4章

 壁伝いに歩いていたが、なかなか門にたどり着けない。街の周りをぐるりと一周するには時間がかかる。
 小人は、ハルムの話ではゲルダの腰くらいまでの背しかないという。しかし、ゲルダの感覚では、ゴンド島で最も大きい町、ノースゼリアに匹敵する――いや、それ以上に大きい。
 小人はずる賢く、臆病。その性格を表すかのような門がぽつんと姿を現した。
 門は一つしかなかった。そして、その大きさは、人一人がようやく抜けれるほどの大きさしかなかった。もしお腹が出ていれば、お腹がつっかえてしまうだろう。そのくらいしかなかった。
 鉄製の扉は閉ざされており、沈黙していた。
 レンガと扉の向こうの気配は何も感じられない。この扉の向こうには、門番くらいいるだろうか。ノックをしたら気がついてくれるだろうか。
 何人たりとも入れない。小人の強い意思を感じ、ゲルダは不安になる。
「俺が王子らしく挨拶をすればよいのではないか?」
 エリアスがそう言って、扉をノックしようとするのをゲルダは止めた。
「エルフは普通、森から出ないんでしょう? 逆に怪しまれない? なんで森にいるはずのエルフがここにいるんだって」
「知見を広げているところだと言えばいいではないか。これは嘘ではない。俺は、森から出たことによって、様々なことを学んでいる。俺はこれでも、夜の柱、夜の賢者として母上のドレスから落ちた夜の愛し子だ。夜の賢者はあらゆる魔法が使えて、あらゆることを知っていないといけない。森に引きこもっていては、その役目は果たせない。たとえ魔法があったとしても、俺は、きっと森を出た。だから、素直に言えばいい。俺は学びに来たのだと」
 エリアスは自分の口から夜の愛し子などという言葉が出たことに内心驚いていた。
 それは願いでもあった。
 言いながら、やはり自分はこの使命を果たさなければならないと思っているのだなと感じる。これが、自分の素直な心なのだと。
「魔法を見せろと言われたら?」
 ゲルダはまだ不安を拭いきれずにいる。小人はずる賢く、外の者をこうやって拒絶する。そう簡単には入れないだろう。いくら伝説の時代よりこの街が発展していたとしても。
「魔法を見せろと言われたら、ハルムがそれっぽく風を起こせばよいのでは?」
「バカね、妖精を使役する小人ならすぐ見抜くわ。魔法と妖精の力の違いなんて」
「そうか……」
 ゲルダに触れるだけでは魔法の力は流れてこない。あの時、自分に魔法の力が流れてきたのは何故か考えてはみたが、条件は分からなかった。
 愛しているから、とは違う。それは条件にはならない。だったら、船の上で再度、力を感じているはずだ。
 簡単にはあの時の魔法を再現することができない。
 エリアスは苦し紛れに言った。
「魔法は、見世物ではないと。それは、エルフの美学ではないと言えば、分かってくれないだろうか。我々は気高き森のエルフ、夜の賢者の民。王子たる私に無礼を働くのかと」
 後半は無理に演じているみたいで、ゲルダはふ、と笑った。
 けれど、エリアスは実際に王子だ。ゆくゆくは王となり、エルフの民を従える者だ。これは偽りではない、事実だ。
「矜持に反することはできないと――」
 けれども王子を演じ、言い訳を考えているエリアスがおかしくて、ゲルダは肩を震わせて笑いをこらえる。
「も、もう分かった。うん、エリアス、王子だもん。それでいこう」
「何かおかしかったか」
「ううん、ごめん」
 ハルムも唇を手でつまんで笑いが漏れないようにしている。
 そんな二人の様子に首を傾げながらも、作戦を述べた。
「ゲルダは俺のしもべ。ハルムはしもべのしもべ。いいな」
 ゲルダとハルムが了解、と言うと、エリアスは扉を三度叩いた。反応はない。さらにもう三度叩く。エリアスは大きい声で、すまない、と言った。
 すると、扉がほんの僅かに動いた。
 それを合図に、じゃりじゃりと鎖が勢いよく動く音が聞こえだす。機械仕掛けの扉らしい。よくできている、とゲルダは思った。いくら小さいとはいえ、鉄製の扉だ。小人の力では動かすのは大変なのだろう。
 扉が開くと、一人の小人が姿を現した。夜色の軍服。手にはカンテラ。
 しかし、そのカンテラの中にあるのは蝋燭ではない。妖精だ。光り輝く妖精がいる。
 ハルムがゲルダの耳元で「あれは光の妖精」と教えてくれた。小人は妖精を使役している。まるで虫かごに入れられた虫のようだった。妖精をカンテラに入れて使う。これが小人なのだと思った。
「何か」
 小人は男だった。つぶらな瞳がエリアスを見る。エリアスは計画通り、身分を明かした。
「夜分遅くに申し訳ない。私はエルフの王子、エリアスという。夜の賢者となるべく、夜の国を巡っているところで、小人の街にいるという夜警に会いに来た。この街に入ることを許していただきたい」
 エリアスは胸の前で袖と袖を合わせ、深く礼をした。
 そんなエリアスを、カンテラで照らしてじっと見る。
「夜の女王に愛された美しい月の髪、森の瞳、確かにエルフと見た。森からの訪問を歓迎しよう」
 エリアスはほっとして、頭を上げる。
「感謝する」
「しかし、そちらの者は? 妖精を従える者は、夜の国では小人しかいないはずだ」
「私のしもべです」
「しもべ?」
 カンテラを動かし、門番はゲルダを見た。
 そして、呆然とする。門番は、首を横に振り、もう一度ゲルダを見る。自分が見ているものが何なのか。カンテラは震えていた。そして、自分の疑いが確かなものとなった時、門番は叫んだ。
「人間がなぜ夜の国にいるんだ! なぜエルフと、妖精といる!」
 慌てた門番は指笛を吹いた。すると、数多くの妖精が現れる。
「取り押さえろ、地下に連れて行け!」
「ゲルダ!」
 ハルムが危険を察知し、ゲルダの肩から飛び、向かってくる妖精たちからゲルダを守ろうとした。しかし、ハルムの風がゲルダを守るよりも先に、門番の使役する妖精たちがゲルダの手を縛り上げた。風の妖精だった。見えない手錠がかけられる。
 ハルムは再度風を起こし、これ以上相手の妖精の風がゲルダを捕らえないようにしようとした。しかし、小人の妖精は強かった。小人の使役する妖精の強さをハルムは知らなかった。ハルムの風は、相手の風にかき消されてしまった。
 邪魔をするなと言わんばかりに、ハルムは突風に巻き込まれ、エリアスの胸にぶつかり、意識を失った。ぼとりと落ちるハルムをエリアスは両手で受け止めた。
 ゲルダは風に捕らえられ、そのまま連れ去られてしまった。
「ハルム! なぜだ、なぜこのようなことをする!」
「夜の賢者とあろうお方が、人間のことを知らないとは。さては、その髪は、染めた偽りのものか?」
「違う!」
 エリアスは、胸がかっと熱くなるのを感じた。
「俺はエルフだ……エルフなんだ……っ」
 証明するものがなかった。ただ、違う、エルフだと叫ぶしかなかった。小人は軽蔑する目でエリアスを見る。
 門番は、門の隣にあったレバーを上げた。じゃりじゃりと鎖が音を立てる。扉は固く閉ざされた。
 エリアスはそのまま地面に崩れ落ちた。
 魔法があれば。記憶があれば。ゲルダを、ハルムを、守れたのに。
 意識を失ったハルムに謝った。連れ去られたゲルダに謝った。
 自分が出来損ないだから。自分を証明することすらできない出来損ないだから。大粒の涙がハルムの上に落ちる。
 悔しい。申し訳ない。惨めだ。格好悪い。自分を責める。
 ゲルダには嘘をついていたが、あの夢を見たあと、更に痣は拡がっていた。痣はもう胸まで拡がっている。どろどろの夜が、エリアスをかき乱しているようだった。
 涙を拭いてくれる人がいなかった。
 エリアスの慟哭を聞いていたのは、空で冷たく瞬く星々たちだった。
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