4章

  それから光の妖精と共に夜警の拠点であるホームに向かった。本当に市庁舎の目の前にあった。人間の家と大差ない大きさだった。内装も、普通の家のようである。家具のサイズも人間にぴったりだった。
 リュートはまだ戻ってきていなかった。光の妖精が、リビングのソファにでも座ってなさいと言うので、ゲルダたちは大人しく従うことにした。
 何かの気配を感じ、目の前にある暖炉にふと視線を向けると、小さな瞳が二つあった。
 薪に身を潜め、黄金の髪を揺らしている。光の妖精は呆れたように肩をすくめ、暖炉まで飛んでいく。
「何で隠れているのよ。お客様よ」
「だって人間だぜ? 人間がいるっておかしいじゃないか!」
「もー、そういうのを大きな声で言わないの。リュートが招いたんだから、ちゃんとおもてなしして!」
「しょうがないなあ……リュートのためだ」
 光の妖精に怒られてしまった火の妖精は渋々暖炉の中で踊った。すると、火が勢いよく上がり、部屋を温めた。ぱちぱちと心地よい音がする。
 光の妖精はホームの中にいた妖精たちを次々と起こし、風の妖精にはクッキーの乗った皿を運ばせ、水の妖精にはお茶を入れるよう言った。
 妖精たちはリュートに直接指図されなくても、自分たちで考え、ゲルダたちをもてなしてくれた。光の妖精はリビングの中央にある机の上に置かれていたランプの中に入る。ガラスで屈折した光が一気に部屋を明るくした。
 風の妖精がこっちにと机に招く。ゲルダたちは妖精たちに促されるまま、クッキーを食べた。少し焦げていたが、ほのかに香ばしくて美味しかった。
 ゲルダはふとエリアスの顔を見た。
 頬まで痣が拡がってしまっていた。エリアスはまだ自分の顔を見ていないから気付いていないようだが、両頬まで痣が侵食している。
 ハルムもそのことについては何も言わなかったし、ゲルダも言わなかった。エリアスを無駄に不安にさせたくなかったからだ。
 ゲルダが目を伏せて何か物思いにふけっている様子を見たエリアスも、何も言わなかった。それに、涙の跡を頬に残していたことについても。
 黙ったままの二人に、ハルムも光の妖精と同じように「もー」と溜息をついた。
「ついにリュートと会えるんだから、もうちょっと喜びなさいよ。クッキーだって美味しいし、妖精たちにありがとうくらい言いましょ」
「あ、ごめん。そうだね」
 ゲルダははっとして、ランプの中にいる光の妖精に話しかけた。
「ここまでありがとう。クッキーも美味しかった」
「ありがとうは私が言わなきゃ。あの小人の亡霊から助けてくれてありがとう。あなたのまじない歌がよく響いたのが分かったわ。あ、リュート! おかえりなさい!」
 風の妖精たちがドアを開け、リュートを迎える。リュートは帽子を取り、杖とベル、カンテラをドア横の壁際に置いた。
「妖精たち、ありがとう。今日はもう遅いから、休んでいいわよ」
 リュートが言うと、風の妖精たちは外へ、暖炉にいた火の妖精はそのまま眠り、光の妖精もランプの中であくびをして、体を丸くし、眠ってしまった。
 リュートはよいしょ、と椅子によじ登り、手袋を取ってクッキーに手を伸ばした。
「ん、美味しい。久しぶりにお客様が来たから、大丈夫かなって思ってたけれど」
 ハルムがゲルダの髪の毛を引っ張る。何か言いなさいよ、の合図だった。
「あの、あなたが夜警の」
「リュート。よろしく、人間さん。あなたはどうしてこっちに来たの? ここは人間が来るようなところじゃないけど。最後に人間がここに住んでいたのは、小人史では五百年前ということになっているわ。あれから人間がこっちに来ることもなかったし、小人たちも法を守って人間を連れてくることもなかった。極稀に夜の国に人間が来てしまうことはあったけれど、だから私達夜警が人間を夜から昼に送ってあげるの。あなたは迷ったの? いいえ、そうじゃないでしょ。まじない師さん?」
 リュートの丸く大きな目がゲルダをじっと見据える。
 もう何もかもお見通しだ、と言わんばかりの視線に耐えられず、ゲルダは経緯をリュートに説明した。
 自分のまじないの力を試すために来てしまったこと。自分の中に夜があると言われ、その正体を見つけるために、ここに来たこと。途中出会ったエリアスの魔法を探していること。
 途中、エリアスも口を挟んだ。俺がゲルダにいて欲しいと頼んだのだと。
 リュートはふうん、と相槌を打ち、お茶を口に含んだ。
「魔法のことはひとまず置いておくわ。まじない師が知らないわけないと思うんだけど、人間が夜の世界で生きることを望むと、逆に夜の国の住民が昼の世界で生きることを望むと、昼と夜が混ざってしまうのよね。五百年前に法ができたのはそのためよ」
 リュートは窓の上に飾られていた大きな油絵を指さした。
 空には光のカーテンが広がり、壁が崩れ落ちている絵だった。
「我々小人たちは、その昔、あらゆる脅威に晒されてたわ。だから、自分たちの街が欲しかったの。でも、小人たちは妖精しか使役することができない。妖精でもできることは限られている。力が欲しくて、人間の力をもらったの。街はまあご覧になったと思うけど、ここまで大きくなったわ。でも、ある時、小人の一人と、人間の一人が、恋に落ちちゃったの。最悪なことに、人間のまじない師たちが人間を取り戻そうと夜の国への道も繋げちゃって、おかげで大混乱だったわ。空には虹のカーテンが広がり、亡霊たちが街を埋め尽くし、人間がこっちに来て、小人があっちに行って、めちゃくちゃだった。だからその混乱を機に、もう人間を連れてくることをやめたし、まじない師たちも夜の国に来ることを諦めたわ」
 街で小人たちがめちゃくちゃなことを行っていたのは、その奴隷がいた時代の亡霊と、混乱後の時代の亡霊が混ざっていたせいだったのだ。
 リュートが話した出来事はゲルダが聞いていた話とほぼ一致していた。
 リュートは再びお茶で喉を潤し、話を続ける。
「夜の愛し子であるエルフの王子が、人間と共にいる。もうそれだけでこの世界は危ないのかもしれないわ。現実、亡霊が湧き出てるし。人間がいる限り、夜間避難を解除するわけにもいかないの。魔法のことはさておき、あなたの頬にある痣もきっとそのせいではなくて?」
「頬?」
 リュートは椅子から飛び降りて、暖炉の横に置いてあった手鏡をエリアスに渡す。
 鏡を覗き、自分の顔を見たエリアスは唇を震わせた。リュートはゲルダとエリアスの関係を察しているのか、少しだけ申し訳なさそうに、しかし、冷徹に伝えた。
「まじない師の中に夜があるのは私も分かる。感じるもの。けど理由までは分からない。とにかく、ゲルダ、あなたは、あなたの中にある夜のことは忘れて、昼に帰ったほうがいい。これ以上ここにいると、夜も昼も危ない。あなたにそのつもりがなくても、世界の理がそうなっているのよ。夜の女王の父でもある神がお創りになられた実験的世界では。守りたいなら帰りなさい」
 それから、とリュートはエリアスを見た。
「魔法については、女王様に直接聞いたらいいのではなくて? 女王様が城に招いてくれれば会えるはず。あなたは夜の愛し子なのだから、行けるはずよ」
 リュートはお茶を飲みきり、小部屋のドアを開けた。
「まあ、とりあえず今日は夜も遅いから、ここに泊まりなさいな。このホームはそのための場所なの。ゆっくり休んで、それからあなたたちで話をして、それぞれすべきことをする。いいわね」
 はい、としか言えなかった。
 ゲルダとエリアスにはそれぞれ部屋を渡された。ハルムはゲルダと共にいることを選び、それぞれベッドに入った。
 久しぶりのベッドだった。
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