6章

 「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ! いきなり出ていくことはないじゃないですか。俺の仕事はあなたを一晩守ることなんですから」
 外套と帽子、杖に角笛をひっつかんでローレンがホームから出てくる。
 じっと空を見上げているゲルダに、どうしたんですか、と話しかける。ゲルダはローレンの角笛を掴んだ。
「すぐ吹いて!」
「え、ええ!?」
 突拍子もないことを言われ、ローレンは目を白黒させる。外套と帽子を身につけ、夜警の格好となったローレンは、空を見上げた。
 その星の多さに、愕然とする。
 異変が起きているのは、明らかだった。まるで、夜警団の由来を語る伝説の空のようだ。昼と夜が混ざった時、空には星が溢れ、亡霊が蘇る。
 はっとして、広場を見た。
 伝説を忘れたティルハーヴェンの人々は、好奇な目で空を見上げている。今、何が起こっているのか分かっていない。そのような人々の間に、小さな何かが飛んでいる。妖精だ。不思議な顔をして、人々を躱しながら飛んでいた。
 さらには、小人も姿を現す。人間をすり抜けながら、広場を彷徨い歩いていた。亡霊なのか、小人の街の小人なのか、判断はつかないが、夜の国と昼の国が混ざりだしていることだけは分かる。
 目の前で起きていることが信じられないのか、ローレンは角笛を持ったまま、身じろぎしない。
 そんなローレンの頬を、妖精が撫でた。
「う、うわあ!」
「ちょっと、だから、角笛吹いてってば! 私、持ってないの!」
「わ、分かったよ」
 ローレンとゲルダは人混みをかきわけ、広場の中央にある噴水の縁に登った。ここはティルハーヴェンの中央。ローレンは全夜警に聴こえるように、胸いっぱいに空気を吸い、角笛を鳴らした。
 高らかに鳴る角笛に、飛んでいた妖精はぼとりと地面に落ち、亡霊は顔を歪めて耳を塞ぐ。
 伝説通りだ。夜の国の住民は、本当に角笛の音が苦手なのだ。
 苦痛に体を震わせている妖精や小人には申し訳ないが、角笛を鳴らせば、ある程度、昼と夜の距離は保たれるのではないかとゲルダは考えた。
 混ざってしまった世界を元に戻すまじないは、ゲルダは分からない。夜警が一つだけ手段を持っているのなら、協力してもらうしかなかった。
 角笛の音を聞きつけた夜警たちが中央広場に集まる。その中にはウェイバーもいた。
「ローレン! なんなんだこの騒ぎは。それに、なぜ外に出ている! ゲルダもじゃないか」
 ローレンのカンテラの明かりは点っていなかった。帽子は傾き、焦っているようである。
「空、見てくださいよ。おかしいですよ! それに、ほら、妖精!」
 ウェイバーは訝しげな顔をして空を見上げ、そして、あっと叫んだ。
 方方に散らばり、街の見回りをしていた夜警たちは気がついていなかったようだ。人の数が多く、さらに開けた場所で空がよく見えるこの中央広場にいた人々が一番に気がついたようである。飛び回る妖精に、彷徨う小人。ウェイバーは角笛を手にした。
「昼と夜が混ざりかけています。だから、お願い、角笛を吹いてください。このままでは、昼と夜が一緒になってしまう」
「ゲルダ、あなたはまじない師なのか?」
「見習いだけど、そうです。私は、他のところに行かなくてはいけないので、どうか、夜警の角笛で夜の国の住民がこっちに来ないようにしてほしいのです」
 自分は夜の国に行かなければならない。ゲルダは鞄の紐を掴み、噴水の縁から降りた。
 あとはウェイバーに任せようと思った時だった。
 一人の女性が、慌てたようにウェイバーの元に走ってくる。息を切らしながら、助けて、と言った。
「どうされました、ご婦人」
 外套をひっつかまれたローレンは、女性の肩に手を置き、まずは落ち着かせた。息は落ち着いたが、女性の震えは止まらなかった。顔面は真っ青である。
「うちの子が! うちの子が見知らぬ子に変わっていて、うちの子が盗まれたんです! 取り返してください……!」
 まだすぐ近くにいるから、と、女性は叫ぶ。
 ゲルダは違う、とすぐに思った。
「入れ替わったんです。夜の国の小人と、人間が。だから、探してもこっちにはいないです!」
「え?」
 ウェイバーはゲルダに説明を求めた。
「だから、昼と夜が混ざって、こっちの人間も夜に行っちゃったんです! 向こうに行ってしまった人々は私がなんとかしますから、夜警の皆さんはどうか、絶えず街いっぱいに響くように、角笛を鳴らしておいてください!」
 走り出そうとすると、ウェイバーはゲルダの手を掴んだ。
「待って、あなたはどこへ行かれるのか!なぜ、昼と夜が突然混ざりだしてしまったのだろうか。我々よりも、まじない師のほうが夜の国には詳しいはずだ。どうか知恵を授けてほしい。我々は角笛を吹くことしかできないのだろうか」
 ゲルダは唇を噛みしめ、鞄の紐を握りしめる。
「――私が夜の国へ行ってしまったからです。私が夜の国と昼の国を繋げてしまいました。信じてもらえないかもしれないけど、私が、夜を持ってるんです。私は、もう一回、夜の国に行って、夜を返します。そうすれば、昼と夜は、きちんと元に戻ると思ってるんです。だから、それまで、夜警の皆さんは、角笛を吹いてください。夜の国の住民は、角笛の音を嫌います。これ以上、こっちに夜の国の住民が来ないように。向こうに行ってしまった人々は、私が連れて帰ります。行かせてください。仰る通り私は――まじない師ですから、まじない師として、なんとかします」
 ウェイバーは、ゲルダの持つカンテラの光が、強く輝いたような気がした。
「分かった。角笛だな。まじない師ゲルダ、あなたに、素晴らしい朝が訪れることを祈るよ」
「ありがとうございます」
 ウェイバーはゲルダの手を放し、カンテラを掲げた。
「この夜警団が、ティルハーヴェンの夜を、守ってみせるさ。行ってきなさい」
 高らかに角笛が鳴った。
 ゲルダはその音に背を押され、走った。
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