4章

 エリアスは壁を背もたれにして、ぼうっと星々を見ていた。お前たちは何も考えなくていいから、気楽だな、と羨望の眼差しを送った。
 星々の中には女王のドレスに編み込まれた兄弟たちもいるのだろう。いつもより星々の数が多いような気がした。母が空から自分を見ているのかもしれない。
 ハルムは目を覚まさない。ゲルダは捕らえられてしまった。
 このままもう、どろどろの夜に溶けてしまったほうが、いっそ、いいのだろうか。魔法も使えない、守りたいものを守れない、こんな未熟者など。
 涙はもう出てこない。胸が締め付けられるだけだった。
(母上は、どうして俺を地上へ落としたのですか)
 問いかけても答えはなかった。
 胸まで拡がった痣を見て、もう自分に残された時間はないとは悟っていた。拡がるのは決まって、ゲルダの魔法を感じた時だった。本能が叫ぶ。人間はいけないと。小人も言った。人間を捕えろと。そんな人間を愛してしまった罪なのだとエリアスは思った。
「う、ん……」
 手の中にいたハルムがゆっくりと体を起こした。
 エリアスははっとして、肩で涙の跡を拭った。
「気がついたか」
「ゲルダは?」
「連れ去られた。ハルム、大丈夫か」
「当たったのがあなたでよかったわ。壁に激突してたら死んでたかも」
 ハルムはエリアスの顔を見て、ため息をついた。
 またこの王子は泣いていたのか、と、呆れてしまった。ゲルダが連れ去られて、魔法を使えない自分を責めていたのだろう。
「エリアス、ちょっとお話しない? 体がまだちょっと痛いから、元気になるお話がしたいわ」
「でも、俺たちは早く小人の街に入るべきだ」
「今のあなたじゃ無理ね」
 ハルムに鋭く言われて、エリアスは苦笑した。この妖精は今の状況をよく分かっている。
 自分の心の中も。
「エリアスの知ってる魔法を教えて。どんな魔法があるの?」
 ハルムはエリアスの人差し指に頬を当てた。
「風を導く。風はいい。空を飛ぶこともできるし、エルフの美しい声を遠くへ届けることもできる。エルフの声は森の木々を癒やし、夜の眠りを安らかなものにする。風に葉を揺らす木々もまた歌う。賢者たちはそうやって森を守ってきた」
「風を褒めてくれてありがとう」
「ハルムほどではないよ」
 ハルムはふふ、と笑った。
 エリアスは、魔法が使えたら、風を使うのが上手いのだろう。エリアスと出会った時、ゲルダよりエリアスの方に懐いていたのは、相性がよいと肌で感じていたからだ。
 ゲルダが海に落ちた時も、すぐに風を導くことができたのは、エリアスのセンスが良かったからだろう。森から離れていても、森の香りがする風がゲルダとエリアスを包んでいた。
 このエルフが魔法が使えるようになった時、きっと、夜の国に心地よい風が拭くのだろうとハルムは思った。
「エリアスが夜の愛し子なのがよく分かる話だったわ」
「そうか?」
「そうよ。あなたが立派な風魔法を使っているところ、見たいわ。あなたは風魔法が絶対上手。だから、魔法は諦めないで。あなたは絶対にいい夜の賢者になる」
 ハルムが言うと、エリアスは眉を下げた。
 ハルムはやはりお見通しだな、とエリアスは小さく言った。
「魔法が使えないからと責めないで。ゲルダも言うわ。エリアスはエリアスだってね。私もそう思う。あなたは正直すぎる。だから自分を責める。でも、考えてごらんなさいよ。ゲルダはいつもいつも、まじないと占いに頼ってる?」
 ハルムの問いに、エリアスはゲルダの姿を思い出した。
 船を見つけたあとは、自分の力で帆を張った。調理は必ず手でしていた。
 ハルムの契約はまじないだったかもしれないが、それからはハルムにはまじないはかけていない。最初はぎすぎすとしていた二人だったが、いつの間にか打ち解けていた。
 まじないや占いばかりに頼ってばかりだったと自分を責めるゲルダは、力を欲するエリアスとは真逆だった。
「ゲルダは……まじないや占いを使いすぎることを責めていた」
「でしょ。私も最初はちょっと意外に思ったけど」
 ハルムは羽根を羽ばたかせ、エリアスの肩に乗った。
「石を通じて感じるの。私は自制心がない、私は考えなしだって、あの子は自分を責めるの。力に頼ってばかりでは、駄目だって」
 ハルムは歌うように言った。
「だから私もあなたの話からヒントを得て、考えたわ。魔法を使わなくてもいい方法を。エリアス、これはエリアスじゃないとできないことよ」
 ハルムはエリアスに作戦を伝えた。
 確かに、エリアスではないとできないことだ。
 剣のベルトを外し、両手で持つ。
 ハルムはエリアスの肩から飛び上がり、扉の前まで飛ぶ。
 そして、そよ風を生んだ。
「おおい、すまんが、門を開けてくれんか。旅に出とった小人じゃ」
 ハルムは小人になりきり、風に声を乗せた。すぐに空気の振動の波を指先で変える。すると、ハルムの声は老婆の声となる。
 エリアスは門の横に身を潜めた。あの門番が出てくるのを待つ。
「おおい、門番はおらんか、早く家族に会わせてくれぇ……」
 ハルムはもう一度そよ風に声を乗せた。すると、じゃりじゃりと鎖が音を立てながら扉を開けた。
 ハルムはすぐに門番の頭の上に飛び上がり、空気の流れを変える。
「おおい……」
 声のした方を振り向いた小人は、エリアスに背を向けた。
 その瞬間、エリアスは剣の柄を小人の首に打ち付けた。うっ、と声を上げて、小人は倒れる。
 そして煙となり、消えた。
「……は?」
「……これは想定外かも」
 エリアスもハルムも、驚いて、しばらくその場から動けなかった。
 気絶させただけなのに、なぜ小人は消えてしまったのか。理由は分からないが、ひとまず小人の街には入れるようになった。
「行きましょ」
 エリアスは頷き、剣を腰に下げ、ハルムの後に続いた。
 
6/10ページ
スキ