6章

 エリアスたちは森の入り口に降りた。
 鬱蒼とした森の木々は、外の者を誰一人として入らせないかのように、枝々を絡ませ、葉を茂らせていた。木々にこうさせているのは、エルフたちだ。エルフたちの魔法により、木々は自由に枝を伸ばすことができなくなっていた。
「俺が変われば、森も、エルフも変わる。俺はエルフの王としてここに戻ってきた」
 エリアスは手を木々に向かって伸ばした。
 木々が震える。
 木々は、エリアスを迎えてよい者なのか、迎えてはいけない者なのかを判別できないでいた。
 迷う木々に、エリアスは声を上げた。
「俺は夜の愛し子、エルフの王、エリアスだ! 魔法を携えて帰ってきた! 道を開けよ!」
 その高らかな宣言に、木々はしずしずと頭を垂れるかのように絡ませていた枝々を解く。
 王よ、おかえりなさい、と言わんばかりに、広々とした道を開いた。その道には、木々は一本すら立っていない。エリアスのために、脇に避けてくれていた。魔法の森は、王の声一つで姿を変えた。
 その道を往こうとするエリアスの腕を、ゲルダは引き止めた。
「私は……私は、入っちゃ駄目だよ」
「なぜだ」
「だって」
 自分はエリアスの魔法を一度奪った者だ。エルフたちが自分をどんな目で見るかは、想像がつく。ここから先は、エリアスとハルムだけで行くべきだと、ゲルダはエリアスに言った。
 しかし、エリアスはゲルダの腰に手をやり、森に迎え入れた。
「森が変わるためには、ハルムとゲルダが必要なんだ。だから、来てくれ」
 エリアスの導きのままに、ゲルダは森に足を踏み入れる。
 エリアスの顔をそっと見ると、エリアスは唇を噛みしめていた。ハルムもじっとエリアスの肩に座っている。
 紅玉の間の前には、二人のエルフが槍を携えて、まるで門番のように立っていた。
 ゲルダの姿を見た瞬間、門番は呪文を唱え、槍を召喚し、ゲルダに向かって突き出してくる。
 しかし、その槍は、見事に真っ二つに折れ、槍先が地面に落ちてしまった。
「ゲルダに刃を向けるな。俺が招き入れたんだ」
 エリアスの命令に、二人のエルフは顔を青くさせ、深く一礼をした。
 エリアスの王の威厳に圧倒されていた。
 そのまま紅玉の間に入り、エリアスはツリーハウスを見上げた。自分を閉じ込めていたツリーハウス。ゲルダとの思い出に溢れた家。これからは、王の住まいとなる。
 その前には、叔父オーゲンを含む、家臣7人の姿があった。
 オーゲンが、震えている。
「エリアス、お前、その髪はどうした……、魔法の力がなくなるではないか!」
 死んでいなかったのか、という驚きは、理性で胸の内に留めているようだった。オーゲンの顔は赤く染まっている。
「髪型ごときで俺の魔法は変わりませんよ。それより、叔父上、俺は王として帰ってきました」
 ふと、オーゲンの隣に立っているアントンを見る。
 流石、力のあるエルフである。アントンは、すぐにエリアスの内にある魔法を見抜いたようで、王としてのエリアスに深々と頭を下げていた。
「もう俺に、賢者としての資格を持たない保護者は必要ありません。必要なのは、俺と共に歩んでくれるエルフたちです」
 そのエリアスの言葉に、オーゲンは、魔法を抜き取られたかのように、がくんっと膝を折り、地面に手を着いた。
 エリアスはゲルダとハルムを抱き寄せる。
「俺に世界を見せてくれたのは、この者たちだ。賢者として、我々は森の外を見なければならない。俺はこの森を今日この時から開放し、外の者を招き入れる。そして、俺は、まだ見ぬ世界を見に行く。そうして初めて、我らエルフは、夜の賢者になるのだ」
 紅玉の間に、朝日が差し込む。
 夜明けが訪れた。
 家臣のうち、最も永い年月を生きたエルフが、手の平に朝日を集め、その隣にいた女性のエルフが朝日に負けず最後まで輝いていた星の光を手の平に集めた。その二つの光を混ぜたのは、アントンである。混ざった二つの光を王冠の形に整えたのは、アントンの隣にいた少年のエルフだ。銀色の、星の輝きと朝日の輝きを放つ王冠だった。それは、エリアスの髪の色でもあった。出来上がった王冠をゲルダの元に持ってきたのは、少女のエルフだ。
「我が王に知恵と信じる心を授けてくれた、まじない師の人間。そなたが、我が王を王としてくれたのだ」
 杖を持つ、神官のようなエルフがゲルダに囁いた。
 エリアスは膝を折り、ゲルダの手の中にある冠を待っていた。
「ゲルダ」
 ハルムが促す。
「うん」
 ゲルダは、自分の足が昼に戻りかけているのを見た。つま先から、朝日に溶けかけている。
 これが最後の別れだ。ゲルダは、どんな言葉をかけようか悩んだが、ついに決めた。
「エリアス、私、昼に戻って、立派なまじない師になるために頑張るから。エリアスも、いい王様でいてね。それから、ハルムも、いたずらばかりしてなくて、ちゃんとエリアスの側にいるんだよ。あなたが初めてエルフの森に入った妖精なんだから」
「分かってるわよ! エリアスはちゃんと約束を守ってくれたわ! 私はずっとエリアスといる。ゲルダのこと、ずっと、語り継ぐから……っ!」
 ハルムの目には大きな涙が浮かんでいた。
 ゲルダは頷き、冠をエリアスの頭に置いた。
 エリアスは森と同じ深緑の瞳で、最後までゲルダを見つめた。
「ありがとう、ゲルダ。俺の、最愛のまじない師――」
 その言葉を聞いた瞬間、ゲルダは眠りに包まれた。怖くなかった。寂しくもなかった。ついに昼に戻るんだ。ゲルダは眠りに身を委ね、瞼を閉じた。
8/8ページ
スキ