呼び鈴を押すと、すぐに豊崎さんが出てくる。今まで眠っていたのか、もこもこのパジャマ姿で出てきた。ピンクの髪もぐちゃぐちゃだった。
化粧をしていなくても肌がきれいで、心底羨ましくなる。世間を知らないあの頃に戻りたい気持ちはないが、その若々しさはやっぱりかけがえのないものだ。
「ふぁい……あっ」
「ごめん、寝てました?」
「今起きたとこです……」
「じゃあ、これ。朝食にでもしてください。前のお礼です。私の職場で作ってるクロワッサン。焼いたほうが美味しいので、焼いて食べて」
ありがとうございました、と言って、すぐに自分の部屋に戻ろうと踵を返した時だった。
「あ、あの、うちに、トースターなくて……」
申し訳ないように言う豊崎さんが、なんだか子どもっぽくて、ちょっとかわいいなと思った。
「じゃ、うちの部屋で焼いて食べたらいい。おいで」
この誘いをするにあたって、なんの躊躇いもなかった。
ある秋の日。仕事から帰ると、私の部屋の前に見知らぬ女の人が立っていた。その人が隣に住んでいる住人であることを知らず、私は瞬時に警戒モードに入った。
派手な容姿をしていた。ピンク色の髪、短いスカート、ばさばさのまつ毛、真っ赤な唇。若々しく見えるし、童顔だし、背も低いから、大学生のようにも見えるし、高校生のようにも見える。要するに、初見では年齢がはっきりしなかった。
その人は、私を見るなり、部屋の中を指さした。ネイルしてある長い爪がとてもよく目立っていた。
「あの、この部屋の人ですか? 目覚まし、ずうっと鳴ってて……、うるさくて」
「あっ、すみません!」
バタバタと慌てて部屋に入り、ベッドの脇にあった目覚まし時計を止める。夕方出勤の日のための目覚ましで、オフにするのを忘れていたのだ。けたたましい音で「ジリリリリ」と鳴るタイプのものだった。
止めたあとに、ふと思った。
防音がしっかりしているアパートにも関わらず、この目覚まし時計がうるさいと言ったということは、隣が上の階に住んでいる可能性がある。ここは一階だから、範囲は絞られる。
申し訳なく思い、すぐに外に出てみたが、彼女はもういなかった。
その次に会ったのは、それから数日後のことである。彼女はまた玄関ドアの前にいた。
「どうしましたか?」
声をかけると、少し戸惑った様子をしていた。焦っているようにも見える。
「あ、あの。その。庭に男の人がいたから」
「え」
またしてもバタバタと部屋に入り、外に干していた衣類を確認する。
まんまと盗まれていた。男性用の下着もダミーで干していたにも関わらずだ。私のお洒落っ気のないパンツが盗まれていた。
このマンション、塀はあるものの、とても低く、侵入しようと思えばできるところだった。可能性はゼロではないと思ってはいたが、それでもショックなものはショックだ。
庭先でうなだれていると、彼女が玄関から話しかけてくる。
「彼氏かと思ったんで、声かけることができなくて……、外から覗いたら、バレちゃって、逃げられました」
すみません、と謝る彼女に、私は両手を振った。
「いえ、ありがとうございます。すみません、わざわざ。怖かったでしょ。またお礼しに行きます」
「いえ、わたし、何もできなかったし」
「お部屋はどこですか?」
「……隣です。102号室」
あまりにもしつこいから、渋々答えた、みたいな感じだった。
豊崎海さんというらしい。海と書いて、まりんと読むんだそうだ。成人したての社会人なのだと言った。何の仕事をしているのかは分からないけど、見た目で想像するようなことではない。
彼女が自分の部屋に戻る間際に、私は付け足しておいた。
「私、彼氏いませんから」
「え、あ……すみませんでした」
見た目の派手さとは裏腹に、人見知りなのかもしれない。ぺこ、と頭を下げる。
「違う違う。そうじゃなくて。男がいたら、警戒しなさいよってこと。確か、103の人も独身の女性だったと思う。つまり、一階には男はいないのが普通なのよ。管理人と警察には言っておくけど、豊崎さんも気を付けてね」
「はい」
思ったよりも、素直でいい子なのかもしれない。少しだけ会話しただけでも、そう思った。
お礼は、職場で作っているパンの詰め合わせにした。
三十路の独身、工場勤め。正社員ではあるけれど、これだけだと、あんまり自慢できないプロフィールである。けれども、私が勤めている工場のパンは美味しい、これだけは自慢できる。だから私はこの仕事を辞められない。
濃厚なバターの香りがするクロワッサン。これがたまらなく美味しいのだ。
だから、すぐに決まった。お礼はこれにしようと。
夜勤のあと、工場の隣にある直売所でギフト用の箱にクロワッサンといちごジャムを詰めてもらい、帰宅してすぐに豊崎さんの部屋に向かった。
呼び鈴を押すと、すぐに豊崎さんが出てくる。今まで眠っていたのか、もこもこのパジャマ姿で出てきた。ピンクの髪もぐちゃぐちゃだった。
化粧をしていなくても肌がきれいで、心底羨ましくなる。世間を知らないあの頃に戻りたい気持ちはないが、その若々しさはやっぱりかけがえのないものだ。
「ふぁい……あっ」
「ごめん、寝てました?」
「今起きたとこです……」
「じゃあ、これ。朝食にでもしてください。前のお礼です。私の職場で作ってるクロワッサン。焼いたほうが美味しいので、焼いて食べて」
ありがとうございました、と言って、すぐに自分の部屋に戻ろうと踵を返した時だった。
「あ、あの、うちに、トースターなくて……」
申し訳ないように言う豊崎さんが、なんだか子どもっぽくて、ちょっとかわいいなと思った。
「じゃ、うちの部屋で焼いて食べたらいい。おいで」
この誘いをするにあたって、なんの躊躇いもなかった。
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